第五十六話
ジョニトリーでの勤務。それにストーカーからの逃亡。極めつけは夏の夜の家出。
疲労困憊だし汗も必然的にかきまくっていた。だからシャワーを浴びてキレイサッパリ……ではあるが、気分は一切サッパリとはしていなかった。
脱衣所で愛猫さんが貸してくれたスウェットに着替え、ドライヤーでウィッグを乾かしてから被り直して、脱衣所にある洗面台の鏡を見つめる。
「はぁ……」
思わず零れたため息の理由は、顔だ。顔と言ってもあれだぞ、自分の顔を改めて見つめて不細工だなぁと思って零した訳じゃあない。問題は――。
「メイクを落としてしまった……」
ウィッグの位置を整えながら再度溜息。明らかに男だ。女装だ。そりゃそうだ。すっぴんなんだから。彩音の詐欺メイクがあってこそ俺は美少女になれていたのだ。すっぴんの俺がウィッグを被ったところでただの女装してる青年だ。
このまま愛猫さんの前に面を出したら、まず間違いなく驚かれるだろうし、女装だとバレるだろう。そのまま通報である。うん、間違いない。
だからと言ってこのまま浴室および脱衣所を占領し続けたところで事態は好転しないのは明白。もう既にたぬきうどんは食べ終えているだろうから、愛猫さんもさっさとシャワーを浴びて寝たいだろう。
俺がこうしてウダウダとやっている限り、愛猫さんの睡眠を妨げる原因になってしまう。ただでさえ睡眠不足が懸念されている愛猫さんなのだ。俺が原因で更に疲労を蓄積させてしまうのは本懐ではない。
「考えろ、早急に。この場をうまく切り抜ける策を……!」
このまま出るのは愚策。であれば顔にマスクをするか? いや、ここはタオルだ! 蒸しタオルという名目の元、顔をタオルで隠して出るというのはどうだ! そして愛猫さんが風呂から出る前には寝たフリを決め込む。うん、それだ。
洗面台にあったタオルを勝手に拝借し、それを温水に浸す。そしてギュッと絞ってから顔をグルグルに巻く。
「……蒸しタオルってこんなやり方じゃないような」
ま、まぁ、何とかなるだろう。視界はすでにタオルで覆われていて、傍目からはまるで顔面だけミイラ男みたいになってそうだが、これで押し通すしかない。
脱衣所から外へ向けて声を発する。
「あ、愛猫さーん? タオルをお借りして、蒸しタオルしてるんですよー。いやいや、勝手にお借りしたタオルは事後承諾になってしまうんですけど、ともあれ知ってます? 蒸しタオル。血管が開くらしいですよー。血管が開くぐらいですから、多分ドーパミンとかが分泌されてとてつもない効能を発揮すると思うんです。若返り効果はおろか、不老不死すら夢じゃなさそうですよねー」
我ながら滅茶苦茶だ。が、返答はない。
数秒、十数秒と待ち、それでも返ってこない反応に、俺は痺れを切らすというより、不審に思って脱衣所を恐る恐る出た。
「愛猫さーん? 入りますよー?」
顔に巻いたタオルに隙間を作り、右目の視界だけ確保した上でリビングに足を踏み入れる。と。
「すぴー……すぴー」
イビキというか、開いた口から微かに漏れ出る呼吸音の出所は、リビングのソファーで横になる愛猫さんからだった。
ジャケットは脱いでいるがブラウスは着たまま。そしてテーブルの上には食べ終えたたぬきうどんの容器もそのまま。
「寝てる、か……」
俺はぐるぐるに巻いていたタオルを一旦外す。そしてソファーにかけられていたブランケットを広げて愛猫さんの体を覆った。ブランケットが元々置かれていた所を見るに、ここで寝ることが多いんだろう。
それとついでにテーブルの上に置かれていたたぬきうどんの容器を台所へと持っていき、軽く水洗いしてからゴミ箱へと捨てた。
「さて、と」
……俺は一体どこで寝れば良いんだ? 多分寝室はあるんだろうが、家主の断りもなく勝手に使う訳にもいかない。それ以前に俺の真の素性を知らない愛猫さんの寝室を許諾があっても使うのは気後れする。
本来なら俺こそがソファーで寝るべきなのだが、そこは既に愛猫さんが陣取っていて。
「はぁ……まぁ、何でもいいや。今日は疲れたからどこでも寝れそうだ」
一人ごちながら、俺はリビングの隅へ移動すると改めて顔にバスタオルを巻き付け、そのまま床に寝そべった。
床は固いが少しヒンヤリとしていた。すぐに眠れてしまいそうだ。
「明日は、どうしようかな……」
瞼を落として考えてみるも思いつかない。
「そういえば……あいつは、八日は今頃ゾンハンやってんのかな……」
俺もやりたかったが、今はそれどころじゃない。明日はとりあえず漫画喫茶にでも行ってゾンハンにログインしてみるか。
なんて考えている内に、まどろんでいた意識は完全に途絶えた。




