第9話「そこには座らない」
昼下がりだった。
日差しは少しだけ傾いている。
井戸の周りには人がいる。
水を汲む者。
話をする者。
通り過ぎる者。
いつもと同じ数のはずだった。
ユルは歩いてくる。
足取りは変わらない。
迷いもない。
井戸の手前で、ほんの少しだけ速度が落ちる。
そのまま、同じ位置に向かう。
井戸の縁から少し離れた場所。
石がいくつか残っているあたり。
座る。
背中を預ける。
何も言わない。
それだけだった。
誰かが近づく。
水を汲むために、井戸へ向かう。
その途中で、少しだけ進路を変える。
ほんの一歩分。
意識しているようで、していない。
別の誰かも、似たように歩く。
近くを通る。
けれど、そこには入らない。
空間が、空いている。
広くはない。
けれど、はっきりと“そこ”だけが残っている。
「……なんか、そこ空いてるよな」
村人が、ぼそりと言った。
隣にいた者が、そちらを見る。
ユルが座っている。
その周りに、誰もいない。
「まあ、なんとなくね…」
理由を探すほどでもない。
納得したわけでもない。
ただ、それで話は終わる。
井戸の周りは普通に使われている。
水は汲まれるし、人も通る。
けれど、その一点だけ。
自然に避けられている。
ティアナが立ち止まった。
視線は、その空間に向く。
広さは変わらないはずなのに、
妙に目につく。
「……昨日も、こんなだったっけ」
思い出そうとする。
はっきりしない。
けれど、違う気がする。
誰かに聞くほどでもない。
けれど、見過ごせるほどでもない。
ユルは動かない。
周囲のことを気にしている様子もない。
そこが空いていることにも、気づいていない。
風が通る。
空いている分だけ、少しだけ強く感じる。
子供が近づく。
石のある方へ行こうとして、足を止める。
少し考える。
そのまま、別の場所へ回る。
誰も止めていない。
誰も指示していない。
ただ、そうなっている。
井戸の周りの動きは変わらない。
人は増えも減りもしない。
それでも、空間だけが固定されている。
ユルは、目を閉じた。
何も変わらない。
何も知らない。
その場所には、誰も座らなかった。
最後まで、誰も。




