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炬は夜弖の案内によって避難していた。
安全な道を選んでいるので魔物や災妖に出会う事がなかった。
「夜弖さん。災妖って魔物以外の魔物も街に入り込んでます?」
背筋がぞわぞわと気持ち悪い感覚に襲われながら、炬は夜弖に聞いた。
「そうみたいですね。災妖は動きが遅いので良いんですけど、普通の魔物だと翡艶さんたちも手が回らないかもしれませんね」
「え……」
「あ……だ、大丈夫ですよ! 翡艶さんたちは強いですから」
余計な事を言ってしまったと夜弖は慌てて取り繕った。
しかし、遅かったようだ。
炬の中で、やはり避難より手伝わなければという気持ちが出てきた。
「炬さん」
「……大丈夫ですよ」
「その間が気になるんですけど」
目を逸らす炬に夜弖は溜め息をついて、振り返って立ち止まる。
「わっ!」
夜弖が急に立ち止まったので、小走りしていた炬は立ち止まれずに夜弖に激突する。
「あ、すみません」
予告なく立ち止まった事を謝る夜弖に「大丈夫です」と答えながら炬は胸をさすった。
それより急にどうしたのかと夜弖を見た。
「本当は炬さんを安全な場所に避難させてから、と思ったんですけど……僕はもう行こうと思います」
難しい表情をしているのを見て、炬は状況が悪い方向に向かっているのだと感じ取る。
それなら自分などに構わず、街の人たちを助けるために行って欲しい。
災妖を倒せるのは神だけなのだから。
炬の言葉に夜弖は小さく微笑んだ。
「本当に君は……。無理をしないように」
ポンと肩を叩いてから、人間にはない強い脚力で夜弖は建物を伝って行ってしまった。
カン、カン、カラカラカラ……
「ん? 何だ?」
夜弖を見送っていると何かが落ちてきた。
足元で止まったそれは真紅の石。
拾い上げると首に掛けられるように付いている紐が千切れてぶら下がっていた。
状況から夜弖が落としていったと考えられて、炬はポケットにしまった。
その時、一段と不快感が増した。という事は。
「ガルルル」
「キィィ」
「グゥ……」
虎のような生き物、猿のような生き物、ヤギのような生き物。
連想された元の動物より少し歪な形状をした三匹の魔物が、ギラギラと飢えた目をして炬を見つめていた。
「ははは……翡艶、悪りぃ」
命の危機以外は絶対に抜かないと約束したが、やはり守れないので炬は笑って謝った。
隠していてもバレて、物凄く怒られるんだろうなと思いながら鞘から剣を抜いた。
深呼吸をして構えると、魔物を睨みつけ、
「行くぞ!」
駆け出す。魔物もそれに合わせて襲いかかる。
村にも魔物は出る。
こうして立ち向かう事は初めてではない。
けど、一人で相手するのは初めてだった。
魔物の間合いに入る寸前に炬は横に飛びのいた。
目標を見失っても虎と猿は素早く炬から距離を取って体制を立て直す。
しかし、反応しきれなかった羊は地面に激突してしまった。
そこを見逃さすに炬は剣を上段から振り下ろして羊の首を切り落とす。
ピシッ……
断末魔を上げる間もなく、首を失った胴体がどさりと倒れて黒い液体が溢れ出した。
「ガァァ!」
仲間がやられて怒っているのか、人間にやられた事を嘲笑っているのか判らないが、虎が大きく鳴いた。
炬の方も殺した魔物には目もくれず、残りの二匹に意識を集中した。
虎も猿も素早い。
どう応戦すれば良いだろうか。
と、考えていたら、無人の住宅区が目についた。
そちらに向かって走り出す。
二匹の魔物も追いかけてくるが、猫がねずみを追い詰めるように余裕が見られた。
虎の脚力を考えれば人間などすぐに追い詰められてしまう。
そうならないのは虎が相手を見くびっているからだろう。
それは炬にとって好都合だった。
警戒した獣より、油断している獣の方が狩れる確率は高いと、狩りの経験で知っていた。
走って一つの民家に入るとドアを閉めて、裏口から出て行く。
裏道を走って、また民家に入って裏口を出る。
それを何度か繰り返して、炬は一つの民家に身を潜めた。
しばらくすると一つの気配が近付いてきて、離れて行った。
窓から確認すると猿の魔物が屋根を伝って、捜索をしているようだ。
「よし」
二匹同時に相手はできない。
入り組んだ住宅区に逃げ込めば、魔物は二手に別れるだろうという炬の作戦は上手くいった。
次はどちらから、どのように仕留めるかを考える。
猿は人間に近く、器用ですばしっこい。
巨体のわりに俊敏だが逃げ隠れをしない虎の方がやりやすいと判断して、さっそく虎の気配を探った。
ここからそう遠くない。
猿との距離も結構ある。
すぐに援軍として来ないだろう。
深呼吸を三回する。
剣の柄を強く握ると、炬は民家を出て走った。
密集している民家から広い道に出ると、のしのしと歩いている虎を見つけた。
虎は炬を見つめると立ち止まる。
炬も虎を見つめて動かない。
少しの睨み合いで、先に動いたのは炬だ。
また背を向けて駆け出した。
「ガァァ!」
もう遊ぶ事に飽きたのか、虎は先ほどより速いスピードで炬を追いかけた。
そしてあっという間に距離がつまり、牙が届きそうになる。
その時、炬は左へと曲がって民家が密集している区画に入った。
虎もそれに続いて曲がるが、
ズドンッ!
