第13話「噂」
村を出たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
荷車の車輪が、乾いた土をゆっくりと踏む。
来たときと同じ道のはずなのに、どこか軽い。
商人は一度だけ振り返った。
村は見えない。
少し歩けば、すぐに隠れる。
「……まあ、いいか」
小さく呟いて、前を向く。
特に理由はない。
しばらく進むと、道の先に別の荷車が見えた。
向こうから来る。
同業者だと分かる。
「おう」
近づくと、軽く声をかけられる。
「この先の村、寄ったか?」
短い問い。
商人は頷く。
「ああ、寄った」
「どうだった?」
興味本位の声。
特別な期待があるわけでもない。
少しだけ、言葉に詰まる。
何をどう言えばいいのか、はっきりしない。
「……なんか妙に落ち着く村でな」
出てきたのは、それだけだった。
説明としては足りない。
けれど、それ以上が出てこない。
「落ち着く?」
相手が眉を上げる。
予想していた答えではなかった。
「静かなんだよ」
付け足す。
これも、正確かどうかは分からない。
「へえ?」
短い相槌。
興味がないわけではないが、強く引かれているわけでもない。
商人は、少しだけ考える。
何が違ったのか。
道か。
人か。
空気か。
「……変なんだ」
言い直す。
それが一番近い気がした。
「変ってどういう?」
聞き返される。
当然の問いだった。
答えは、やっぱり出てこない。
思い出せるのは、静かだったことと、
なんとなく楽だったこと。
「……分からん」
正直に言う。
それ以上は言えない。
相手は少しだけ笑った。
「なんだそれ」
軽い反応。
冗談のようにも聞こえる。
「まあ、でも」
商人は続ける。
言葉を探すように。
「悪くはなかったな」
それだけは、はっきりしていた。
短い沈黙があって、風が通る。
荷車の布が、少しだけ揺れる。
もう一人の商人は、顎に手を当てる。
考えるほどの話でもない。
けれど、引っかかる。
「……今度寄ってみるか」
ぽつりと言った。
「そうか」
それ以上は続かない。
商人は頷いて、手綱を軽く引く。
荷車は、それぞれ別の方向へ進み出す。
交差は一瞬だった。
道は変わらない。
風も同じように吹いている。
ただ。
さっきまでなかったはずの“行き先”が、ひとつ増えていた。
村のことを、誰も正しく説明できない。
けれど、誰かが向かおうとしている。
それだけで、十分だった。




