第35話「気づき」
夕方だった。
村は、いつも通り静かだった。
人はいる。
動きもある。
だが、無理がない。
すべてが、自然に収まっている。
井戸のそば。
ティアナが立っていた。
少し離れた位置。
いつもの場所だ。
視線は、中心に向いている。
ユルがいる。
座っている。
何もしていない。
それでも。
周囲は整っている。
ティアナは、しばらくそれを見ている。
何度も見てきた光景。
変わらない。
ずっと同じ。
だからこそ。
「……もしかして」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声。
だが、言葉は続く。
「何もしてないだけでは……?」
静かな疑問。
その瞬間。
空気が、少しだけ揺れた気がした。
理由はない。
ただ、違和感。
ティアナは、眉をひそめる。
考える。
ここで起きていること。
静けさ。
距離。
無理のなさ。
全部。
誰かが作ったものではない。
命令もない。
ルールもない。
ただ、そうなっている。
視線を、もう一度ユルに向ける。
動かない。
何もしていない。
関与している様子もない。
それでも。
中心にある。
「……違う」
ティアナが小さく言う。
否定の言葉。
だが、弱い。
足りない。
近くに、村長が立っている。
同じように、井戸の方を見ている。
ティアナは少し迷ってから、声をかける。
「ねえ」
村長が振り向く。
「どうした」
短い返事。
ティアナは、少し言葉を選ぶ。
「これって……」
間が空く。
「本当に意味あるのかな」
言い切らない。
ぼかした言い方。
だが、十分だった。
村長は、少しだけ目を細める。
井戸を見る。
ユルを見る。
考える。
長い時間ではない。
だが、深い。
「……」
言葉が出ない。
頭の中で、繋がりかける。
これまでのこと。
広がった思想。
聖典。
全部。
もしかしたら。
意味なんて、なかったのではないか。
ただ、そうなっていただけ。
それだけだったのではないか。
その可能性が、浮かぶ。
そして。
すぐに、止まる。
「……いや」
村長が言う。
小さく、しかしはっきりと。
ティアナが顔を上げる。
村長は、もう一度井戸を見る。
「間違っていない」
繰り返す。
理由は言わない。
言えない。
だが、それで十分だった。
ティアナは黙る。
言葉が続かない。
さっきの疑問が、少しずつ薄れていく。
完全には消えない。
だが。
追わない。
追う必要がない。
困っていないから。
壊れていないから。
今のままでいい。
それで、止まる。
「……そうだね」
ティアナが小さく言う。
納得ではない。
同意でもない。
ただの終わり。
会話は、それで終わる。
ふたりとも、もう何も言わない。
井戸の前では、ユルが座っている。
変わらない。
風が通る。
音は少ない。
すべてが、そのまま続いている。
ティアナは、しばらく立っていた。
やがて、ゆっくりと歩き出す。
振り返らない。
考えない。
考えることを、やめる。
それでいいと思う。
それで、終わる。




