2-4. 請願と満願
侵略軍を見回せば愛人を連れ歩く将校など幾らでもいる。連れていた専属愛妾はどこへ行ったのかと従卒に問われ、ニタリと笑えば書類は処理しておきますと諦め顔。前科持ちは悪行を働くのが楽でよい。実際には皮を襲う上で邪魔だったので命を刈った。現地調達した奴隷を将校が愛人として囲い込むのは珍しくない事だ。僕が天幕の中で小鳥を愛でるのに何ら支障はない。
僕はちくちくと針仕事をして護符を刺繍し、防音の護符に占術防御の護符、人払いの護符と言った小物を自作して身近に置いている。針と糸を調達しろと命じた時には従卒が目を白黒させていた。まあ、僕の皮は針仕事などした事はなかったろうな。武力と魔力に秀でてはいても人格的には最低の手合いだ。僕は一般市民を大量に素材にされたせいか、細々とした事を自分でやりたくなっていけない。
世界のどこへ放り出されても百姓なり仕立て屋、或いは大工として生きて行ける気がする。壊れた荷馬車の車輪を将校である僕自ら直そうとしてみたり、職人根性と言うのはなかなか油断ならない気質だ。市民の多くは非常に勤勉だったようだし、奴隷として生かしておいた方が良かったろうにな。蛮族の考える事は解らんね。
「マイアの夫にしてパンナの父スードよ、汝に問う」
天幕の中で宝珠の仮面を外し、素顔を晒した僕が僕本来の声で問う。防音の護符の効果により、声が外には漏れる事はない。人払いの護符は兵を近付けさせない。占術防御の護符は占術による覗き見を防ぐ。急拵えで貧相な防護だが、事が契約なので皮の顔と皮の声では取り交わしたくない。
膝の上に抱いた小鳥の体温を、生の証明を僕の感覚器官を介して請願者に感じさせてやる。契約を満願とするだけならこんな事をする必要はないのだが……ああ、愉しいなあ。抱き締めてやりたいと願う心情が快い。
「汝の請願は『我が子の救出を。叶わないならば報復を』だ。相違ないな」
「はい」
問い掛けに答えるのは小鳥と話し易いよう小さな台の上に立て掛けた宝珠だ。僕が力を貸し与え、仮初の顔を作らせている。
「父さん」
「パンナ」
答えてよいぞ、と許せば父の顔を擬した仮面が娘の名を呼ぶ。
何か言い残す事があれば別れを告げるがいい、とも許せば涙ながらの親子別離劇……にしては心残りが強そうだよなあ、ん?
「父さんと母さんはもう一緒に暮らせないけれど、パンナには生きて欲しい。パンナは俺の自慢の娘だ。パン作りも料理も洗濯も裁縫も、家事なら何でもできる」
「父さん、父さん」
僕は家事に加えて畑仕事に大工仕事と市民のやりそうな仕事は全部できるけどな、とは言わず黙って見守る。
泣きじゃくる小鳥の囀りが耳に心地よい。流れる涙を絹布で拭ってやりつつ、僕は事実を述べる。
「スードよ、汝の娘は戦争奴隷として敵国へ連れ去られる。輸送中に手荒く扱われて死ぬよりはましな運命と言える。
僕が利用した皮……汝らに解り易いよう言うなら、僕が化けた敵国の将校は死亡している。今後の娘の待遇については理解しているか?」
促せばぽつぽつと父親の声が語る。
「買い取った主が死んだらパンナは……パンナは売られる」
「身分は戦争奴隷ゆえ、そうなるであろうな。貴族の屋敷に上げる為の礼法を身に着けている訳ではなく、容姿に秀でた娘でもない。繁殖用の嫁 兼 家事奴隷としての価値は市場で金貨35枚ほどだろう。欠損の治療を済ませてあるので買い手は付くと思われる。財産として欲しがる者に買われたならばそれなりの扱いを受けるであろう」
淡々とした声音で言う。基本的な待遇はそれなりでしかあるまいし、虐待癖のある横暴な雄に買われる可能性も僕は否定しない。契約に縛られないなら僕は運に手を加えず放り出す。心残りはあろう? と煽れば請願者の苦悩を感じ取れる。
「娘に別れを告げ、覚悟させてやる事だ。強く生きろと。……それとも」
笑い出したいのをどうにか堪えて僕は言う。邪神の子、限りなく悪魔に近しい者の誘いを。僕はきちんと警告し、理解を強いた上で契約をちらつかせる。
「請願者は不満かな。娘が輸送中の虐待死を免れ、戦争奴隷として誰とも知れない者へ売り渡されると言う結末は。よりよい結末の為に欲張るかね、スードよ?」
「よりよい……? できるのか、あんたの、いや、あなたさまの力で」
天幕の雰囲気に呑まれ、怯える小鳥の発言は許さない。既に命を捧げ、意識のみが留まる父親を誘惑する。
「僕の力は見せてやったろう? 英雄、勇者、聖者、或いは神子。そう呼ばれる手合いと同等程度の事が僕にはできるぞ。君が相応しい代償さえ支払うならな」
接頭句を少々省いてはいるがね。“悪の”英雄、“悪の”勇者、“悪の”聖者、或いは“邪神の”神子などと。僕は何一つ嘘は言っていないし、我ながら誠実に契約を持ち掛けている。
微笑んで小鳥の醜い顔に頬を寄せれば蕩けたような熱を帯びる。僕は己の容姿を活用する事に躊躇いを感じない。僕にとっては些か不恰好でも、蛮族からすれば整った造形だ。小鳥に拒否感を持たれる下策は打っていない。
「汝が差し出すのなら僕が受け取ろう。幸運は乏しくより多くの悲運が待つ暗闇へ娘を投げ出すならそれも良かろう。選択せよ」
簡単な事だ。既に命を捧げた請願者に捧げられるものなど、未だ命ある血縁者でしかない。父親の声は恐れの為に震えている。
「あなたさまは俺の娘を大事にして下さいますか」
「末永く僕の正妻として遇する事を約束しよう。僕の身を割いて妻として相応しいだけの力を与え、非力なままにはしておかない」
何一つ嘘は言っていない。おそらく蛮族とは基準が異なるであろう。色々とな……。ちろちろと舌なめずりしたい気持ちを抑え込み、宝珠へ切り離した請願者の意思が僕の思惑に気付かぬよう厳重に防護する。詰めをしくじるような真似はしない。小鳥に発言を許してやる。
「パンナは……パンナはこの人ではいやかい? どうしたい?」
「お父さん」
父親の顔をした面にその身を案じられ、決意を秘めて澄んだ橙の瞳が僕を仰ぎ見る。そうとも、僕は魔術で意思を捻じ曲げ契約を強制する下品な真似はしない。自由意志で選ばせた上で堕とすからこそ愉しいのだ。今、僕はとてもとても愉しい。
「わたしをお嫁さんにしていただけますか」
「喜んで、我が妻よ。契約を交わそう」
『我が子の救出』が満願に達し、請願者の意思が宝珠に溶ける。するすると仮面が丸まり、鶏卵大の珠に形を変えた。正式に譲渡された小鳥を抱き込んで口付け、僕は零れる笑みを今後こそ隠さなかった。