第三十三話
月曜の夜。毎週恒例のゾンハンデー。
ジョニトリ―での勤務を終えて帰宅し、俺は慣れた手つきでゾンハンにログインする。同時並行してメイク落とし。こっちもまた我ながらすっかり慣れた手つきである。将来はメイク落とし屋さんにでもなろうかな。
「それにしても、いつまでこんな生活が続けられるかなぁ」
今でこそ彩音がメイクをしてくれてるから成り立っている。が、もしも彩音が何か用事とかあって俺にメイクを施す時間が無かったらどうする? 例えば彼氏とデートするために自分のメイクに夢中になって俺へのメイクなんて二の次三の次になったりしたら?
「……ねぇな。あいつ干物女だし。彼氏とか作る気も無けりゃ出来もしないだろ」
ハッと一人で笑っていたら。
「司」
「ひえ」
突然背後から名前を呼ばれ、振り返れば入口に彩音が部屋着で立っていた。
メイク落としを当てた頬が引きついてしまっている。そんな俺を彩音は冷たい目を向けてきていた。
「ドアがきちんと閉まっていなかったでありますよ。パパとママにそんな姿が見られたら一大事でありますよ」
「そ、そうだな。俺は発狂するし両親は絶叫だからな」
「はい。それを見て私は抱腹絶倒でありますけどね」
「いや何でそこでお前だけ笑ってんだよ! サイコパスかよ」
「何にせよ不用心が過ぎるであります。この事は二人だけ――いえ、三人だけの秘密なのですから」
三人。俺と彩音、そして獅々田さんのことだ。この三人だけが、俺が女装している事を知って――。
「あ」
「どうしたであります?」
「いや……何でもない」
そう言えば彩音には伝えていなかったんだ。女装姿でマネージャーと会ったこと、そして俺だとバレたこと。つまり、俺と彩音と獅々田さんの三人だけではなく、マネージャーも俺が女装していることを知っている。
ただ彩音とマネージャーは俺の知る限り接点はない。わざわざ説明する必要もあるまい。
俺は『答えは沈黙』と自分に言い聞かせる。すると彩音は少しの間俺を鋭く見据えていたが、不意にそれは和らいだ。
「勝手にするであります。私は司の社会復帰のために尽力するだけでありますから」
「ええ、ええ。助かってますよー」
「滅茶苦茶不満げでありますね」
そりゃ不満げに聞こえるように返事したからな。
こちらとしては性別を偽って働くなんて、毎日気が気でないのだ。こっちの気持ちになってほしいぐらいだ。
……とはいえ憎まれ口までは叩かない。
彩音には感謝の気持ちはある。百回近くアルバイトの面接を落ち続けた俺がジョニトリ―に採用されたのは彼女のおかげだから。
そしてそれをきっかけにして色々な出会いと、様々な経験が出来た。
良いことばかりじゃないし、何なら悪いことだってあった。警察に厄介になった時なんか本当に社会的に抹殺されるのを覚悟したぐらいだから。
でも、それら全部をひっくるめて充実していた。充足感を覚えていた。
毎回メイクを施してくれている彩音も本当に俺の事を考えてくれているんだろう。遊び半分ではなく。
そう一度冷静になると、ここは一つお礼の言葉ぐらいは言ってやっても良いかもなと思い至る。
「……ま、あれだ。なんだかんだ、ありがとな」
「……」
「……いや、なんか言えよ」
「あの卑屈で自尊心の塊みたいだった司がお礼の言葉を言えるようになるだなんて」
「そこまで性根ねじ曲がってねぇだろ!」
「自覚してなかったのでありますか。私もですが、パパとママも心配してたであります」
「え。嘘。俺周りからそんなに性根ねじ曲がってる風に見られてたの?」
言われてみればそんな気が――。
「冗談であります」
「笑えないジョークやめろ」
「そんなハクビシンとアライグマの子供みたいな顔をしながらお礼を言われたら、冗談の一つも言いたくなるものであります」
指摘され、俺は彩音を見つめたまま無言でメイク落としを再開する。
彩音は鼻を鳴らして部屋を出ていこうとする。が、途中でぴたりと足を止めた。そして微かに聞こえる声で。
「私は司の味方でありますよ、いつでも。二人きりの兄妹でありますから」
「え……彩音」
思わず名前を呼ぶ。
……俺と彩音は同じ高校に通っている。周りからすれば俺たち兄妹を仲が良さそうとも悪そうとも評価しないだろう。何故なら俺たちは周りから見れば他人だから。
片や人気モデル。片や根暗そうな生徒。共通点なんて名字ぐらいだし。
そして両親ですら俺と彩音が険悪な仲とは思っていなくとも、そこまで仲が良いとは思ってないだろう。ただ同じ家に同居してて、ただ同じ両親から生まれただけと。
正直俺もそれに近い認識でいた。住む世界の違う人間が何故か一緒に生活してて、同じ血を持っている。
でも、俺は考えを改めなければならないのかもしれない。
彼女にとって血は、血縁は大事なんだと。
兄妹であることを、彩音は何よりも貴んでいるんだと。
であれば、俺も彼女に言ってやろう。万感の思いを込めて。
「彩音、おでもお前が妹で本当に――」
「あ。本題を思い出したであります」
「ほえ?」
慣れないクサいセリフを吐こうとして、ついつい噛んでしまった。が、そんなことは彩音からすれば些事だったようだ。
こちらを振り返った彩音は、永久凍土に百年ぐらい滞在したのかなって目をしていた。
「干物女で、彼氏も出来やしなさそうな人って、一体誰の事でありますか?」
「ひ、ひえ……」
諸手を上げて顔面蒼白になる俺を、彩音は汚物でも見るように眺めてから出て行った。
彩音が自室へと戻ったのをドアの音で確認すると、手を下ろしてクルっとパソコン画面へと向き直る。
「よし、切り替え切り替えっと。ゾンハンやろー」




