第三十七話 王都からの使者
厩のほうで、馬が一頭だけ嘶いた。
夕方の書庫にいると、外の音がよく届く。城の馬は日に何度も鳴くけれど、一頭だけで息の荒い鳴き方をするのは、いつも決まった馬だ。早馬に使われる子だ。
ニクラスさんのペンが止まって、また動いた。少しして、廊下を走る足音が二階へ上がっていった。
それから半刻もたたないうちに、ザビーネ様が書庫の戸口に立った。
「ミーナさん。少し、いいですか」
ザビーネ様とは、時おり食堂でも話をすることがある。仕事の話や、城の仕組みや人の話だったり。偉い人だけれど、使用人のご飯を食べている人はあまり居ないので少し不思議だった。
「急ですが、王都から使者が来ます。三日後の昼。冬の騒ぎの後始末……つまりはグライフの件です。テルナー殿と私とで対応の予定です。外務のドレスラー殿は、昨日王都へ発ったばかりで留守ですから」
「はい」
「使者と供の方が泊まりになります。三名分の部屋が要ります」
「客間ですね」
ザビーネ様が、いつもの低い声で頷いた。あまり笑わないけれど、マルタさんともよくお話ししている。だから怒っていたり不機嫌でいるわけではなく、これがこの人らしさなのだと理解していた。
「掃除は掃除係の仕事ですが、あなたに頼むのは掃除ではありません。この城の部屋を把握して、紙面に落とした人がいると聞きました。それがあなただと」
ああ、とわたしは合点がいった。
「去年の冬の、大掃除の手順書ですね。見取り図も作りました」
「わたしはこの城に来てひと月あまりで、客間を一度も見ていません。どの部屋を使うか。何が足りないか。何がどこへ行っているか。それを明後日の朝までに確認して揃えてください。手を動かすのはマルタたちにも声をかけて。当日の昼は、お客様へのご案内のために、中庭に来てください」
なるほど。図と今現在を、突き合わせる仕事だ。それと出迎えも。
「わかりました。明日の早朝から見ます」
「よろしく頼みます。鍵は、執務室に取りに来てください」
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早朝。あれこれ考え事をしていたら、髪を結い終わっていた。手が先に動いて、頭があとから追いついた。新しい結い方の六日目。しっかり手が覚えてくれたみたいだ。
「さて……」
今日はいつもの流れに加えて、やることがある。控室の机の引き出しから、手順書を出した。
紙五枚。一枚目が城の見取り図。中央棟と東棟が三階建て。西棟が二階建て。それに地下。冬に描いたものだ。
前にいた場所では、何がどこにあるかを紙にしたことがなかった。……あまりに散らかり放題であると思った場所に無かったし、見つけられるための見取り図なんてものも無かったと思い返す。こうして後から見返せるものがあると、なんだか安心する。
図を持って、ザビーネ様の執務室へ鍵を取りに行った。
机の上の山が、五つになっていた。窓側の端に、新しい一つ。……おお、増えてる。
ザビーネ様に挨拶をして、報告をする。
「客間は二か所にあります。東棟の三階に三つ、リーゼ様の部屋の階です。中央棟の三階に二つ、この部屋の真上です」
「どちらを使うことにしましたか」
「中央棟です」
「理由を聞いても?」
「東棟は城主様のご一家の棟です。お客様は男性が三人です。中央棟なら、テルナー様の執務室と同じ棟ですので」
「……そうですね。そのほうが良いでしょう。分かりました」
ザビーネ様が鍵を二つ、机の上の山の四つ目から取って渡した。紙の山の中に鍵がある。この人は、紙でない鍵も山に置く。どの山かは、迷わなかった。
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中央棟の三階。執務室の前の階段を、もう一つ上がる。戸が二つ並んでいる。
冬に大掃除をした部屋だ。家具に布が掛けてある。窓枠に埃はそこまで積もってない。そこまでは、冬のままだ。
図と突き合わせる。
図には、部屋ごとに棚の数しか描いていない。家具は、冬の大掃除で庭へ出したときに数えた。寝台。卓。椅子。棚。衝立。水差しの台。蝋燭の台。部屋ごとに、それだけ。
