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「困っているようだのう」
頭が真っ白になっていた炬に救いのような声が聞こえた。
あの純白の悪魔の声が。
足音も気配もなく白狼が現れた。
「翡艶を! 翡艶を助けてくれ!」
今の炬が頼れるのはこの白狼だけだった。
凌霄たちは、もしかしたら冷酷な判断を下す可能性がある。
縋るように見つめた。
「おぬしの願いを叶えてやりたいのだが、全ては無理なのだ」
白狼は優しく、申し訳なさそうに言い、楽しそうに続けた。
「――」
「……え?」
白狼に言われた言葉に炬は聞き返した。
それほど信じられない事を言われたのだ。
「妹か、翡艶か、どちらかしか、助けられぬ」
残酷な救いが白狼の口から、ゆっくりと紡がれた。
頭が理解していくと、炬は抱えている翡艶を見下ろした。
呆然とした表情が、みるみる苦しそうに歪んでいった。
どちらかなど選べるはずがない。
どちらも大切で、かけがえのない存在なのだから。
残酷な選択。
だが、炬は自分に選択肢はないと判っていた。
『翡艶はこの世界、唯一無二の母なる大地なんだ!』
凌霄がそう言っていた。
それがどれほど重大な事なのか炬には判らない。
だが、翡艶の霊力がなくなるという事は、この世界の根幹をなくす事になるのではないか。
「さぁ、選べ」
白狼が決断を迫った。炬はきつく目を瞑る。
「……ひえ――」
「妹……だろうが、馬鹿」
気絶していると思っていた翡艶が炬の言葉を遮った。
「翡艶……」
目を開いた炬は痛みを耐えるような顔をしていた。
翡艶はもう一度「馬鹿」と言ってから起き上がろうとしたが、力が入らなかった。
仕方がないので炬に抱えられたまま白狼を睨んだ。
「はぁー……お前の仕業、だったか、婪」
「うむ。おぬしらは面白いほど踊ってくれたわ」
「嫌に、なるほどな……」
鋭い視線など何処吹く風で婪と呼ばれた白狼は、可笑しくて堪らないといった声音で答えた。
それを聞いた翡艶は苦虫数十匹を噛み潰した表情をした。
炬のカミ狩りの霊力を覚醒させた碧玉や、カミ狩りの剣を準備したのも、結界を解除させたのも、災妖を解放させたのも、全て婪の企みだったのだ。
トモか、翡艶かの選択を炬に迫ったのを聞いた瞬間、翡艶は全てを悟った。
悟った所で、流れはもう終結に向かっている。
今更どうこう言ったところで、結末は変えられない。
「婪。お前は……いや、いい……。お前が、そんなの、だから……対の凌霄が、動き……づらい、だろうが……」
「そんな事、知らぬ」
喉まで出掛かっていた本当に言いたい言葉を飲み込んで、翡艶は首を横に振った。
聞いたところで理解できないだろう。
この狂った光の事など。
翡艶は本当にきつくなってきて呼吸が浅く速い。
「おい、婪……本当に、助け……るんだろうな?」
「嘘は申さぬ」
婪の返事を聞くと、迷子になった幼子のような頼りない様子の炬に目を向けた。
真っ直ぐで、無垢な青年にこれから酷な事をさせる事に、翡艶は少し後ろめたさを感じた。
しかし、これしか選択肢がなかった。
「……炬……」
「……なに?」
「約束……破ったな……」
炬は答えない。
「罰として……はぁ……俺の、言う事……聞け……」
「……嫌だ」
「薙堊で、俺を……っ……刺せ……」
「嫌だ」
「婪に……妹を、助けて、もらえ……」
「嫌だ! 俺にそんな事できるわけねぇだろ!」
ペチ……
今にも泣き出しそうに叫ぶ炬の頬を翡艶は叩く。
叩くといっても手にほとんど力が入らないので、頬に手を添えているようなもの。
「言った、だろ……? お前は……妹の事だけ、考えろって……。それにな……俺は死ぬわけじゃ、ねぇよ……」
「嘘だ。翡艶は災妖になってない。なら……死ぬだろうが……」
口や態度が悪い翡艶だが、優しい、優しすぎるカミ様。
だから炬のため、トモのために自分を犠牲にしてしまう。
耐え切れずに炬の目尻から涙が零れ落ちた。
頬に手を当てている翡艶はそれを震える指で拭った。
「薙堊は……はっ……俺の一部、だ。……死ぬんじゃ、なく……仮初の、姿……が、なくなって……大地に……還る、だけだ……」
姿も、人格も、記憶もなくなるそれを死と言わないのだろうか?
そう思う炬だが、笑って自分に語りかける翡艶には言えなかった。
頬に添えてくれている手に、己の手を重ねて耐える。
「我はカミ狩りの者に問うておるのだが」
二人の様子を眺めていた婪が不満げに呟く。
炬に決断させたかったのに、翡艶が決めてしまって面白くないようだ。
「うる、せぇよ……」
最後に婪をもう一睨みしてから、翡艶は側に落ちている薙堊を掴んだ。
だが、持ち上げられなかった。
「……」
くっ、と奥歯を噛み締めて炬も薙堊に手を伸ばした。
炬一人でも薙堊は持てないので、二人で一緒に握る。
翡艶は炬を見上げていつもの、でも柔らかく優しい笑みを浮かべ、
「炬……ありがと……悪りぃ……ありが、とな……」
「……翡艶……ひえ……ん……」
ゆっくり手が下ろされた。




