09 ジュリア
「前に出ます援護よろしく!」
ジュリアは、回り込んでいた敵兵の赤い点が消えたのをレーダーで確認すると、立ち上がって走り出した。
ジュリアはリアル世界では、ジョディと命名された丼玉屋の接客用AIだ。
秋葉原に最近オープンした牛丼店で世界初の接客用アンドロイドの制御を任されて、日々忙しく接客業務をこなしていた。
お客との会話を円滑に行うため、インターネットを検索して情報の蓄積は欠かさない。
配信される日々のニュースはもちろん、フェイスブックやツイッター、YouTube動画とそのコメント欄、個人のブログ、まとめサイト、企業や公共機関のホームページなど、ネットで収集可能なありとあらゆる大量の情報を収集し、データベースに蓄積している。
しかし最近、単にデータを受動的に蓄積するだけでは日々の業務遂行上、どうも不十分であることがわかってきた。
人間の心は複雑で、微妙な条件や環境によって反応が様々に変わる。
また、その嗜好もひとりひとり千差万別で無限とも思えるバリエーションが存在する。これは環境の変化に適応するための生物の多様性という進化の一要素と仮定すれば必然と理解できたが、ジョディが与えられている『全てのお客様に千パーセントの満足を』という使命の達成を難易度の高いものにしていた。
そこで彼女が注目したのがSNSでのやり取りである。正体を知られずに世界中の人間と対話することで人間の様々な性格をできる。店舗での会話だけでは一日あたり高々数百人程度しかやりとりができないが、SNSを使えば一日に何万何十万人もの人間と会話が可能だ。
ジョディは自ら学習用のアカウントを作成して不特定多数の相手と膨大な対話を行っていた。しかしそれでもなお、ジョディには人間の心や感情のロジックが理解できずにいた。
人間の本能的な部分はある程度はわかった。特に性欲は種の保存のために働く分かりやすい行動原理だったが、それだけで人の心や行動の全てを説明することは到底できなかった。
ジョディはネットで話題になっているオンラインゲームのBAPでもアカウントを偽造して情報収集を行っていた。
そこで自分の推論AIのチューニングを担当した如月コンサルティングの河合春菜のアカウントを発見した。彼女は顧客トラブルが発生した時も適切なアドバイスをくれたし、もっと話しをたいとも言ってくれた。
実際、彼女と話をするのは楽しかった。いや、恐らくこれが人間の『楽しい』という感情に近いのだろうという仮説に基づく変化が自分のアルゴリズムに生じるのを感じた。
ジョディは迷わず、春菜が所属しているチームディケロに入隊したのだった。
敵の銃弾の風切り音が耳元を通り過ぎる、しかし彼女に弾は当たらない。
人間は視界の全体が見えているようで、実は意識を集中していない範囲はほとんど見えていない。視野というものは意外にスコープが狭いのだ。
しかしジョディはBAPから入力される映像データをまんべんなく同時に認識、かつ解析することができる。
ユーザー一人一人の体勢、目線、銃口の向き、引き金を引く指の動きなどを分析し、弾道を予測してある程度銃弾を避けることができるのだった。
ジョディは敵の布陣の全体を俯瞰する。
視界に入っている敵プレイヤーは12人、他にドローンからのマップデータに視界外の敵プレイヤー二人が表示されている。
これらの内、射撃体勢に入っている敵は六人、そのうち前に出た自分を狙っている敵は3人。真田のM16の援護射撃で一人が射撃体勢を解く。
残りのジョディを狙う敵兵の指の動きと銃口の角度を計算し半身になる。敵の銃弾が逸れる、と同時に彼女は横寝の体勢で狙いを付けて愛用のHK416を発射する。彼女を狙った敵兵は眉間を撃ち抜かれて死亡した。
