第三十二話 アナザーサイド後編
回顧を終えて瞼を開いたとき。
「二つ?」
横にいらっしゃる獅々田さんが首を斜めにしてましたわ。
「そうですわ。二つ。でも、一つはもう良いんですの。それよりももう一つが気になってますの」
「それは?」
「……どうして司は私を避けるようになったのか、ですわ」
「避けるように……それは中学の頃のお話?」
「ええ。中学二年の話ですわ。司が学校の踊り場で転落して骨折して、陸上部を辞めて。それからはずっと私を避けるようになってしまいましたわ」
「本人に聞ける雰囲気でもなかったんだ?」
「そうですわ。それに、何となくではありますけど、一つ思い当たる事がありまして」
「あるんだ。それは?」
私は暫しの逡巡を挟みました。獅々田さんはジッと私の答えを待っています。
十秒、二十秒、三十秒と沈黙が続き、私があまりの息苦しさに耐えかねて口を開いたのは、一分後でしたわ。
「……ク、……ですの」
「え? ク?」
我ながら蚊の鳴くようなか細い声でしたわ。ですが、次には意を決して立ち上がりながら声を張ります。
「私、オタクだったんですの! 何なら今もオタクなんですの!」
獅々田さんを見れば、狐につままれたような顔をしていましたわ。ですがすぐに破顔して、肩を揺らしながら笑っていらっしゃいました。
「な、なんですの!? バカにされてますの!?」
「違う、違うけど、すごいなぁって思って。太田君がオタクなのも、やっぱり柊さんの影響?」
「司がオタク……? 何の話ですの?」
すると獅々田さんは「あ」と口を覆い、「ごめんなさい、勘違いだったかも」と言ってらしたわ。
「柊さんは太田君に自分がオタクだって言わなかったの?」
「言ってませんわ。司はそういうの興味なさそうでしたし」
「ふむふむ。なるほど。でもオタクって言っても、色々あるよね? アニメとかゲームぐらいなら普通だし」
「私は自分でも引くぐらいのオタクですわ!」
「いちいち大声出さなくても大丈夫よ」
「……私は、自分でも引くぐらいのオタクですわ……」
「囁き声で話せって意味でもないんだけど……。ともかく、柊さんは太田君には自分がオタクであることを言ってなくて、それを太田君が察して避けられるようになったと思ってるんだ」
私は一つ頷きます。
「それ以外に考えられませんわ。私がオタクであることを司が感じ取って、気持ち悪いと思われてしまったに違いありませんわ」
「それは、うーん。ちなみにフライアーズで顔を背けてたのは、太田君にバレたくなかったからなの?」
「勿論ですわ」
「どうして?」
「気まずいからに決まってますわ! 喫茶店で顔を合わせたあの時だって、本当は心臓が大絶叫を上げてたんですのよ!? 今日だってお二人を見かけた瞬間にムンクもびっくりするぐらいに心臓が叫んでましたわ」
「あ。博識だ。あれってムンクが叫んでるんじゃないんだよね」
「そうですわ! そもそもムンクの叫びは作者がムンクで、作品のタイトルが叫びであって――ってそんな話をしてるんじゃありませんわ!」
私が赤面しながら身振り手振りを交えて反応すると、獅々田さんは上品にお笑いになられていましたわ。でもやはり意地悪さは感じられない。
「ねえねえ、もっと聞かせて? 柊さんのこと」
「私の事……私なんて別に地味で普通で――なんで笑うんですの!?」
「ご、ごめんなさい。くす。でも柊さんは少なくとも地味ではないわよ。だって私、あの時からあなたを認識してたもの」
「あの時……?」
「ほら、ジョニトリーで太田君がお客さんから絡まれて警察のご厄介になった時。柊さん、お客様としていらっしゃってたでしょ?」
「な、な、なんで知ってますの!?」
「知ってるも何も、柊さんぐらいキレイな人が制服姿でサングラスしながら一人でレストランに来てたら目立つに決まってるじゃない。だから喫茶ヴァラドンに入店して柊さんを見かけて、すぐに同じ人だって気付いたもの。ただちょっと近寄りがたかったけどね」
「な、な、な」
ライバル店の視察といえば変装。そのためにサングラスをかけていたのに、逆効果だったんですの!?
驚きのあまりパクパクと口を開閉するだけの私へ、獅々田さんは温かい笑顔を向けますわ。
「ちなみに私も実はオタクなの」
「絶対嘘ですわ!」
「本当だよー。だって私、ドキドキメモリーズやったことあるもん」
「千春ちゃんが出てくる作品ですわ!」
知ってるゲームのタイトルが出て、思わず私は条件反射のように告げましたわ。
ですが獅々田さんは心底驚いた顔をご披露なさった。
「千春ちゃん、知ってるの?」
「勿論ですわ。ゲームはプレイしたことありませんけど、ドキドキメモリーズと言えば恋愛ゲームの代名詞的存在で、千春ちゃんはその中でもメインヒロインの立場であるというのは、私たちの界隈ではあまりにも初歩的な知識でございますわ」
ついつい饒舌になってしまいましたわ。獅々田さんに引かれてしまわないかしら?
と思って一度冷静になり獅々田さんの顔を窺うと。
「呆れてしまわれましたの……?」
「え? 全然、そんなことないよ」
「ですけど、表情が暗いような」
「気のせいだよー。それより、私たちそっくりだね?」
思わぬ発言に、私はきょとんとしてしまいます。
獅々田さんはそんな私をまっすぐに見据え、微笑みがちに告げます。
「だって、嘘に嘘を塗り固めていたところが、そっくりじゃない?」
その発言の真意を問い返す間もなく、獅々田さんは別のお話を続けましたわ。
高校では優等生として仮面を被っておられるお話。幼稚園児の妹がたまらなく愛おしい話。それにゾンハンをプレイされてること。
「柊さんはゾンハンやってないの?」
「私はああいうゲームは得意ではありませんの」
「それ、食わず嫌いだよ。機会があれば今度一緒にやってみようよ。あ、そうだ。連絡先教えて」
あれよあれよという間に連絡先を交換し、獅々田さんは「あ、もうこんな時間」と言いながら立ち上がりましたわ。
「それじゃあ、今度またお話ししようね。近い内にね」
「ええ。それにしても、獅々田さんって意外とお話好きなんですのね」
「うん、好きよ。人とお話しすると、楽しいじゃない?」
「そうですわね」
夕暮れだったのは先ほどまで。今や夜の帳が落ちている中、まるで太陽みたいな人だと、私は思わず見惚れてしまいそうでしたわ。
ですが獅々田さんはポツリと。
「それにしても、敵わないな。運命みたい」
「え?」
俯き加減に何事かを呟いた獅々田さんは、けれど次に顔を上げた時には再び笑顔を浮かべていましたわ。
それから獅々田さんは別れの言葉を残して足早に去っていかれまして。残された私は彼女の後姿を見届けてから、
「司……良かったですわね。良き仲間に恵まれて」
そう呟いて、私も家路に着きました。




