第30話「正解」
村は、変わらなかった。
朝が来る。
人が動く。
声は少ない。
井戸の周りには、いつもの間がある。
埋まらない空間。
そこに、ひとり。
ユルが座っている。
何もしていない。
ただ、そこにいる。
それだけで、周囲が整う。
誰も、それを疑わない。
少し離れた場所で、村長が立っている。
井戸を見る。
人の動きを見る。
ユルを見る。
「……間違っていないはずだ」
小さく言う。
誰に向けた言葉でもない。
確認でもない。
ただ、そう思っている。
理由はない。
だが、結果は出ている。
村は静かだ。
問題はない。
崩れない。
それで十分だった。
近くに、学者がいる。
紙を持っている。
何度も読み返している。
『無為録』
そこに書かれている言葉。
整えられた理屈。
学者は、ゆっくりと口を開く。
「証明はできないが正しい」
淡々とした声。
矛盾している。
だが、誰もそれを指摘しない。
証明できない。
けれど、否定もできない。
それで成立している。
通りでは、人が動いている。
誰も急がない。
誰も無理をしない。
それでも、回る。
「どうすればいい?」
誰かが小さく聞く。
別の誰かが答える。
「あの人の通りにすればいい」
短い言葉。
それで、十分だった。
具体的ではない。
説明もない。
だが、通じる。
全員が、同じものを見ている。
同じ空気を知っている。
だから、分かる。
理由は分からないまま。
それが“正解”になる。
井戸の前。
ユルは、少しだけ体を傾ける。
目を閉じる。
周囲の音が、少しだけ遠くなる。
風が通る。
誰も近づかない。
誰も何も言わない。
すべてが、そのまま続いている。
完成している。
何も足さない。
何も引かない。
それで、崩れない。
ユルは、小さく息を吐く。
「……眠い」
誰にも届かない声。
そのまま、横になる。
ゆっくりと、目を閉じる。
何も変わらない。
何も始まらない。
ただ。
正しさだけが、そこにあった。




