第五十四話
カッチカッチとハザードの音が響く車内にて。俺は女装したまま助手席に腰かけ、運転席と後部座席には……誰もいなかった。
補導されたわけではない。女装姿を見咎められて連行中でもない。そもそもパトカーではない。
俺が乗っている車は、黒塗りのミニバン。
「お待たせ、買ってきたわよ」
「あ、すみません、ありがとうございます」
車の所有者である愛猫さんがドアを開いて運転席へ乗り込んだ。その際に手に握っていたビニール袋を俺へと差し出してきた。
受け取った中身を検める。そこには二足のサンダルが入っていた。
愛猫さんはハザードを消すと、ディスカウントショップの傍に止めていた車を発進させた。
「それにしても、家出だなんて青春ねー」
「あはは……」
角を曲がるために身を乗り出して左右確認する愛猫さんの横で、俺は引き攣った笑みを浮かべていた。
「ご家族と喧嘩して、文字通り着の身着のまま、靴も履かずに家を飛び出したんでしょ? 私も一回はそんな経験してみたかったわ」
「靴は履いた方が良いですね。そこは反省しています」
「いえ、良い事が聞けたわ。家出するなら靴を履く。いつか私が家出する時にもきっと脳裏をその言葉が過ぎるわ。っと。この辺なら落ち着けそうかしらね」
そう言うと愛猫さんは人通りの少ない路上の隅に車を停車させた。再び車内にカッチカッチとハザード音が響く。
「あ、靴っていくらしましたか?」
見計らって財布をケツのポケットから取り出すが、愛猫さんは一笑した。
「別にそのぐらいいいわよ。太田さんへの日々の感謝の気持ちということで」
「いいえ、出します。むしろ感謝してるのはこっちの方なんですから。多めに出します」
「そう? それなら……999円だったから、千円貰っちゃおうかな」
「1円だけですか? それだと私の気持ちが収まらないんですけど」
「なーに言ってるの。私も感謝してるって言ったでしょ? 1円でも多く貰える私の方が申し訳ないぐらいなのよ」
ぐぬっと唸りつつ、俺は千円札を一枚取り出す。と、愛猫さんはそれをひょいと掻っ攫っていった。
「毎度あり。はい、これでこの話は終わりってことで」
「え? ……あ、というか本当にサンダルは999円だったんですか?」
「覚えてないわ。それにこの話はもうお終いよ? それよりこれから行く当てはあるの?」
ズルい。絶対に999円じゃない。だが、これ以上問い詰めても愛猫さんはのらりくらりとやり過ごすだけだろう。
嘆息してから愛猫さんの質問に答える。
「行く当ては、漫画喫茶ですかね?」
「どうして聞き返すのよ。それに満喫と言っても年確されるんだから、寝泊まりは出来ないでしょう?」
「そうですね……」
カーナビを確認してみれば、表示された時刻は21時。店によってはもう未成年は入店しても追い返されるだろう。漫画喫茶に限らずカラオケもダメだろうな。年齢確認が緩いところなら行けるだろうが……パッと浮かぶのはスーパー銭湯か。
ただそうなるとメイク落としを持ってないからコンビニとかに寄らなきゃいけないな。メイクを落としてここから最寄りのスーパー銭湯まで歩いて行って、到着するのは少なく見積もっても一時間半後とかだな。もしもそこで年齢確認されたら詰みだな。
あぁ、ちなみにこの女装姿のまま入るのは勿論だが論外だ。寝泊まりする場所が警察署になること間違いなしだ。
そうしてああでもないこうでもないと思案する横で、愛猫さんが口を開く。
「はぁ。仕方ないわね。私の家に来る?」
「……え?」
「ずっとはダメよ? でも一週間ぐらいなら構わないわ。このままバイバイまたねーって訳にもいかないでしょ」
「……え?」
「あ。でもこの場合未成年者監禁だの誘拐だのにならないかしら? うーん。まぁ、でも大丈夫か。太田さんが男の子だったら問題あるかもだけど、女の子だし」
「……」
男の子なんですが……。




