第五十一話
「ま、ママ!」
彩音の部屋に入ってきたのはペットボトルを片手に持った母さんだった。
彩音が少しだけホッとした様子だ。俺もまた胸を撫でおろす。ここで母さんではなく父さんが現れていたら、面倒くさいことになっていたのは間違いないからだ。俺の正体が父さんにバレでもしたら、家から蹴り出されていた事だろう。「お前とは勘当だ!」とか吐き捨てられてな。これだから昭和のオッサンは困るぜ。
なんて最悪の結末を避けられはしたが、それでもまだ気は抜けない。
母さんだって今目の前にいる少女が女装している俺だって気付いたら、卒倒するだろう。そして騒動を聞きつけて父さんがやって来るんだ。そしてやっぱり俺を家から蹴りだすんだ。許せねぇよ昭和のオッサン。
というわけで俺は背筋を伸ばしたのだが、彩音もまた似たように緊張感を伴っていた。けれど母さんはそんな俺と彩音を見て、クスっと笑いながらドアを閉めた。
「どうして二人して立っているの? 座ったら?」
「そ、そうでありましたね。花実、どうぞであります」
彩音がクッションを手渡してきた。が、そのクッションは彩音が普段使っているチェアに備え付けられたクッションである。明らかに客人に渡すものではない。とは言えここでそれを指摘するのは酷。
「あ、ありがとう」
俺は短くお礼を述べてから、クッションを床に敷いてその上に正座。彩音はクッションの無くなった自分のチェアに腰を下ろす。
確かにこれで二人とも座りはしたが、これは……。
頬が引き攣る俺を見下ろす形で、母さんは吹き出すように笑った。
「か――お母さま……?」
俺が狼狽えながら呼びかけると、今度は腹を抱えながら大笑いし始めた。
愛想笑いというより苦笑いを浮かべながら、俺が目線を送った先の彩音は真顔だった。そして。
「もしかして……バレてるでありますか?」
バレてる? 何が?
なんてきょとんとする俺を他所に、母さんは頷いた。
「当然ですよ。私はあなた達の母親なんですから」
そこまで言われて俺は漸く気付いた。
――母さんには女装している俺がバレている、と。
「いつからでありますか……?」
「それよりも、ほら」
母さんは持っていた水の入ったペットボトルと、小さな何かを彩音に手渡した。
「……痛み止め、あったのでありますか」
「はい。ごめんなさいね。薬箱の中に無かったのは、お父さんが片頭痛で使って台所に置かれていたからなの。さっきお父さんが自白していましたよ」
自白って……。あの後父さんに母さんが詰め寄ったんじゃなかろうか。父さんは母さんに絶対服従だからな。
彩音は受け取った薬をフィルムから取り出して口に含むと、渡された水で飲み込んだ。
「ありがとうであります。それで、ママはいつから――」
「最初からですよ」
「「最初から……?」」
俺と彩音の声が重なった。それを母さんは一笑してから言葉を継いだ。
「はい。元々は司がアルバイトを探していて、その手助けを彩音がしていたのでしょう?」
「な……それも知っていたのでありますか?」
「当然です。貴方たちは兄妹仲は悪く無かったですけど、それにしても司がアルバイトを始めてからは頻繁に彩音が司の部屋に入っていたでしょう? それに、司が忍び足で家を出入りしていれば察するものです。お父さんは気付いていなかったですけどね」
「まるでパパが鈍感みたいな言い方でありますね」
「その通りだけど? そんなことより」
父さんはそんなこと呼ばわりなのか……と不憫に思っていたら、母さんの真剣な眼差しは俺に向いた。
「司」
「はひ……」
思わず噛み気味に返事をしてしまう。が、母さんはにっこりと微笑む。
「可愛くなりましたね」
「……全然嬉しくない」
褒められているのか皮肉なのか何なのか。母さんの意図を図りかねながらも本心をポツリと呟く。
すると、表情は柔らかなままで母さんは続けた。
「ですがその可愛らしい姿で、悪いことをしているのではありませんよね?」
「ぎくっ」
「ぎく?」
溜まらず旧時代的な反応をしてしまった俺に、母さんが首を斜めにした。
悪いことなんて何もしてない……とも言い切れない。というか悪いことしまくりだ。
俺の働くジョニトリーは男子禁制の職場だ。店長である愛猫さんだって俺を女であるから採用した。俺が男だとは未だに知らないだろう。
それに履歴書だって性別を偽っている。これは彩音が勝手に証明写真とか諸共を予め用意したもので、俺はそのことを知らずに提出したのだが、今となってはもう共犯だ。彩音に責任を負わせるわけにはいかない。むしろ彩音は俺を面白が――思っての行動だったのだから。うん。多分。
だから俺はそれを説明するために口を開き。
「全部私のせいで――」
「全部俺のせいで――」
「「え?」」
俺と彩音は同時に言葉を発し、しまいには顔を見合わせた。
そしてそれを見た母さんは肩を震わせながら笑っていた。
「分かりました、二人とも。やっぱりあなた達は兄妹ですね」
何だか不本意だが、母さんが納得してくれたのなら良かった……のか?