一つ目の部屋。指差しで確認を進めていく。
寝台、ひとつあり。卓、あり。椅子、あり。棚、空。衝立、無し。水差し、無し。蝋燭、台だけあって蝋燭が無し。
二つ目の部屋。
寝台、ふたつあり。卓、あり。椅子、あり。棚、空。衝立、二つ。水差し、無し。蝋燭、台だけ。
衝立が動かされていた。一つ目の部屋から二つ目の部屋へ。冬の掃除で庭へ出して、戻すときには元通りにしたはずだから、その後何かしらの理由で隣へ入れたのだろう。出したときは、一つずつだった。
寝具を見た。寝台に掛かっているのは冬の厚い毛布だ。夏の薄い掛けは、西棟の洗濯場のシーツ棚にあるはずだ。冬に、あの棚を並べ直した。
頭の中で整理したことを、紙に書く。こういうことは、重複していても省略せずに書くことが大切だ。
一つ目の部屋。こちらを使者の方のお部屋に。
・衝立をひとつ、二つ目の部屋から持ってくる。
・水差しと杯をひと揃い用意。
・蝋燭を二本。
・毛布を夏の掛けものに。
二つ目の部屋。こちらを供の方のお部屋に。
・衝立をひとつ、一つ目の部屋へ戻す。
・水差しと杯をひと揃い用意。
・蝋燭を二本。
・毛布を夏の掛けものに。
それから、もう一行足した。
・寝台の頭を、戸から遠い側の壁へ。
今のままだと、戸のすぐ横に枕がきてしまう。廊下は朝から人が通る。使用人の朝は早いし、お客様に快適に過ごしてもらうなら物理的に距離を離したほうがいい。
「うん、できた」
綺麗に紙一枚に収まった。
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「おはよう、ミーナちゃん」
「おはようございます」
マルタさんと洗濯係の子が来た。紙を渡した。
「衝立、隣にあるんだね。冬に入れ違えたんだ」
「はい。戻すだけになりますが、書いておきました」
洗濯係の子が、横から紙を覗いた。
「蝋燭と夏の掛けものは、あたしが取ってくる。掛けものはシーツ棚の、右の二段目でしたよね」
「あってます」
洗濯係の子が走っていった。去年の秋に畳み方を教えた子だ。しっかり棚の段を覚えている。
マルタさんが紙を見て、最後の一行で止まった。
「寝台を動かすのかい」
「頭を壁のほうへ。戸から遠くなります」
「なんでだい?」
「朝、廊下の足音で起きないように。お客様には、ゆっくり休んでもらうのも仕事のうちです」
マルタさんがわたしの顔を見て、それから寝台を見た。
「あんたが図を持ってくると、掃除が半分の時間で済むんだよ。冬もそうだった」
「書いてあると、分かりやすいですから」
「その図を作れるのが、あんただけなんだよ。頼りになるね」
「どう……いたしまして?」
寝台を、二人で動かした。重い。頭が奥の壁についた。戸から、大人の足で四歩。
夏用の掛けもの、蝋燭が用意された。水差しに水が入った。衝立が戻った。
昼前に、二部屋とも図のとおりになった。
「最後の掃除だけしておくから、あとは任せといてくれ」
「助かります。よろしくお願いします」
「うん、どういたしまして!」
マルタさんと洗濯の子の気持ちのいい返事が、背中を後押ししてくれた。
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そして使者の方がくる日。昼すぎ、中庭に馬車が入った。
ザビーネ様の後ろに立った。テルナー様が前に出る。上着を着て、髭を整えている。
馬車から降りたのは、四十くらいの男の人だった。旅の上着。靴の縫い目に街道の土が入っている。王都からは、馬車で三日かかる。供が二人、後ろに立った。
「エーヴァルト・フォン・シュライバーと申します。王都より参りました」
「財務官のテルナー・ヴァイスガルトと申します。外務のドレスラーは王都に出ておりまして、代理で内務官のザビーネと共に対応をさせていただきます。こちらは財務官補佐のミーナ」
「ザビーネ・フォン・ノイベルクと申します。御足労をいただき感謝申し上げます」
