45 眷属と約束
龍次の修行が一区切りとなった翌日――。
とうとう卒業式の日が訪れた。
「おお、似合っとるなぁ」
朝早くに家で着替えを終えたホムラを見て、スーツ姿の俊蔵が感慨深そうに目をぎゅっと細める。
ネイビーのスーツに、ストライプ柄の赤いネクタイ。
一ヶ月前に突如家に押しかけてきたお節介焼きの叔母が張り切って選んだフォーマルスーツだ。
「ばぁさんもきっと喜んどるなぁ、こりゃあ。ウチさ来た時は学校なんて行かねぇって部屋さずっと閉じこもってたホムラが、こぉんな立派に卒業してなぁ……」
「いま泣くなよ、じーちゃん……」
目に涙を溜めて鼻を啜る俊蔵を見ながら、ホムラは気恥ずかしいような、けれど嬉しいような、そんなまぜこぜの気持ちが湧き上がった。
この家に住み始めてすぐの事は学校に行くことを心の底から拒んでいた。
楽しい事なんか何にもない。誰も信じられない。絶対に行くもんかと意固地にすらなっていた。
そんな自分を変えてくれたのは、家族の俊蔵や初子、タロ。友達の笑花や芳樹。熊野やたつジィ、学校のみんな。そして青葉ヶ山という居場所のおかげだった。
卒業する今、ホムラはそれを確かに感じている。
だからこそ、青葉ヶ山との別れはより一層寂しく感じてしまう。
児童十数人の卒業証書授与が行われ、卒業式が終わればその後はあっという間だった。
青葉ヶ山分校の閉校式、そして夜の部はお別れの会――最後のキャンプファイアーの時間になっていた。
校庭の中央に、縦横交互に組まれた薪が火柱をあげながら煌々と燃えている。
その周囲には老若男女、これまで学校で見たことがないぐらいたくさんの人で賑わっていた。学校の生徒や教員たちの他、学校OBや元教員、その家族ら。そのほとんどが青葉ヶ山分校の最期を見届けようとやって来た人々だ。
大人も子供も花が咲いているようだが、ホムラ自身は数年前に青葉ヶ山に来たばかりで知り合いが多い訳でもなく、積極的に交流を図る性格でもないせいか友達もそこまで多くはない。
しばらくは笑花と芳樹、三人で話をしていたものの、二人が別のクラスメイトの方へ行ってしまいちょうど一人になっていた所だった。
スーツ姿の子供――眼鏡をかけた架美来が校門の方からこちらに向かってくるのが見えた。
「凪良。閉校式来てたんだ」
声を掛けると、架美来は少し顔を背けて「夜の部だけだよ」と素っ気なく答えた。久しぶりの再会でも架美来の態度は相変わらずらしい。
「宮本とアイコさんに呼ばれたから。仕方なくだよ、仕方なく」
「ふーん。仕方なく、な」
「ニヤニヤすんな」
「いって」
思いっきり腕を小突かれて少しよろめく。
こいつ、女子のくせに力つえーよな。腕をさすりながら思い返す。少し前までは日常茶飯事だった事もすでに懐かしい光景だ。
「お前ら、本校の中学に入学するのか?」
「まぁ青葉ヶ山には中学ねーし。俺は寮だけどみんなスクールバスで通うってよ。笑花とヨッちゃんも」
少し目を伏せて、ほっとため息を吐くかのように架美来が「へぇ、そっか」と頷く。
素直に嬉しいって言えばいいのに。
そう口出ししようとしたその時、向こうから「架美来ちゃーん!!」と弾んだ声が聞こえてきた。噂をすればってやつだろう。少し離れた場所で笑花がこちらに手を振っている。
「行けよ。ハナシしてくれば」
「別に話すことなんて……」
「お前さ、もっと正直になれよ。損してんぞ」
「うっさい、お節介バカ!」
ふいっとホムラから身体を背けて、小走りで笑花の元へ駆け寄る。
最初の頃の架美来は、誰かと一緒に帰る事すらあんなに嫌がっていた。それでも今は笑花と心から楽しそうに談笑している。
良かったな、ハナシできて。
そう思いながら二人を遠くから見守っていると、不意に「あんちゃん!」と別の呼び声が聞こえた。
幼い男児のような声に「あんちゃん」という変わった呼び方。強烈な既視感を覚えつつ振り返り、思わずあっと驚嘆の声が出た。
「お前らあの時の!」
そこに立っていたのは、学校の図書室、そして境界で出会った妖怪――小鬼とクラボッコだった。赤肌の一本角を頭に生やした妖怪が小鬼、地面につくぐらい長い長髪を伸ばしている妖怪がクラボッコだ。
巨大な悪鬼を浄化した後、ホムラは何度もこの二匹の妖怪を学校で探していた。あの最後に意識を失ってしまったホムラは、妖怪たちが無事に元の住処に帰れたのか分からなかったのだ。
しかしそれから小鬼達には一回も会うことはできず、今この時まで再会は叶わなかった。
「よがったぁ。オラ達がわかんだなぁ。あんちゃんずっとオラに気付かねかったらどうすんべって焦ったんだヨォ」
「オレだって探してたって! あの後大丈夫だったか図書室とか裏庭行ってさ」
「でもぉ、おらぁ何度もあんちゃんの近くで声さかけても、気付いてくんなかったど?」
垂れ下がった髪の中から、おずおずとクラボッコが言う。
