第三十六話
目の前には正しく長蛇と呼ぶに値する列があった。炎天下の中、人がこれでもかと並んでいる。ザっと数える限り、少なくとも百人は並んでいる。そして俺もその蛇の腹の一部。後ろを見ればやはり百人以上が並んでいる。あえて言えば蛇のようにとぐろを巻く列ではなく、きちんと整列している。救いはそれぐらいだ。
「にしても、あちぃー」
汗ばんだ胸元に空気を送るためにTシャツの襟首を摘まみ、一パタ二パタ。そこで停止。手を下ろす。
そう、今日は『女装中』だ。比率として女性の方が多く並んでいるとはいえ油断は禁物。って何の油断だか。と思ったのもつかの間。後ろに並んでいた若いカップルが。
「もう、どこ見てんの?」
「え? いや、見てるのは君だけだよ」
「嘘つき! ばか!」
「あ、ちょっと!」
そんなやり取りの末に、女性の方が肩をいからせながら列から抜け出してしまい、その後を男性が慌てて追って行ってしまった。
正直、男性の方が俺に何となく視線を向けているような気はしていた。が、勘違いだろうと思い無視していた。となると、もしかして俺のせいで喧嘩してしまった? だとしたら罪作りな男だぜ、俺も。まったく嬉しくないけど。
「はぁ。早く列進まんかねぇ」
ジョニトリーの勤務もないのに女装姿で一人ぼっちで列の只中にいるのには訳がある。そりゃああるよ、なきゃおかしいだろ。お天気お姉さんが言うには「今日は外出する際には飲み物を持参し、出来る限り屋外の行動は避けましょう」とか言ってたぐらいだし。そんな中で訳もなくメイク万全の女装姿で出歩くだなんて狂気の沙汰だろうが。
んで、その訳、原因となった人物はただ一人。そいつに誘われてしまったがためにこんな姿でこんな長蛇の列に並んでいるのだ。
そもそも俺は暑いのは嫌いだし、人混みはもっと嫌いだ。夏コミ以外で暑い中、人混みになんて自分からは絶対に行かない。
「そんな夏コミも来週か。楽しみだぜ」
ブースはどこ行こうかねぇ。最近忙しかったせいでカタログもろくに見ていないし、ドキドキメモリーズ以外に回る場所をまだ考えていない。んー。どうしたもんか。
と、腕組みしながら一人で「うーん」と唸っていたら、俺がこんな場所で並んでいる原因がやって来た。
「何を悩んでいるでありますか? 晴れ晴れマリオで何を頼むかでありますか?」
彩音だ。今日はツインテールに白のワンピース姿。黒の日傘を差していたが、それを折りたたみながら俺の横に並んだ。
「いや、普通に夏コミの事考えてた」
「ここに並びながらそんなこと考えているのは普通ではないでありますよ」
「そうか? 晴れ晴れマリオのハンバーグは一種類しかないみたいだし、ソースはデミグラスで良いだろ。悩むとしたらせいぜいトッピングにチーズを付けるか付けないかぐらいだ。だったら夏コミでどこ行くか考えてる方が有意義だろ」
「ここに並んでる人が聞いたら反感を買いかねないことをペラペラと……」
「本音だから仕方ないだろ。それにそんな俺たちの会話を聞いてるやつなんて――」
――いねぇだろ。と言いかけて口を噤んだ。何故なら、滅茶苦茶周りから注目を浴びていたから。
「ねぇねぇ、あの女の子たち、すごい美人じゃない? 芸能人かな?」
「そうかも。しかも顔似てるよね。姉妹なのかな?」
「いいなぁ、姉妹揃って美女。いいないいなぁ」
という声が俺たちの後ろの方から聞こえてきた。見てみれば二人組の女性だった。
俺は何となく、もしも俺が女装姿でなかったらどんな反応だったかを想像する。
「ねぇねぇ、あの女の子、すごい美人じゃない? 芸能人かな?」
「そうかも。でも一緒にいる人、根暗の権化みたいな顔面だよね。兄妹……ではないよね」
「ないない、あんなのが兄だったら切腹するよー。恋人も論外、審美眼を疑うよ。きゃっきゃっきゃ」
「チッ……ふざけやがって、何が切腹だこの野郎。お前の腸と目玉をこねくり回してハンバーグにしてやろうか」
「司。自分の妄想にぶつぶつ言いながらキレるのは、兄妹からすればあまり笑えないであります」
「何で妄想してたって分かんの!?」
「兄妹だからであります」
すげえな兄妹。俺はお前の心がまったく読めないけどな。
「それより、はい」
「ん? ああ、日焼け止めか」
差し出された日焼け止めを受け取りながら、そもそも何故俺が女装姿で晴れ晴れマリオの列に並んでいるのかを回顧する。この俺がそこまでしたのには深い訳があるんだ。話は今日の早朝に遡る。
「司。昨日駅前に出来た晴れ晴れマリオに行きたいであります」
「行ってらっしゃい」
「にこやかに手を振ってないで、司も一緒にであります」
「行きません」
「私が一人で行ってナンパでもされたらどうするでありますか?」
「はっ。どうぞどうぞ。ナンパされまくってください」
「分かったであります。一人で行くであります。その代わり、司には今度からナンパされそうなメイクとコーディネートを私が提供するであります」
「行きますか。いえ、行きましょう」
「物分かりが良くて助かるであります。それと兄妹と言えど傍目から男性と二人きりだと余計な噂が立ちかねないので、女装して頂くであります」
「おい、それは――」
「干物女って誰の事でありますか?」
「メイクアップをぜひよろしくお願いいたします」
――という海よりも深い訳があったんだ。うむ。決して彩音の言いなりになったわけではない。何なら兄としてたまには妹への感謝を行動で示そうという考えがあったからだ。うむ。……自分で言ってて悲しくなる。
そんなこんなで彩音と晴れ晴れマリオに並んだのだが、その途中で紫外線によるダメージとやらを気にした彩音が俺のためにドラッグストアで日焼け止めを買ってきていたのだ。
俺は受け取った日焼け止めをどぴゅーっと手のひらに出して顔に塗ろうとする。が、むんずと彩音に手をつかまれた。
「喧嘩売ってるでありますか?」
「は? 日焼け止めって塗りたくれば良いんだろ? 使ったことねーけど」
「もういいであります、貸すであります!」
貸すとカスを聞き間違えて、俺は『妹からカスとまで言い切られてしまった』とちょっぴりショックを受けていたのも束の間、彩音が俺の手に乗った日焼け止めを少量自分の手に取って、それを俺の顔に当てて薄く伸ばした。
俺はなされるがままで立ち尽くしていると、周りの声が耳に入る。
「美人姉妹で、しかも仲が良い」
「羨ましいなぁ。あんなお姉ちゃん欲しかったー」
一体どっちが姉なんだろうか。まぁ俺か。俺だよな? せめて俺であれ。
なんて考えていたら、どこかから聞き覚えのある声で。
「あ。太田さん?」
と、名前を呼ばれた。