どう反応すべきか困惑していると、母さんが続けた。
「とりあえずお父さんには言わないから安心しなさい。言ったら、彩音は許されるでしょうけど、司はきっとお家を蹴り出されますから」
やっぱりそうですよね、俺は蹴り出されますよね……。
夜とは言え真夏に行く当てもないってのに蹴り出されたら地獄だからな。そうなったら交番にでも行ってやろうかね。「父親に蹴り出されました!」とか言ってね。「家庭内暴力です! 児童相談所に連絡してください!」とか言ってね。滅茶苦茶大事になりそうだな。地獄どころか大地獄だな。
というあったかもしれないバッドエンドを妄想する俺を他所に彩音と母さんは会話を続けていた。
「ひとまず司にはメイクを落として貰って、花実という女の子はパパには気付かれない内に出て行ったと思わせるのが良いでありますかね?」
「そうですね。お父さんは先ほどの謝罪も兼ねて花実ちゃんのお見送りしたがるでしょうけど、そこは私が説明しますから、とりあえず司はメイクを落とすべきね。そうすればお父さんにバレることもないですし。ちなみに花実ちゃんという名前はどちらが考えたの?」
「私であります。司が子供の頃によく鼻水を垂れていたのを咄嗟に思い浮かんで付けたのが花実であります!」
「あらー。彩音は物覚えが良い子ねー」
「えへへー」
母さんに頭を撫でられながらくしゃくしゃの笑顔を披露する彩音。文句を言う隙も見当たらない親子の団らんである。俺を山車にしてるのがとても癪だが、今はそんなのはどうでも良い。
「それなら彩音、早速メイク落としをくれ」
「はいであります」
彩音は机の上を見渡してから「あ」と言い。
「昨日司に貸したままでありますよ」
と返された。そこで俺もはたと思い至る。
そう言えば昨夜メイク落としを切らしていた。後で彩音に借りようと思ったままゾンハンをプレイし続けて、ログアウトしたのは深夜だった。
それから彩音の部屋をノックして声をかけると、彩音はベッドでうつらうつらとする中で、
「机の上にあるので、勝手に取ってくでありますー」
と返事をした。なのでメイク落としを拝借し、顔をキレイサッパリにした上で俺は、
「彩音も寝てたし、今から返しに行って起こすのもかわいそうだな。うん。寝よう」
――と、自室で就寝したのだ。
それを思い出した俺は勢いよく立ち上がった。
「そうだったな。じゃ、ちょっくらメイク落としてくるわ」
さっさとこんなめんどくさい事終わらせないと。俺の精神衛生上よくないのもそうだが、今日は月曜日。通称ゾンハンデー。
サ終するって話をしてから八日はログインしてこなかったけど、今日はログインしてくるだろう。さっさと入ってやんないと。
なんて考えながら俺は彩音の部屋のドアを開き――。
「――おあッ!?」
「……」
出くわした。無言で俺を見つめてくる父さんと。




