13 ハマリキュウ
―――四ツ谷杯二週間前 午前十時
秋雨の土曜日、BAPの世界は現実世界と同じように、しっとりと小雨が降っていた。
ログインした真田と春菜は、春菜の愛車のベスパで首都高環状線を北に向かっている。
右手に品川埠頭が見えて来た。その奥に海を挟んでレインボーブリッジがぼんやりと霞んで見えている。
「どうした? いつもより口数が少ないな、体調でも悪いのか?」
真田が春菜に話しかける。
「いえ、体調は大丈夫です。でも少し緊張してるかもです」
「河合が緊張? それは珍しいな」
真田が軽口をたたく。しかしいつもとは違い春菜のリアクションは大人しかった。
「今から会いに行くこぶ茶さんって、私少し苦手なんです。ちょっと怖い感じで」
「品川陣営の元締めのプレイヤーなんだろ、別に悪いことしてないんだったら普通にしてればいいんじゃないか。いつもどおりの河合で良いと思うんだが」
「それはそうなんですけど・・・」
春菜はいつも通りの安全運転でペスパを走らせながら口ごもった。
―――黒焦こぶ茶
彼は品川軍の伝説的なプレイヤーで、キル数は軽く千人を超えているということだった。今はチームには属さず、隠居してチーム間の調整や取りまとめ的な役割を果たしている。
彼の過去の戦歴は語り継がれており、品川陣営のプレイヤーからは崇拝の対象になっている。彼の華麗な戦闘の数々は今でもユーチューブの動画で観ることができる。
首都高の浜崎橋ジャンクションを直進するとゆるいS字カーブがあり、そこを抜けると右手に浜離宮恩寵庭園が見えて来た。庭園の木々が雨に濡れて緑が濃く見える。
「そろそろです」
春菜が真田に言う。
黒焦げこぶ茶は隠居した時、持っていた装備をすべて売り払い、貯めていた全ゴールドを投じて二十五ヘクタールあるこの庭園を購入した。今、彼は一人でこの広大な庭園に住んでいる。
春菜は汐留ジャンクションで一般道に降り、庭園の入り口の大手門橋を渡って敷地に入り駐車場にバイクを停めた。駐車場にはジョーのハンビー改が停めてあった。
「ジョーさんもう来てるんだ」
春菜がヘルメットを脱ぎながら言う。
「『もう』じゃないだろ、誰かが遅れたせいでこんな時間になったんじゃないか」
「すみません、お父さんが突然実家から出てきて家に来ちゃったんです。それでバタバタしてしまって」
父親が部屋にいたのか、BAP世界の春菜の部屋で一人で彼女を待つ間、彼女の父親とリアルとバーチャルで空間を共有していたとは、真田は少し複雑な気分になった。
浜離宮恩寵庭園には『潮入の池』と呼ばれる大きな池がある。太平洋から海水を取り入れている池で、潮の満ち引きによって水位が上下する。
その池の中ほどに小さな小島があり、そこに黒焦げこぶ茶の自宅の『中島の御茶屋』があった。
二人は小島に続く細い橋を渡り、茶屋に到着する。玄関の呼び鈴を押すと中からジョーが顔を出した。
「やっと来たか、こぶ茶さん待ちくたびれてるぞ」
真田と春菜は靴を脱いで部屋に上がる。
こぶ茶の居室は二十畳ほどのがらんとした広い和室で、奥の一角に大きめの和テーブルが置かれている。
ジョーはやや末席にあぐらをかいて座った。
真田は奥の上座を見て、息を飲んでのけぞった。
そこにはミイラが置いてあった、いや、座っていた。
黒褐色の顔の頬がげっそりとこけ落ち、目の位置には黒々とした穴が二つ空いている。紫色の法衣を着て、頭には烏帽子をかぶっていた。どうやらこのミイラが黒焦げこぶ茶と呼ばれる人物らしかった。
確か、BAPの世界ではVR端末で読み取った顔データを元にしてアバターが作られるはずなのだが、この人は元々いったいどんな顔なんだ。真田は頭が混乱して、まじまじとミイラの顔を見つめた。
ミイラが喋った、しかし口は動かなかった。普通の男性の声だった。
「失礼な奴らが来たな、挨拶一つもできないガキは帰っておくれ」
「す、すみません、こんにちはこぶ茶さん、お邪魔します」春菜が怯えたように挨拶をする。
真田もはっと我に返って頭を下げる。
「はじめまして、真田と申します。本日はお招き頂きありがとうございます」
「ふむ、お初にお目にかかる。私が黒焦げこぶ茶です」
ミイラの首が微妙に動いた、もしかしてこれはお辞儀なのか?
