第九十四話 何十年もの孤独
翌日、江理とエイトにも、レイモンドから話があるということで、四人が一室に集まった。
「改まって、何でしょう」
エイトが、怪訝そうに尋ねる。
レイモンドは、深く息を吸ってから、静かに語り始めた。
「私は、本当はレイモンドという名ではありません。本名は、京野仁といいます」
その一言に、エイトが、大きく目を見開いた。
「……仁?」
「驚かせて、すまない」
エイトに向けて、小さく頭を下げる。
「お前が? 異世界から?」
「ああ」
「何十年も、黙っていたのか」
エイトの声には、驚きと、戸惑いが入り混じっていた。
「黙っていたのではなく、黙るしかなかったんだ」
静かに、続ける。
「私を召喚したのは、ある貴族の女性だった。夫を、病で亡くしたばかりの人だった」
江理は、息を呑んで、その話に耳を傾けた。
「彼女は、亡き夫に似た人物を求めて、召喚士に依頼した。そうして呼ばれたのが、私だった」
「似た、人物?」
「ああ。召喚された直後、私は、ある名を与えられた」
一度、言葉を切った。
「レイモンド。それが、亡くなった夫の名前だった」
部屋に、重い沈黙が落ちた。
「つまり、お前は」
「身代わりだった。最初から、そういう扱いだった」
その声には、感情を抑えた平静さがあった。けれど、その奥に、長年積み重ねてきた孤独が滲んでいた。
「驚いたか」
「驚いたさ」
エイトが、低く答えた。
「でも、それ以上に、何十年も一人で抱えてきたことに、怒りを覚える。なぜ、俺にも言わなかった」
「言えば、お前を巻き込むことになる」
まっすぐ、エイトを見た。
「異世界から来た者を匿うことが、どれほどの罪になるか、お前も知っているだろう。当時は、今よりずっと、厳しい時代だった」
「それでも」
「それに」
少し、目を伏せる。
「話したところで、何も変わらないと思っていた。依頼した女性も、召喚士も、とうに亡くなっている。真実を知る者は、もう誰もいない」
「誰も、いない……」
江理は、その言葉の重さを、改めて噛みしめた。
何十年もの間、誰にも打ち明けられず、証明する術もなく、ただ一人、その秘密を抱え続けてきた。
「どうやって、今まで誰にも気づかれずに」
エイトが、絞り出すように尋ねた。
「気づかれないように生きること自体が、日常になっていた」
仁は、淡々と答えた。
「医術の知識は、元の世界のものが役に立った。それを、この世界のやり方に合わせて使う。そうして、少しずつ信用を得ていった」
「それだけじゃないだろう」
「ああ」
仁は、小さく頷いた。
「誰かと深く関わりすぎないようにしてきた。親しくなりすぎれば、いつか、何かのきっかけで真実が漏れるかもしれない。そう思うと、どうしても、一線を引いてしまっていた」
「……お前と俺の間にも、その一線があったのか」
エイトの声に、わずかな痛みが滲んだ。
「あった。すまない」
仁は、素直にそう答えた。
「それでも、お前との付き合いは、私にとって数少ない、心を許せる時間だった。それだけは、信じてほしい」
エイトは、しばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「分かった。今はもう、恨み言は言わない」
「ありがとう」
「レイモンド先生」
江理が、静かに声をかけた。
「……仁さん、と呼んだ方がいいですか」
「どちらでも。もう、どちらも、私の名前です」
仁は、小さく笑った。
「レイモンドとして生きた時間の方が、今は長いですから」
その言葉に、哀しみと、諦めに似た穏やかさが同居していた。
「でも、仁さんとして生きた時間も、ちゃんとあったんですね」
江理がそう言うと、仁は、少し驚いたように顔を上げた。
「……そうですね。忘れかけていましたが」
その目に、わずかな光が戻った。
江理は、自分のことを思った。
この世界に来て、江理と呼ばれ、先生と呼ばれ、やがて王太子妃とも呼ばれるようになった。
けれど、どの呼び方をされても、自分が前村江理であることは、一度も揺らがなかった。
仁の場合は、違う。
本当の名を名乗ることすら許されず、何十年もの間、他人の名前を生きてきた。
その重さは、江理の想像をはるかに超えるものだった。
「ずっと一人で、抱えてきたんですね」
江理の言葉に、仁は、静かに頷いた。
「孤独には、慣れていたつもりでした。でも、サクラコ殿に出会って、ようやく、それが本当は辛いことだったと、気づかされました」
窓の外には、穏やかな午後の光が差し込んでいた。
長い孤独の時間が、ようやく、誰かと分かち合えるものになろうとしていた。




