第九十八話 アーサーへの報告
皇宮の謁見の間、仁は、アーサーの前に跪いていた。
「改まって、何事だ」
「陛下に、お伝えしなければならないことがございます」
深く頭を下げたまま、静かに切り出す。
「私は、長年、陛下を欺いておりました」
アーサーの眉が、わずかに動いた。
「欺いた、とは」
「私の本名は、レイモンドではございません。京野仁と申します。実は、何十年も前、異世界から召喚された者なのです」
謁見の間に、重い沈黙が落ちた。
「……異世界から」
アーサーの声には、明らかな動揺があった。
「ああ、あの時の。皇后や、サラの治療をした、エリー殿たちと同じ、ということか」
「はい。ただし、私の場合は、少し違う事情がございました」
これまでの経緯を、一つひとつ、丁寧に語る。
夫を亡くした貴族の女性。その依頼で動いた召喚士。与えられた「レイモンド」という名。
語り終えた仁は、再び深く頭を下げた。
「陛下を欺いたことを、心よりお詫び申し上げます。いかなる処罰も、お受けする覚悟です」
アーサーは、しばらく、何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「頭を上げよ」
「しかし」
「上げよ、と言っている」
顔を上げると、アーサーの表情には、怒りではなく、深い驚きと、何かを噛みしめるような色があった。
「お前は、何十年、宮廷医長を務めた」
「三十年近く、になります」
「その間、一度も、怪しまれたことは」
「ございません」
「……そうか」
アーサーは、静かに息を吐いた。
「お前は、これまで、誰よりも誠実に、我が国の医療に尽くしてきた。それは、紛れもない事実だ」
「もったいないお言葉です」
「それほどの者が、何十年も、本当の名すら名乗れずにいた」
アーサーの声に、悔いが滲んだ。
「我が国にも、召喚にまつわる闇があったということだ。気づけなかった私にも、責任がある」
「陛下、それは」
「いや」
アーサーは、静かに続けた。
「私は、父の代の過ちを、一つずつ正してきたつもりだった。ライリーに領地を分け与えたのも、その一つだ。叔父を死なせ、幼いライリーたちを追いやった負い目は、片時も忘れたことがない」
「存じております」
「それでも、見えていなかった過ちが、まだあったということだ」
アーサーの声には、皇帝としての重みと、一人の人間としての悔いが、同時に滲んでいた。
「お前のような者が、何十年も、声を上げられずにいた。それこそが、この国の在り方の、歪みだったのかもしれない」
「陛下」
アーサーは、仁を見据えた。
「ピーコックブルーが、異世界人を所有物にしない法を定めたと聞いた時、我が国にも、同じ過ちがあったのではないかと、考えなかったわけではない。だが、お前のような形で、証拠が出てくるとは思わなかった」
言葉が、出てこなかった。
「それで、帰りたいと申すのだな」
「はい。日本に、確かめたい家族がおります」
「許す」
アーサーの返答に、迷いはなかった。
「帝国としても、できる限りの支援をしよう。お前がこれまで尽くしてくれた分、せめてもの礼だ」
「ありがたき、幸せにございます」
「それと」
アーサーは、少し表情を緩めた。
「よくぞ、話してくれた。黙ったまま去ることもできたはずだ」
「陛下に、黙ったまま去ることは、できませんでした」
まっすぐ、アーサーを見た。
「最後くらいは、本当の自分で、お別れを申し上げたかったのです」
その言葉に、アーサーは、静かに頷いた。
「後任については、何か考えがあるか」
「エイト殿に、お願いできればと」
仁が、そう答えると、アーサーは、少し意外そうな顔をした。
「エイト殿は、ピーコックブルーに籍を置いているはずだが」
「はい。ですが、しばらくの間であれば、力を貸していただけると思います。あの者も、元は帝国の宮廷医でしたので」
「なるほど。旧知の仲、ということか」
「長い付き合いです」
仁は、少しだけ、口元を緩めた。
「あの男になら、安心して任せられます」
「分かった。追って、正式に打診しよう」
アーサーは、そう言うと、椅子から立ち上がった。
「仁」
その呼び方に、仁は、わずかに驚いた顔をした。
「初めてだな、その名で呼ぶのは」
「陛下」
「残りの日々、心残りのないように過ごすがいい。これは、皇帝としてではなく、一人の人間としての言葉だ」
「……もったいない、お言葉です」
仁は、深く、深く頭を下げた。
謁見の間に差し込む光が、長年の秘密に、ようやく一区切りをつけるように、二人を照らしていた。




