第三十二話 アナザーサイド中編
駅の近くにある噴水公園へ移動すると、空いていたベンチに私と獅々田さんは並んで腰かけました。
「ごめんね、本当はもっとちゃんとした場所で話すべきなんだろうけど」
「それは、構いませんわ」
獅々田さんは買い出しの帰りだったようで、時間があまりないとのこと。ここに来る最中にもご両親にお電話をかけていて「本当にごめん! 十分だけ遅れる! ごめんてー」と謝っていた。
私は獅々田さんを凛とした淑女とイメージしていたのですが、むしろ庶民派のよう。エコバッグを持参してスーパーに出入りしていましたし。
「あれ? もしかして緊張してる?」
「ええと、その」
「でもそうだよね、急に嘘をついてるとかついたとか言われたら困っちゃうよね。じゃあ私から話すね。私が柊さんの名前を知っていた理由は、他の従業員さんがあなたの名前を呼んでいたから」
「え? でも私は顔を背けていたから、顔と名前が一致しないのでは?」
すると獅々田さんは苦笑しました。
「太田君は気付いてなかったみたいだけど、私は後姿を見てすぐにわかったよ。喫茶ヴァラドンで太田君にマネージャーと呼ばれていた人だって。他の従業員さんが柊さんって呼んでるから、マネージャーさんは柊さんっていう名前なんだって」
「そうだったんですの……ということは、司には私がフライアーズで働いてる事を教えなかったんですの?」
「もちろん。柊さんがあんなあからさまにバレたくなさそうだったのに、わざわざ言うはずもないでしょ?」
な……なんて。
「なんて良い人なんですの、獅々田さん!」
「良い人じゃないよ、嘘つきだもん。でも柊さんはどうして顔を背けてたの?」
「それは……」
中学時代の出来事が脳裏をよぎりますわ。私はその思い出をなぞるように告げます。
「私と司は中学一年からの付き合いで――って、付き合ってはいませんわよ? あくまで陸上部の部員とマネージャーの関係で、最初は折り合わない事もありましたわ。特に司は当時、自信に満ち溢れていましたし、だからこそ私も司を生意気に思っていましたわ」
私は一度息を吐いて、ぼうっと噴水を眺めながら吐露します。
「でも司はその自信を裏打ちする努力を重ねていましたわ。自分のタイムが落ちればフォームやスタートの基礎的な要素を見直して。自分よりも速いタイムを出す生徒がいれば、どうして速いのかを常に研究しながら自分にも出来るのか試行錯誤。司ったら、ひどい時期は夜十二時まで公園で練習をして補導されたりもしたんですのよ?」
「あは……ひどいというより、すごいね」
「ええ、すごかった。でも、やっぱりひどかったんですの。そんな風に体を酷使し続ければ、当然体を壊しますわ。……あの時は、休日でしたので私が駅前の書店で買い物を終えた帰り道でしたわ。その日は土砂降りの雨が朝から続いている日で、そこでちょうどこの公園に差し掛かった時に、一人の少年が走っていましたの」
「この、公園?」
獅々田さんの問いかけに私は大きく頷きますわ。
「私は傘を差したまま、思わず立ち止まって見つめてしまいましたわ。今は他にも人がおられるけど、土砂降りのあの時には彼しかいませんでしたの。それが司でしたわ。司は半そで短パンでシャトルランをひたすら繰り返していましたわ。雨にずぶ濡れながら、ずっと。あまりにも狂気じみていて、声をかけることも躊躇われました。まるでその場に糸に張り付けられたかのように固まっていた私は、けれど司がコケた事で、糸は切れましたわ」
「コケた?」
「ええ。シャトルランの初動で足を滑らせて顔から地面へ。私は意の一番に駆け寄って――」
目を閉じれば当時のやり取りが、つい昨日のことのように思い出されます。
「だ、大丈夫ですの!?」
駆け寄って声をかけましたが、司は――当時であれば太田と呼んでいましたわね――ぴくりとも動かずにうつ伏せのまま倒れたままでしたわ。
どうしよう、どうしようと慌てる私は、一先ず身を屈めながら彼へと手を伸ばそうとして。
「く……」
「え?」
「くく、あはははははは!」
司は笑い声を上げると、体を翻すと仰向けになりましたわ。その顔は擦り傷まみれで、鼻からは血が雨と共に頬を伝っていました。私はその姿を見て、怯えていましたわ。
でも、すぐに気づいたんですの。血と雨水以外に流れているものに。
「……泣いてますの?」
「泣いてない!」
司は叫ぶように告げると、そのまま右の前腕で目元を覆いましたわ。
口は一文字に結び胸元と肩を震わせる司を見て、私は溜まらず自分の傘を彼の頭上へ差しました。
すぐに司は気付いて。
「いらない。自分に差せよ、マネージャー」
声は震えていましたわ。
「私だって気付いていたんですの?」
「見慣れてんだから気付くに決まってんだろ。後姿でも分かるだろ。いいからさっさと自分に差せ。濡れるだろ」
私は嘆息しながら、屈んだまま司へと一歩近寄りましたわ。傘は私の全身を覆いながら、彼の頭も覆いました。
「……なんのつもりだか。お前俺の事嫌いだろ?」
「太田も私のこと苦手そうですものね」
「俺のこと生意気とか思ってるだろ?」
「私のこと馬鹿って思ってますわよね?」
「……」
「……」
何故か互いに険悪なムードになりかけましたが、けれどそのような事に気を留めずに私は疑問を口にしましたわ。
「それより、何でこんな雨の中走ってるんですの」
「走りたいから走ってた。それだけだ」
「あなたの方こそ馬鹿なんじゃありませんの?」
「お前の方が生意気なんじゃないか?」
再び何故か互いに険悪なムードになりましたわ。でも、私には司がどうしてこんなに満身創痍の状態で練習をしているのか思い当たる節が一つ思い浮かびまして。
「……まさか、次の大会に出場出来ないのが悔しくて走ってたんですの?」
「……ああ、そうだよ」
「そんなことで走ってたんですの!?」
「そうだって言ってんだろ!?」
再再度互いに険悪なムードなムードになりかけ――ず。
「……く」
「……ふ」
二人して笑ってしまいましたわ。
それから司は一週間風邪で学校を休み、次に彼が登校してからは。
「太田。これからはああいうことがないように、私がちゃんときっちりサポートしますわよ?」
「勝手にやってろ。俺も好き勝手にやるから」
「勝手なことをするなって言ってるんですの! しかも私には「勝手にやってろ」なのに、あなたの方は「好き勝手にやる」って、何でそっちの方がより自由度増してそうなんですの!」
「好きに勝手にやるからだろ。うぜぇなぁ」
「う、うぜ……ムキー!!」
と、今にして思えばあまりに可愛いやり取りをして、それから司とは親しい間柄と周りから勘違いされてしまうぐらいになって。
……けれど今となっては疎遠。そんな今になって、未だにどうしてだったのか、分からないことが一つ、いえ、二つありますわ。