言われてみれば、特に修行を始めてからのホムラはあまり学校で変な気配や生き物らしきものを見る機会が格段に減っていた。理屈は思いつかないが、もしかすると龍次の修行がいつしか架美来の眼鏡のような役割を果たしていたのかもしれない。
「それよりもさぁ、オラあのバケモンがいなぐなって鬼山さ帰れたんだァ。クラボッコ達も今までみたいにここで暮らせてるってよ。全部あんちゃん達のお陰だ。あんがとぉなぁ」
「そか、良かったじゃん。ウチに帰れて。一件落着っつー事でさ」
気掛かりがなくなって良かった。本心を告げたつもりだったが、なぜか小鬼は「いんや、まだ終わっでねぇ」と神妙な面持ちで首を振り、そして徐に小さな角の先っぽを強く握った。
どうした? そうホムラが尋ねる間もなく、次の瞬間、ぽきりとその角を折った。
「へっ?」
驚きのあまり間抜けな声が出てしまう。
鬼の特徴の一つと言えば角だ。
龍次曰く、鬼族は必ず頭に角を生やしており、そこには常に妖力が蓄積されているのだと言う。そんな大事な部位を折る事にどんな意味があるのか。正しく分からなくともそれがただ事ではない事ぐらい十分想像ができる。
「オラは今からあんちゃんの眷属さなる。この角はその契りの証だ」
唖然となるホムラをよそに、小鬼が「つっても未熟モンの幼鬼はまだ鬼山から出してもらえねぇんだけどなぁ」と苦笑いを浮かべた。
「いや、いやいや。眷族? とか分かんないし。そういうのいいって」
「そうはいかねぇ。これは鬼族の掟だぁ。オラはあんちゃんに助けてもらった。他でもねぇおらの頼みでだ。今オラが差し出せんのは魂ぐらいしかねぇ」
「そんなんくれてもオレにどうしろって……」
「あんちゃんはただ黙ってコイツを受けとりゃいい。したらオラが眷属さなって、あんちゃんの手足になって何でもする。そんだけだぁ」
「小鬼は本気なんだぁ。だから頼むよ、あんちゃん」
ずいっと詰め寄ってくる小鬼とクラボッコについ気圧されてしまう。
大体眷族って何だよ? 子分みたいなもんか?
そんなよく分からないものを「いいよ」と二つ返事で頷けるはずもない。
しかし小鬼も一向に引く様子はなさそうだ。
「こりゃ掟だけどヨォ、でもオラァあんちゃんになら魂預けたって良い。そう思ってんだ。まだ未熟だけんちょも、父ちゃんみてぇに強くなって必ずあんちゃんに報いる。それまでちんと待っててくれねぇか」
澄み切った粒らな黒い瞳がホムラを真っ直ぐに見つめる。冗談や遊びでも、嫌々というわけでもない。ただ純粋にその眷族とやらになりたいらしい。
そう分かるとあまり悪い気はしなかった。
「分かったよ。じゃ、眷属な」
深く頷いて、差し出された角の先を受け取る。
手のひらに収まるほどの小ささだが、先は鋭く、そして握ればしっかりとした硬さを感じられる角だ。
いっか。それで小鬼の気が済むんなら。
そう軽く納得したホムラも、そして小鬼もこの時はまだ知らない。
この契りこそがお互いの命運と、そして人間と妖怪の繋がりに深く関わっていく事に――。
そうしてスッキリした表情で雑木林の方へと帰っていった小鬼の背を見届けると、今度はクラボッコが「あんちゃん。オラも頼みがあんだぁ」と言った。
「まさかお前も眷属にしろとか……」
「いやぁ! んな力、おらにはねぇだよぉ! ただオラァ、あの子に礼がしてぇんだ。あんちゃんと仲良しの二つ縛りの娘っ子に」
二つ縛りというなら、架美来ではなく笑花の事だろう。
思い返せばホムラ達が架美来と笑花たちを発見した時、クラボッコはすでに笑花の側にいた。
「あの子が助けてくんねがったら、オラァ今頃バケモンの腹ん中だったかもしんねぇ。ありがとなぁっていいてぇけどあの子はオラの事みえねぇし、もう会えねぇから……」
そう言いかけて口をつぐむクラボッコの瞳が遠くの笑花をじっと見つめる。
架美来はともかく、今ホムラと話しているクラボッコの姿は誰の目にも映っていないのだろう。もちろん笑花の目にも。
裏世界のあれこれを学んだ今ならよく分かる。人間と妖怪は本来交わらないもの。これが妖の常なのだ。
仕方がないとバッサリ切れる程ホムラは非情になれなかった。
「分かった。クラボッコの言葉、笑花にちゃんと伝えとく」
言葉を伝えるぐらいは許されるだろう。
頷くと、クラボッコは今までで一番の笑顔になって言った。
「あんがとぉな、あんちゃん。オラぁ眷属さなれねぇけど必ずあんちゃんに恩を返しにいくよ」
そう言い残し宵闇に溶けるように消えていったクラボッコを見送ったしばらく後――。
ホムラの青葉ヶ山分校との別れは、夜の帷と共に幕を閉じたのだった。
次回、【白光の焔 第46話(第四章 最終話)】の更新日は【6月上旬】の予定です。
(詳しい投稿日については、作者のSNSにてお知らせします)
どうぞお楽しみに!




