第八話 召喚した責任、取ってもらいます
シリルが久しぶりに村へ姿を見せたのは、診療所の壁に新しい薬棚が増えた頃だった。
「よう、元気そうだな」
軽い調子で片手を上げる召喚士に、江理は満面の笑みを返した。
「シリルさん、ちょうどよかった。少しお時間いいですか」
「お、なんだ、俺を待ってたのか?」
まんざらでもなさそうな顔をするシリルを、江理は診療所の奥の椅子に座らせた。逃げ場のない配置だということに、本人が気づいた時にはもう遅かった。
「単刀直入に聞きます。私をここに呼んだのは、あなたですよね」
「そうだが」
「医者が必要だったから?」
「そうだ」
「誰かに頼まれたんですか」
「まあ……そういう仕事は、時々な」
「仕事、ですか」
江理の声のトーンが、すっと一段低くなった。シリルの背筋がわずかに伸びる。
「報酬は、いただいてるんですよね」
「そりゃあ、まあ。小遣い程度だが」
「お小遣い」
繰り返された言葉に、シリルの表情が、まずいと言わんばかりに固まった。
「つまりあなた、お小遣い稼ぎのために、私を異世界に拉致したんですか」
「拉致とは人聞きが悪いな。召喚だ」
「本人の同意なしに連れてくるのを、こっちでは拉致と言います」
「……そう、なるのか」
しどろもどろになるシリルに、江理は容赦なく畳みかけた。
「私には家族がいます。仕事もありました。患者だっていました。それを、あなたのお小遣いのために、丸ごとこっちへ持ってこられたわけです」
「……」
シリルが黙り込む。ここまでは、想定内の反応だった。江理は本題に入った。
「帰してください」
「……それは」
「ありますよね、帰す方法」
「…………」
「シリルさん?」
「……俺には、できない」
「あなたには?」
その言い方に、江理は聞き逃さず食いついた。
「召喚術と送還術は、別物だ。少なくとも俺は、異界へ人を送り返す術を知らん」
その一言に、江理はしばし動きを止めた。
「ちょっと待ってください。整理させてください」
医者の癖で、こういうときほど声は静かになる。
「あなたは、人をこの世界に呼べる」
「ああ」
「でも、あなた自身には、元の世界に戻す術がない」
「……そういうことになる」
「それを確認もせずに、私を呼んだ、と」
シリルが視線を逸らした。それが何より雄弁な返事だった。
江理の中で、何かがすっと冷たく静まった。怒鳴るより先に、頭の中が妙に澄んでいく。
「シリルさん」
「な、なんだ」
「私みたいな人間のことを、王宮が知ったら、放っておかないって聞きました」
シリルの顔から、すっと血の気が引いた。
「エリー殿……まさか」
「じゃあ私、王宮に行って、全部話してきますね」
「な——」
「本人の同意なく異世界から召喚されました。呼んだのはシリルという方です。帰す術は、本人には無いそうです、って」
「待て!」
初めてシリルの声が裏返った。
「何か、困るんですか」
「無許可の異界召喚が知られたら、俺がどうなると思ってる!」
その言葉に、江理はわずかに目を見開いた。どうやら、シリル自身にとっても、決して軽い仕事ではなかったらしい。
だからといって、同情する義理はない。
「私は、ものすごく困ってるんですけど」
完全に形勢が逆転した瞬間だった。
シリルが両手を上げ、降参のポーズを取る。
「分かった、分かった。何をすればいい」
「まず、帰る方法を調べてください。これは絶対」
「……分かった」
「それから、この国で一番腕のいい職人を紹介してください」
江理は懐から一枚の紙を取り出した。鉗子、針、ハサミ――記憶を頼りに描いた、簡単な医療器具の図面だった。
「こういうものが作れる人を探してほしいんです」
シリルが図面を覗き込み、怪訝な顔をする。
「……何に使う」
「人を治すためです」
しばらく図面を睨んでいたシリルが、ぽつりと呟いた。
「王都なら、似たものを作れる職人がいるかもしれん」
「王都?」
「王宮ではないぞ。断じて」
「王宮でもいいですけど」
「やめろ!!」
悲鳴に近い声に、江理はようやく少し楽しくなってきた。
「あ、それと」
「まだあるのか」
「紙。カルテに使うので、今すぐ持ってきてください」
「今すぐ?」
「今すぐです」
シリルが目を剝いた。
「俺は召喚士だぞ。使い走りじゃない」
「使い走りが嫌なら、王宮に――」
「分かった、持ってくる! 持ってくればいいんだろう!」
薬を扱う場所、金属加工のできる職人。条件を一つずつ挙げていくたび、シリルの顔色がどんどん悪くなっていく。それでも、断るという選択肢はもう彼には残されていないようだった。
最後に、江理は立ち去ろうとするシリルの背に声をかけた。
「シリルさん」
「……今度は何だ」
「ちゃんと調べてきてくださいね」
「分かってる!」
「忘れたら、王宮に行きますから」
「分かったと言っているだろう!」
逃げるように帰っていくシリルの後ろ姿を見送りながら、江理は小さく息を吐いた。
診療所の扉の陰から、くすくすという笑い声が漏れた。
振り向くと、アイリスとハンナが、扉の隙間からこっそり様子を窺っていたらしい。
「……見てたんですか」
「見てました」
悪びれもせず答えるアイリスの隣で、ハンナも口元を押さえて笑いを堪えている。
「エリーさん、あんな顔もできるんですね」
「シリルさんが可哀想なくらいでしたよ」
二人は顔を見合わせ、示し合わせたように、同時ににっこりと笑った。その笑みには、からかいだけでなく、どこか誇らしげな色も混じっているように見えた。
その温かい空気の中で、江理はふと、自分が口にした言葉が遅れて胸に落ちてくるのを感じた。
帰る方法を調べてください。
そう言ったものの、帰れる保証など、どこにもない。
父も、母も、理江も。今頃、自分をどれだけ探しているだろう。
――だからこそ、シリルには調べてもらう。絶対に。
その決意を静かに握りしめてから、江理は表情を切り替えた。
――なんだ。
この人、案外、使えるかもしれない。
怒りはまだくすぶっていたが、それとは別に、何かひとつ、頼れる糸口を手に入れた気がした。