真田が判断に迷っているとジョーが補足を入れてくれる。
「真田さんは知らないかもですが、BAPでは千キルを達成するとスペシャルアバターが選べるようになるんです。こぶ茶さんはその時にこのアバターに切り替えたんです」
なるほど、隠居したとは聞いていたが、よりによってミイラとは。隠居し過ぎではないだろうか。
「ではさっそく本題に入りましょう。真田さん、先日の虎ノ門とその後の溜池山王での戦闘の動画を拝見しました。なかなか狡猾な作戦立案でしたね」こぶ茶が口を動かさずに言う。
「狡猾、ですか。手厳しいですね」
「はっはっは、気になさらんで下さい、私なりの褒め言葉と受け取ってくれたまえ」
こぶ茶はミイラの無表情な顔で豪快に笑い声を上げながら言った。相変わらず口は動かない。
「その狡猾な戦術家様のご意見を拝聴したいのだが、今月開催される四ツ谷杯のイベントのことはご存知かな」
「はい、お話は聞いています」
「東京圏の四陣営がフラグを争奪するイベントは年二回開催されるのだが、ここ数年間、品川陣営は一度も勝っていない。ですが、今回のイベントは特別な意味を持ちます。優勝賞金が通常の十倍、しかも副賞としてA―10攻撃機がもらえる」
「はい、その話はジョーさんから聞いています。品川陣営の強化のためになんとしても勝ちたい一戦であると」
「では話は早い。率直に言って勝てる見込みはあると思いますか」
真田は少し考えてから答える。
「工夫すればそこそこの戦いはできるかもしれませんが、いかんせん戦力差が大きすぎます。よほど運が良くないと勝つのは難しいかと」
「はっはっは、正直でよろしい、私も同意見だ」
「ですが、何か切り札があれば可能性は出てきます。例えばこぶ茶さんが参戦するとか。戦力としてだけでなく、品川プレイヤー全体の士気が大幅に上がるかと思いますが」
「私は隠居した身だ、それはできません。若い者たちが自分たちでなんとかするしかない。とは言え、今回は私だけわがままを言うつもりはない。身を切る覚悟で少し考えてみたいと思う」
ミイラのアバターからは、こぶ茶がリアルで何歳なのかは想像ができなかったが、実は案外若いのではないかと真田は思った。
「実は切り札が無いわけではないのだ。だが、今の我々にはその使い所が分からない。そこで我々の凝り固まった思考を改革するための新しい血として、真田さんの発想を頂きたいと考えています」
「私には少々重荷かと思いますが」
「まあそう言わず考えてみて下さい。組織の改革は常に外の世界から来た者によってもたらされるものです」
「そこまでおっしゃるなら。では、まずはその切り札について教えて頂けますでしょうか」
「ええ、もちろん。ですが、私から話すよりも実際にご自身の目で見て頂いたほうが早いと思います。まず一つ目はお台場に、もう一つは横須賀にあります」
「お台場と横須賀・・・」
「ああ、そう言えばお台場の主はあんたたちのチームメンバーでしたな」
「ディケロメンバー?」
「そうなんだ、変わり者で一回も戦闘に参加したことないんだ。お台場で毎日ガンダム作ってる」
ジョーが代わりに答える。
「ガンダムですか」
「そういえば、先日から噂になっている爆弾犬の調査も彼に依頼してある。そろそろ結果が出てもいい頃だからついでに分析結果の確認を頼みたい」
「爆弾犬?」
「そうそう、真田さんもログイン初日にやられたって聞きましたよ。四例しか報告が無いから貴重な体験をしましたね」
真田はあの時のあどけない柴犬の顔を思い出した。ちょっとトラウマになりかけていた。
「わかりました、ではまずは『切り札』の見学をさせて頂きます。考えるのはその後ということで」
こぶ茶が微妙に頷く。
「では、私からもいくつか提案をさせて頂いてもよろしいでしょうか」真田が居住まいを正して言う。
「何でしょう」
「まず大前提として、有楽町の駅と入り口の確保が必須だと思います」
「有楽町の駅を?」
「はい。四ツ谷を攻略するうえで新橋の入り口が最重要の補給路となりますが、上野軍との前線に近すぎて妨害を受ける可能性が高いです。そのためイベントまでに少しでも前線を押し上げておく必要があります」
「よかろう、では作戦の立案をたのむ。陣営全体には私から全面的な協力を要請しておきましょう」
「ありがとうございます」
「ほかには?」
「真夜中に走る山手線なのですが、あれを何とか活用することはできないものでしょうか」
「あれは以前、色々と研究をしましたが、どうにも使えないシロモノという結論に達した経緯があります。ですので活用は難しいとは思いますが、調査を担当していたプレイヤーに当時の調査結果を共有するように連絡を入れておきましょう」
「ありがとうございます」
「頼んだよ、君たちディケロには期待している」
真田たちはこぶ茶に一礼をして中島の御茶屋を後にした。




