第五十三話
勢いあまっての家出開始。いや、勢いあまってではない。成るべくして成ったのだ、この家出は。
父親とは言え、あんな不遜な態度でいられたら黙ってられないだろ。こっちがちょっと下手に出てやれば、好き勝手嫌味だけ言いやがって。嘘があーだのこーだの。許すだの許さんだの。正直、途中から何言ってるか意味不明だったっつーの。こっちの理解力に合わせろ!
もうこうなったら父さんが頭を下げて、何なら土下座して、「帰ってきてくださぁい……」とか情けない声で言ってきても帰らん。顔を地面にこすり合わせながら頼み込んできても帰ってやるかっての。ふざけんな。
憤慨である。肩を怒らせながら自宅の敷地を出て、それから五分後――。
「帰りたぁい……」
公園のベンチに体育座りする俺は、顔を膝にこすり合わせながら情けない声を上げていた。
「すんっ……せめて靴、素直に貰っておけばよかったぁ……」
靴下のみで路上を歩くのは、思いの外辛い。アスファルトのちょっとした凸凹や小石が俺の足の裏を攻撃してきやがる。……それに何より。
「すんっ……絶対犬のウンチ踏んだ……ぐす」
家を出てすぐだった。あの時の俺は発奮していたから、路上に目もくれずに歩いていた。が、ぐにゅっという足元の感触が途端に俺の熱を冷ましたのだ。
何を踏んだのかは見ていない。見ない事で、観測しないことで確定させなかったのだ。そうすることで精神衛生を保とうとした。だが、こうして膝を抱えてみれば近くなってよく分かる。臭い。絶対に犬のウンチを踏んだ。
「とりあえず洗お……」
鼻をすんすん鳴らしながら靴下を脱ぐと、公園の水道をお借りしてそれを洗う。
「うわぁぁぁっ、やっぱり犬のウンチだぁぁぁぁ」
惨めである。夜に靴も履かずに徘徊し、犬のウンチを踏んだ靴下を公園で洗う。この上ないほどに惨めである。
水洗いを終えると、俺は靴下を履きなおした。勿論濡れている。が、乾くまで待てるはずもない。洗いながら思い出したが、例のストーカーがまだ付近にいる可能性だってあるのだ。
「とは言っても、今はウィッグを外してるし、多分気付かれないだろうけど」
家の前でずっと待ち伏せされていたら話は別だが、俺が家を出てからそれなりに経っているのだ。その間に何らかのアクションを起こすもんだろ。知らんけど。
何にせよ、深夜になる前に寝床を探さなくては。家に帰る選択肢は毛頭からない。父さんが詫びを入れてくるまで家出してやる。最悪公園の個室トイレで寝るぐらいの覚悟はある……いやそれは嘘である。流石に耐えられない。出来れば屋内が良い。贅沢を言うなら家。百歩譲ってネカフェ。
だが簡単に家に泊めてくれるような知り合いなんていないし、ネカフェだって年齢確認されて追い出されるのがオチだろう。となると俺がとりあえず出来る事は……。
十分後。相変わらず公園にて。
「『16歳。家出中。今夜泊めてくれる方を募集中』っと」
SNSで新規アカウントを作った。サムネイルはウィッグを被って顔を手のひらで覆った写真だ。たった今撮ったものである。
そして今しがた打ち込んだ文章を送信――。
「――するかボケェ!!」
セルフノリツッコみしながら、打ち込んだ文章を消す。アカウントも削除。
「危ない。気の迷いでとんでもないことをしかけた」
自分で言うのも何だが、今の俺は美少女だ。そんな美少女が家出して泊めてほしいなんて書き込めば、それはもうとんでもない夥しい量の返信が来ること請け合いだ。……ホント自分で言うのも何だな。
ともあれ、そんな方法で泊まる場所を見つけた所で最悪の展開しか想像できない。よくて拉致監禁、最悪殺傷事件である。経緯は想像するだけでも恐ろしいので割愛。
「はぁ、どうしよう。こんなしょうもないことしてる時間なんてないのに」
ベンチに腰かけて頭を抱えてしまう。しょうもないことをしている際に彩音からメッセージが来ていた。
『どこにいるでありますか? 皆心配しているでありますよ』
というものだった。絶対に嘘。彩音や母さんは心配していても、父さんは心配なんてしていない。あんな侮蔑的な眼差ししてたんだ。むしろあれで俺が帰ってきて「心配したんだぞ」なんて言って駆け寄ってきたら怖すぎて即刻二度目の家出を始めるぞ。
……とは言え、当てがない。駅前に行けば泊まれる場所を探せるかもしれないが、靴も履かずに駅前なんて、警察に職質されて強制帰宅だろう。せめて靴。靴さえあれば。
「コンビニに靴とか売ってないかな? 売ってないだろうなぁ。でもとりあえず一回行ってみるか」
ベンチから重い腰を上げて最寄りのコンビニを目指すこととした。先ほどストーカーを撒いたコンビニだ。近辺にまだストーカーがいれば危険だが、背に腹は代えられん。それに万が一見つかっても走ってまた撒いてやるさ。こちとら元陸上部部長だぜ?
……なんて無理やり自らを鼓舞してみるが、いざ公園を出る際には物陰にサッと隠れて辺りを確認。安全を確認したら進路にある別の物影へとサササっと移動。そして再び辺りを確認。ストーカーを警戒しているはずの俺の方が不審者になってしまっていた。
「こんなはずじゃなかったのに。連勤終わりで今頃はゾンハンやってたはずだったのに……」
八日はログインしてるかな? リンネさんが引きずりだすみたいなこと言ってたけど、成功したんだろうか。せめてネカフェに泊まれればIDもパスワードも記憶してるから俺もログインできるんだけど。
なんて考えていたら、黒塗りの車がT字路を曲がってこちらへとやって来た。
車とすれ違いながら俺はとぼとぼと歩く。が。
「?」
異変に気付いて俺は後ろを振り返った。
そこには先ほどの黒塗りの車が路肩で停車していた。そこで俺ははたと気付く。
――もしかして、さっきのストーカー!?
慌てて俺が走り出そうとする寸前、車の扉が開き。
「太田さんじゃない、さっきぶりね」
「あ、愛猫さん!」
車から降りてきたのはスーツ姿の愛猫さんだった。




