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家の中が慌しい。
しかし誰もが嬉しく、穏やかな顔をしていた。
「へ、変じゃないかな?」
「大丈夫。綺麗だ」
「ありがとう」
部屋の真ん中で綺麗に着飾った少女が立っていた。
鏡を見たり、側に立つ兄に聞いたりしておかしな所がないかと何度も確認していた。
炬はそんなトモを笑いながら安心させ、周りにいる人たちも同じように声をかけていた。
「来たぞ」
外にいた男性が到着を知らせてくれた。
家に一人の青年が緊張した面持ちで入って来た。
そして、ぎこちない動きで炬に向かって一礼する。
「トモを、妹をよろしく頼むな」
「はい! 幸せにします!」
青年が力強く頷いて答えた。
「お兄ちゃん……」
トモは目に涙をためて炬を見上げてきた。それに優しい微笑を向ける。
「泣くな。同じ村に住んでるんだから、いつでも会える。……幸せになれよ」
「うん……うん……」
泣きながら何度も頷くトモに、青年が手を差し伸ばした。
その手を取ったトモは青年と共に家を出て行き、青年の家へと向かった。
これで婚礼の儀式は終わる。
日が落ちた村では盛大な宴が開かれた。
夜更けに炬は森の中を歩いていた。
手には酒瓶と杯二つ。
しばらく歩くと、石の祠が満月の光に照らされている小さな広場に出た。
「よぉ、翡艶。今日は遅くなって悪りぃ」
誰もいないのに炬は声をかけた。
側まで寄るとポンポンと祠を撫でてから座って胡坐をかく。
杯を地面に並べると酒を注いだ。
月明かりでキラリと光る物が目に入った。
いつもは服の中に入れている翠玉の首飾りだった。
酒瓶を置くとその翠玉を指で撫でる。
「あれから十年、なんだな」
己の手で、翡艶を大地という本体に還した日。
そんなに経つのかと炬はしみじみ思う。
* * *
手には薙堊はない。
翡艶もいない。
小さな妹が横たわっているだけ。
「……っ……」
妹を引き寄せると、ギュッと抱きすくめた。
炬は漏れそうになる嗚咽を必死に噛み殺した。
声を上げないせいか、涙が止めどなく流れ出す。
じっと眺めていた婪は、もう興味が失せていた。
尻尾を一振りして、
「夜弖。後は好きにせよ」
そう言って婪は消えてしまった。
後を任された夜弖は炬の側に現れる。
その表情は悲しげな苦笑だった。
「炬さん、怪我はありませんか?」
片膝を付いて声をかけるが、炬からの返事はない。
ただ妹の無事に、翡艶を手にかけた辛さに涙し続けていた。
炬の様子に夜弖は胸を痛めた。
この青年を利用した自分が感じるべきものじゃないが、己の業として受け止めなければならなかった。
婪が望むままに霊力を使って沢山の者を傷つけ、死へと追いやってきた。
これらは穢れとして己に蓄積されているかどうかは判らないが、自分は忘れてはならないのだと。
ポケットから翠玉の首飾りを二つ取り出した。
「これはカミ狩りの霊力を抑えるものです。身につけていれば覚醒する以前の状態に戻ります。妹さんの分も」
説明しながら炬の首に二つともかけたが、やはり炬は反応しない。
今、何を言っても炬の心には届かないだろう。
それでも夜弖は言っておかなければならない事があった。
「翡艶さんは死んでませんよ。今も全てを支えて、全てを慈しんでくれてます。それが大地である翡艶さんです。彼は貴方の事が好きだったと思います。だから、貴方の手で還してもらって嬉しかったでしょう。……体に気をつけて。無理をしないで下さいね」
一礼をして夜弖もその場から消え去った。
残ったのは静寂と嗚咽だけ。
* * *
あの後、トモが目を覚ますまで凌霄の館で過ごした。
その間ずっとカミたちは何か言おうとしていた。
しかし、憔悴した炬に何も言えなかった。
送ってくれた珱佳が深く一礼して、そこに全てが込められた。
炬は杯を傾けて酒を飲み干した。
十年前を思い出すと様々な感情がないまぜになる。
最初の二年ほどは悲しみや罪悪感で落ち込んでいた。
それでも少しずつ元気を取り戻していき、夜弖が言ってくれた言葉や珱佳の深い一礼の意味を考える余裕が出てきた。
確かに翡艶は姿も、人格も、記憶もなくしてしまった。
でもそれが全てではないはずだ。
翡艶は大地。十年前から何も変わっていない。
それは翡艶が何も変わっていない証拠ではないだろうか?
都合の良い解釈かもしれないが、カミたちはそう言いたかったのではないかと炬は思う。
そして、そう信じていた。
「今日、トモの結婚式だったんだ。綺麗だった。いつか手元から離れるって頭で判ってたけど、いざそうなると寂しかったよ。『親父か』って、お前につっこまれそうだな」
片手で大地を撫でながら今日の出来事を話した。
十年前から炬は毎日祠にやって来ては、一日の出来事を報告する事が習慣になっていた。
「まぁ、その、父親になるんだ。医者に診てもらったら三ヶ月だって。祝い事が重なって村はどんちゃん騒ぎだよ。当事者の俺もあいつも驚きや嬉しさで、しばらく呆然としてたのにな」
照れながらも嬉しくて、嬉しくて仕方がないといった顔をしていた。この気持ちを分かち合いたくて、酒をあおっては同じような事を繰り返し大地へと語りかけた。
「じゃ、また明日な。おやすみ、翡艶」
酒がなくなると杯を拾い上げて、炬は村へと帰って行った。
祠の上に一羽のカラスがいるとも気付かないまま。