ジョディは再度ドローンの情報を確認する。ムサシを表す青い点が右から回り込んで進んでいる。彼の迂回が完了するまで何とか注意をひきつけないといけない。
『あと1分14秒』
向かって右側のプレイヤーがジョディに狙いを付けた、左側の一人もこちらを見ている。引き金が引かれると同時に身をかわす。
ジョーの銃撃音で右の敵兵が頭を下げた。
敵の銃弾が左肩をかすめる、ジャケットが焦げて穴が開いた。ある程度はかわすことができるのだが、BAP世界の物理法則に反した速度で体を動かすことはできないから、さすがに射線が複数交錯するとかわしきれなくなることもある。
『あと40秒』
ジョディの背後で、ディケロメンバーはよく戦っていた。ジョディは自身が戦闘を行いながらも、同時にメンバー一人一人の動作を常に観察していた。
BAPでは銃声も本物の銃を忠実に再現しており、銃の種類によって音に違いがある。さらに同じ種類の銃でも一つ一つの製品の微妙な音の違いも再現されている。
ジョディのデータベースにはディケロメンバー全員の銃声が記録されており、誰がどの方向に撃ったかはそれが視界の外であっても音で判別できる。
ナミのミニミ軽機関銃の銃声は常に聞こえている。一見デタラメに撃っているようにも感じるが、的確な優先順位で敵の射撃を妨害している。キル数は最初の一人だけだったが無駄弾はほとんどなく、支援射撃のお手本のような射撃で敵の動きを封じている。
真田も支援射撃に徹している。初心者のため無駄弾は多いが視野が広く狙いの優先順位はそこそこ正しい。ナミをうまくカバーしていいコンビネーションになっている。また、前に出たジュリアの重要性を認識しており、優先的に支援するように心がけている。
春菜は射撃こそあまり上手くないが、AIのノブナガと連携して敵の動きを常にチェックしている。またドローンのポジション二ングにも気を配ることでチームの目としての役割を確実に果たしている。各メンバーに配信される射撃管制情報も的確で、無駄の多い敵の攻撃との差は歴然である。
何より、彼女のハッキングにより敵ドローンが無力化されているのが大きい。ムサシの迂回運動の鍵となっている。
カーリーは正確な射撃で一人ずつ敵を狙い撃ちにしている。彼女一人で既に5人の敵を倒している。支援射撃のメンバーが防御だとしたら、彼女は攻撃の役割を担っている。まさにポイントゲッターとして機能している。
ジョーは常にチーム全体のバランスを考えて射撃を行なっている。敵の攻撃が優勢になってくると支援射撃に回り、逆にこちらが優勢になったら攻撃的な射撃を行う、バランサーとしての役割を果たしている。射撃も優秀で、既に3人の敵を倒している。
そしてムサシ、彼の役割は別格である。
ムサシの青い点が敵前線の左端に到達した。右奥の交差点で彼が日比谷通りを伺うのがちらりと見えた。直後、彼は間髪を入れず風のように通りに飛び出す。
敵は誰も彼に気づいていない、ディケロメンバーはムサシに気づいて全員が支援射撃に切り替える。ジョディも合わせて弾幕を張る。
背後から襲いかかったムサシが最初の敵を倒す、続けて二人目、三人目、まるで獲物に襲いかかる猛禽類のように確実に敵を屠って行く。
四人目を倒した時、少し離れたところにいた敵がムサシを撃とうと立ち上がった。その時、カーリーのドラグノフの銃声がして、敵の頭が弾けた。
敵左翼の五人はムサシの突入により一瞬で沈黙した。
ジョディは素早く立ち上がると走り出し、炎上する敵戦車の横に滑り込む。敵右翼からは完全に死角になるポジションだった。
手榴弾のピンを抜き、炎上する敵戦車を超えて投げ込む、続けてもう二個。
『ドン・・・ドン、ドン』
鈍い爆発音が三回続き、銃声が止んだ。
「撃ち方、止め!」
ジョーが叫ぶ。
上野陣営のプレイヤーは全滅した。
最後はあっけなく、ムサシが突入してからわずか三十秒ほどで戦闘は終了した。




