第九十五話 帰る人
「できました」
パウラの声は、興奮を抑えきれないように弾んでいた。
帝都の工房、机の上には、見たことのない形の魔法陣が描かれている。
「人を送る術、確立できたの?」
江理が尋ねると、パウラは大きく頷いた。
「まだ、絶対確実とは言い切れない。でも、理論上は、十分可能な域に来てる」
「危険は」
「ゼロじゃない。でも、物を送る実験は、百回以上成功してる。人でも、同じ理屈が通用するはず」
パウラの目には、研究者としての確信と、わずかな緊張が同居していた。
◇
その知らせを受けて、真っ先に工房を訪れたのは、仁だった。
「パウラ殿。お願いがあります」
「レイモンド先生?」
「私を、日本へ送ってほしい」
少し驚いた顔を、パウラがした。
「本気、ですか」
「本気です」
まっすぐ、パウラを見た。
「私は、何十年も前に、この世界へ連れてこられた人間です。帰る道があるなら、そこに賭けたい」
しばらく仁を見つめてから、パウラは頷いた。
「分かった。準備を進める」
◇
その夜、仁は、桜子の元を訪れた。
「サクラコ殿」
「聞きました。パウラさんのところへ、行ったそうですね」
桜子の声は、硬かった。
「はい」
「本当に、帰るんですか」
「まだ、決めたわけではありません。でも、可能性があるなら、試してみたいと思ったんです」
しばらく、言葉が返ってこなかった。
それから、意を決したように、口を開いた。
「一緒に、戻りませんか」
その言葉に、仁の方が驚いた。
「サクラコ殿?」
「もし、仁さんが帰るなら。私も、一緒に」
桜子は、まっすぐ仁を見た。
「日本に、未練はないつもりでした。でも、仁さんが行くなら、話は別です」
仁の口から、すぐには言葉が出なかった。
「……それは、本気の申し出ですか」
「本気です」
桜子は、きっぱりと答えた。
「一人にしたくないんです。仁さんを」
その言葉に、仁の目が、揺れた。
「ありがたい申し出です。でも」
「でも?」
「あなたは、ここで必要とされている人です。セレネ様も、サラ様も、他宮の方々も」
静かに、続ける。
「あなたまで連れていくのは、私のわがままが、あまりにも過ぎます」
「仁さんは、どうなんですか」
桜子の声に、少し強さが戻った。
「仁さんも、ここで必要とされてる。宮廷医として、何十年も、ちゃんと役目を果たしてきた」
「それでも」
仁は、窓の外に目をやった。
「日本に、家族がいます。妻子はいませんが、両親や、兄弟は」
「……生きて、いますか」
「分かりません。もう、何十年も前のことですから」
その声には、長い年月の重みがあった。
「生きていようと、亡くなっていようと、一度、確かめたいんです。あの日、何も言わずに消えた自分が、どう思われていたのか」
その言葉に、桜子は何も返せなかった。
二人の間に、答えの出ない沈黙が、静かに横たわっていた。




