第五十二話
ドアを開いて出くわした父さんは、対面の壁に背中を預けながら腕組みをしていた。
俺の反応で彩音と母さんも事態を把握して緊張感を漂わせているのを背後で感じる。
ともあれここは俺が乗り越えなくては。下手に助けを求めるのは愚策。
「と――彩音ちゃんのお父様。どうされたんですか?」
ジョニトリーでの接客なら自然に笑顔を披露できるようになったが、実の父親相手に女装姿でってのはなかなかに難儀だ。頬がぴくぴくするぜ。
けれど救いは父さんが俺を一瞥しか寄越さないこと。まじまじと見つめられたらバレちまいかねないからな。
父さんは相変わらずこちらに目線を向けずに口を開いた。
「家族と話したいことがあってね。花実さんこそ、どこへ行こうとしているのかな?」
俺の部屋である。が、そんなことを言えるはずがない。何がどう間違ったら彩音の友達である花実ちゃんが唐突に俺の部屋に行くんだってなる。
「そ、その、お手洗いを借りたくて……その間にお二人とお話しいただければ」
「トイレか。それなら一階に降りて右手にあるよ」
「ご丁寧にありがとうございます……」
心臓がバクバクする中、父さんの前を通り過ぎて階段を降りていく。と、その途中で。
「花実さん。少しいいかな?」
呼び止められた。父親に。
「は、はい」
仕方なく振り返ると、彩音と母さんが心配そうな顔で廊下に出てきており、父さんは階段の前で俺を眉を顰めながら見下ろしていた。
「花実さんは司をご存知かな?」
「えっと、彩音ちゃんのお兄さん、ですよね? お会いしたことはありませんが、存じ上げています」
「……司は小さい頃はひた向きで、自慢の息子だったな。まぁ、私が司に面と向かってそんなことを言ったことは無いが、あいつも分かっていてくれていただろう」
なんか語り始めちゃったんですけど! しかも階段を降りて俺に近づいてきてるんですけど!
確かな足取りで一段一段降りてくる父さんに、俺は身構える事すら出来ずに見守るばかりで。
「中学でも陸上部の部長を務めて、チームワークや責任感を養えるだろうと私は内心で喜んでいた。が、直ぐに司は骨折して、部長どころか陸上部も辞めてしまってね」
この感じ――バレてる! 俺が花実ではなく息子の司だと絶対にバレてる!
どうしよう、どうすればいい?
「お、お父さん?」
母さんが背後から声をかけるが、父さんの歩みは止まらず、俺が立つ一段上の階段まで足を進め。
「それから司はすっかり落ちぶれてしまった。ただ、それでも我が子だ。家族だ。司には司の人生がある」
そう言って父さんは俺の――横をすり抜けていった。
最悪ぶん殴られると思っていた。覚悟していた。だが、父さんが俺を素通りして更に一階へと降りていく。
「すまないね、花実さんには関係のない話だろうに」
もしかして、バレてない……?
「そんなことは。大変興味深いお話です」
たははーっと渇いた笑い声も上げるが、父さんはこちらに顔を向けることなく一階へと降り切ってしまった。
父さんの姿が見えなくなり、俺は二階の廊下にいる花実と母さんに顔を向ける。
俺たちは三人して小さく頷き合う。俺たちの心はこの瞬間繋がっていた。全員が思ったことは一つ。
『今の内にメイクを落とそう!』
善は急げと俺は階段を一歩踏み上がろうとした時。
「それで、だ。本来なら先ほど気付くべきだったんだろうが、これは何だ?」
背後から父さんの声が聞こえた。誰への問いかけか。間違いなく、俺だ。
振り返りたくは無かったが、振り返らざるを得ない。
振り返ったと同時に、父さんはちょうど階段を上り始めたところで。そしてその手にはとあるものが掲げられていた。
「あ」と真っ先に声を漏らしたのは彩音。すかさず母さんも「あー」と何かを察したように声を上げていた。
その中で、俺は二人よりも三秒遅れで事の次第に気付いて「ぁ」とか細く発した。
父さんが掲げたそれは。
「この靴は、司が最近履いているものだ。これ以外に玄関には私とお母さんと彩音の靴しかない。君の靴はどこにあるのかな?」
赤のビビッドカラーのスニーカー。ジョニトリーの面接前に彩音が用意してからというもの、すっかり愛用していた靴だ。
どうすればいい。
どう切り抜ける。
……ダメだ、思い浮かばない。
「パパ、違うのであります! 花実の靴はソールがすり減ってしまっていて、ちょうど今さっき私の部屋でソール交換していたのであります。私はソールを余るほど持っているでありますから」
ナイスだ彩音! 少し強引な気もするが、それでもお前の部屋ならソールもそうだが靴なんて探せばいくらでもあるだろうからな。言い訳は後でいくらでも付け加えられる。
と思ったのも束の間。核心を父さんは告げる。
「なら、この靴の持ち主の司はどこにいるんだ?」
そうだ。俺の靴があるってことは花実ではなく俺が家の中にいなくてはならない。
すっかりお手上げの俺に代わって彩音がなおも食い下がろうとする。
「それは……別の靴を履いて出ていったのでありま――」
「彩音」
「ッ」
彩音は肩をびくっと震わせた。父さんの声は怒気が僅かばかりではあるが混じっていた。そして父さんから溺愛されて育ってきた彩音の口を閉じさせるのにはそれだけで十二分だった。むしろそんな僅かな怒気すら、父さんが声に込めて彩音に向けたのを俺は初めて聞いた。
父さんはそのまま話を続け。
「私はな、家族にならいくら迷惑をかけられても構わない。嘘だってつかれても許す。だが、家族が人様に嘘をついて迷惑をかけることは許せない。だから彩音はまだ良い。一番許せないのは司だ」
「それは違うであります! そもそも私が司に――」
「だあああ! うるせええええ!! そうだよ、俺だよ、花実じゃなくて俺は司だよ!!!」
父親と妹に挟まれながらやり取りを聞き続けていたが、もう限界だと理解し、俺は声を張り上げた。そしてその際に頭に被っていたウィッグも取っ払って父さんを見つめる。
父さんはまったく驚いた様子もなく俺を見返してきた。侮蔑的な眼差しで。
「何なんだ、その態度は?」
「態度? 知ったこっちゃねぇ! そんなに俺が許せないってんなら出てってやる!」
俺はウィッグを片手に持ったまま父さんの横を通り抜けて玄関へと向かう。
「逃げるのか?」
「うっさい!」
俺は玄関で父さんの靴を一足拾い上げると、そのまま階段にいる父さん目がけて投げ放った。
だがあえなく父さんはキャッチ。
「反抗期か、まったく。ほら、せめて靴でも履いていけ」
そう言って父さんは俺の靴を放り投げてきた。
玄関口でビビッドカラーの赤い靴が二足着地。横に倒れたそれを俺は一瞥してから。
「いらねぇよそんなの! ばーか!」
と言い残すと、呆れた顔をする父さんと、心配そうな母さんと、今にも泣きだしそうな顔をしている彩音をそれぞれ流し見てから家を出て行った。