テルナー様の、この話し方を城の中で聞いたことがない。王都からの使者はお客様には違いないけれど、それよりも何かもっと違う段差を感じた。多分、身分差なのかもと考える。
テルナー様が、城主様の名の入った紙を一枚出した。エーヴァルト様が受け取って、両端を挟んで持つ。字のある面に、親指を置かない。そんな持ち方が印象的だった。
「お部屋は、中央棟の三階に。ミーナさん、ご案内を」
「承知いたしました。こちらになります」
エーヴァルト様が頷いた。供の一人が荷を持ち上げた。
「お足元、お気をつけください」
馬車で三日というのはどれくらい疲れるのだろう、と考える。馬車で二十分でもお尻がちょっと痛くなるから、きっと大変な疲労だろうと想像した。
「こちらのお部屋です」
それなら、長々と挨拶はせずに簡潔にしたほうがいいだろう。
「水差し、棚はご自由にお使いください。お食事はこのあと、別の者がご案内させていただきます。それまではこちらでお寛ぎください」
「うむ。丁寧にありがとう」
戸を閉めると、長い長い息を吐く大きな声がした。やっぱり、お疲れだったんだな。
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日が暮れても、テルナー様は城を出なかった。
ニクラスさんが、紙を抱えて二階と書庫を往復している。四度目のとき、廊下ですれ違った。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
目が一度わたしの顔へ上がって、すぐ紙に戻った。
わたしはいつもの補佐の仕事をしてその日を終えた。
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翌朝、食堂で洗濯係の娘が隣に座った。
「使者様、昨日は部屋に戻られてすぐ寝台に入ったそうです。お供の人も言ってました。部屋についた時も座って、しばらく動けなかったって」
「三日、馬車ですから。大変お疲れだったと思います」
スープを飲んだ。豆と、夏の葉物。ふかふかのパン。ブルーノさん特製のお魚のハーブ焼きがあって、今日は少し豪華なご飯だった。
うん、おいし。
食事を終えて書庫へ向かおうと立ち上がった時、ザビーネ様が階段を下りてきて、食堂の戸口で止まった。わたしが会釈をすると、そっとこちらに近寄ってきた。
「昨日は助かりました。客間を知らないわたしだけでは、間に合いませんでした」
「お役に立てて、うれしいです」
ザビーネ様が頷いて、食堂のお皿を取ってブルーノさんのところへと行った。
テルナー様もザビーネ様も、今日の間は対応が続くはずだ。
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次の日の朝、門で見送った。
ヴォルフさんが門の脇に立っていた。顔色は普通だ。目が合って、逸れなかった。七日前の廊下では様子が少し妙だったけれど、多分もう痛むところは、無いのだろう。
エーヴァルトさんが馬車の前で、テルナー様に頭を下げた。それからザビーネ様に。それから、わたしを見た。
「よく行き届いていた部屋でした。ありがとう」
「お休みになられたのなら、よかったです。寝台の頭を、戸から遠い壁に寄せました」
「戸から離すだけで、あれほど違うものですか」
「廊下の足音が、遠くなりますから」
エーヴァルトさんの返事が、すぐには来なかった。ほんの少し微笑まれて、それから頷いた。馬車に乗った。
供の一人が荷を積みながら、もう一人に言った。小さな声だったが、門は静かだったからか聞こえてきた。
「王都の宿より眠れたな……」
「田舎の城で、あんな良い部屋に当たるとは思わなかった」
あの部屋は、図のとおりに戻しただけだ。一行だけ、図に無いことをした。
馬車が動いた。供の一人が振り返って、頭を下げた。誰に下げたのかは分からなかった。
テルナー様が、わたしの横で言った。
「明日から、外務の棚を見てもらえるか。ドレスラーが戻るまで、現状把握だけしておきたくてな」
「はい、お任せください」
馬車が坂を下りていく。車輪の音が石畳から土に変わった。小さくなって、聞こえなくなった。