民家が密集した細い通路には巨体は入らず、激突した。
民家は強い衝撃で崩れて虎の上に圧し掛かる。
しかし、これぐらいでやられるわけがない。
瓦礫を振り払い、虎は民家を次々と破壊しながら炬を追いかけた。
ちょこまかと右へ左へと逃げ回る炬を追い詰められそうで、追い詰められない。
虎は苛々としていた。
そこで炬が民家に入った。
虎は民家ごと炬を潰そうとスピードを上げて追突する。
ズドーン!
民家に大きな穴が貫通した。
隣の民家にまで虎は突っ込んでいた。
「グルルル」
炬は潰れただろうかと虎は確認するため、倒壊しかけの民家に近付くいた。
「であっ!」
「グワァァ!」
上から現れた炬は虎の首に剣を突き刺す。
狭い場所で巨体を自由に動かすには、障害物を破壊しなければならない。
その瞬間は隙が生まれる。しかし、目の前にいてはその隙を突くにつけない。
民家に隠れたふりをして、隣の民家の屋根に上って虎が追突してくるのを待った。
スピードを上げて追突してくるとは思っていなかった炬は焦ったが、己を瓦礫の中から探す虎は隙だらけだった。
全体重を掛けたので剣は虎の首元に深々と突き刺さっていた。
「グワァッ! ガァ!」
痛みで虎が暴れ、
振り落とされないよう炬は柄にしがみついた。
「くっ!」
虎が暴れれば暴れるほど、炬は振り子のようにあっちへ、こっちへ揺れ、結果的に虎は自分で傷口を広げてしまう。
「グゥゥ……」
元々急所を突き刺されていて、そこの傷が広がれば致命傷となる。
虎の動きが段々緩慢になっていった。
「しょっ!」
炬は虎の首元から剣を引き抜く。
「ガァァァ!!」
止めと言わんばかりの激痛に、虎は断末魔を上げて息絶えた。
ピシ……ビシッ……
息を切らせて虎の死体を見下ろす炬。剣を振るって付いた血を払う。
達成感や安堵感はなく、ただ心が空っぽだった。
「キィ!」
鳴き声を聞いて炬が我に返ると、猿の魔物が屋根から襲いかかっていた。
まるで先程の虎とのやりとりを再現するかのように。
体に力がはいらず、炬は来るだろう痛みに目を瞑った。
ヒャァァ!
悲鳴のような声が聞こえて炬は反射的に目を開ける。すると目の前で猿が溺れていた。
「!?」
猿より一回り大きな水の塊が空中に浮いて、猿を飲み込んでいた。
猿は逃げようと必死にもがいているが、水は微動だにしない。
何がどうなっているのか判らない炬は二、三歩後ずさる。
パシャ、パシャ。
水が跳ねるような音が聞こえたので下を見ると、水が流れていた。
少しだけだが地面全体を覆っていた。
呆然としているうちに、空中に浮いている水の中で猿は溺死してしまった。
そして、微動だにしなかった水が重力に従って地面へと落ちる。
猿の死体だけを残して、水は地面を覆っている水と一体となる。
流れの源の方へ、炬はゆっくりと顔を向ける。
「はは……やべぇ……」
乾いた笑いが口から出る。
魔物より厄介な魔物、災妖がいた。
どうすればいいのか考えるより早く、足下の水が炬を飲み込む。
ごぼごぼごぼ……
心構えも、準備もしていなかった炬は、頭が真っ白になってがむしゃらに腕を振り回した。
猿が同じ事をして、無駄だった事も忘れて。
ザバー……
一気に水が引いていった。
「げほっ、げほっ」
飲み込んだ水を吐くのと、空気を吸うのを同時に行ってむせ返った。
ようやく息が整った炬は急に解放された事に疑問を抱く。
ヒィィィ!
災妖はまた悲鳴のような声を上げ、くねくねと身を捩りだす。
その様子は苦しんでいるように見えなくもない。
「……何だ?」
何かした覚えはない炬は災妖の異変に眉を寄せた。
身を捩るばかりで攻撃を仕掛けてこない災妖に、炬は今がチャンスだと駆け出す。
理性で敵わないとは判っているのに、感情では倒せると。
ザシュッ!!
刃が黒い半透明の体を切り裂く。その感触は水袋を切った時と似ていた。
ヒィィィ!!
炬のたった一撃に災妖はさっき以上の叫び声を上げて、大きな体をビクビクと痙攣させた。
そして、空気を吹きこまれた風船のように、どんどん肥大していき、
パアアアンッ!!
やがて限界がきて、破裂した。
音だけで何かしらの余波は何もなかった。
ビシビシ……
「はぁ……はぁ……」
……パリン……
「はぁ……ッッ!」
呼吸を整えていた炬は、急激に自分の中で溢れかえる「何か」に息を詰ました。
理性も意思も一瞬で「何か」呑み込まれ、瞠目したまま炬はその場に立ち尽した。
その目は何処かを見ているようで、何処も見ていない。
「フシィー」
「ギ、ギ、ギ」
新たな魔物が現れた。その後ろには災妖もいる。
「………」
ゆっくりとそちらを向く炬の目は焦点が合っていなかった。
しかし、敵だとは判っているようで剣を握り直した。
恐怖も焦りもなく、真っ直ぐに突っ込んでいく。
炬が佇んでいた場所に砕けた碧玉が落ちていた。




