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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第6章 それぞれの道を考え始めちゃった。

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第九十三話 もう一つの秘密

 その知らせが届いたのは、穏やかな午後のことだった。

「パウラから、文が」

 シリルが、息を切らせて執務室へ駆け込んできた。

「送還術、ついに、人を対象にできる段階まで来たそうです」

 その場にいた者たちの間に、ざわめきが広がった。

「本当か」

 江理の体が、卓の上に乗り出した。

「はい。まだ確実とは言えないそうですが、物を送る実験は、何度も成功を重ねてきたと」

「すごいじゃないですか」

 アイリスが、目を輝かせる。

「江理さんが作った法律のおかげで、こうして技術も育ってるんですね」

「大袈裟だよ」

 そう返しながらも、江理の胸には、確かな感慨があった。

 あの法律は、召喚を縛るためだけのものではなかった。

 安全な召喚、そして、安全な帰還。その両方を、少しずつ形にしてきたのだと、改めて実感した。

 資料を整理する手を、レイモンドが止める。

 その様子に、桜子は気づいた。

 いつもなら、こうした話題には冷静に反応する人だった。それなのに、今は、顔から血の気が引いているように見えた。

「レイモンド先生?」

「……ああ、失礼」

 小さく、咳払いをする。

「良い知らせだと思います。誰かが、帰れる道が開けるのは」

 その声は、どこか硬かった。

 ◇

 その夜、桜子は、レイモンドの部屋を訪ねた。

「先生、さっきの話」

「何でしょう」

「何か、様子が変でした」

 しばらく、何も返ってこなかった。

「お気になさらず」

「気になります」

 まっすぐ、レイモンドを見る。

「私たち、想いを伝え合った仲じゃないですか。隠し事があるなら、聞かせてください」

 その言葉に、レイモンドは、長い沈黙のあと、静かに口を開いた。

「サクラコ殿。一つ、お話ししなければならないことがあります」

「はい」

「私は……本当は、レイモンドという名前ではありません」

 その一言に、桜子は、息を呑んだ。

「本名は、京野仁といいます。私も、あなたと同じ、日本から来た人間です」

「……え?」

 桜子の口から、すぐには言葉が出てこなかった。

「ずっと、黙っていたんですか」

「はい。何十年も」

 静かに、頷いた。

「召喚されたとき、既に『レイモンド』という名を与えられていました。亡くなった、ある方の名前です」

「亡くなった、方の」

「詳しい事情は、改めてお話しします。ただ、今日まで、誰にも本当のことを明かせないまま生きてきました」

 その声には、長い年月の重みが滲んでいた。

 何から聞けばいいのか、分からなくなる。

「どうして、今になって」

「送還術の話を聞いて」

 ゆっくりと、息を吐く。

「私にも、帰る道が、本当にあるかもしれないと思ったんです」

 その言葉に、桜子の胸が、ぎゅっと締め付けられた。

「帰りたい、んですか」

「分かりません。でも、考えずにはいられなくなりました」

 桜子の目を、まっすぐ見た。

「あなたに、黙っていたくなかった。それだけは、伝えておきたくて」

「どうして、今まで誰にも」

「話す理由が、なかったんです」

 静かに、答える。

「エイトにも、何十年も黙っていました。話したところで、誰かが得をするわけでもない。それに、異世界から来たと知られれば、どう扱われるか分からない。昔は、今よりずっと、その手の話が物騒でしたから」

 その言葉に、桜子は、辺境伯領で起きたマイミの過去を思い出した。

 この世界は、異世界人にとって、必ずしも安全な場所ではなかった。

「怖かった、んですね」

「そうかもしれません」

 小さく笑う。自嘲めいた、乾いた笑みだった。

「気がつけば、『レイモンド』として生きることの方が、慣れてしまって」

「仁さん、とは」

 桜子が、その名を呼んでみる。

 レイモンドの目が、わずかに見開かれた。

「……久しぶりに、呼ばれました。その名で」

「違和感、ありますか」

「いえ」

 首を振った。

「むしろ、懐かしいです。忘れかけていた自分を、思い出させてもらえた気がします」

 その声には、どこか安堵の響きがあった。

 それでも、桜子の胸の奥から湧き上がる不安は、どうにも飲み込みきれなかった。

「帰りたい、って気持ちは」

「まだ、自分でも分かりません」

 正直に、そう答える。

「ただ、道があるかもしれないと知って、心が揺れているのは、事実です」

 その言葉が、桜子には、これから訪れる何かの予兆のように感じられた。

 窓の外では、夜がゆっくりと更けていく。

 二人の間に、これまでとは違う種類の静けさが、横たわっていた。


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