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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第1章 辺境の村ピーコックで、初めての医者になっちゃった。

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第八話 召喚した責任、取ってもらいます

 シリルが久しぶりに村へ姿を見せたのは、診療所の壁に新しい薬棚が増えた頃だった。

「よう、元気そうだな」

 軽い調子で片手を上げる召喚士に、江理は満面の笑みを返した。

「シリルさん、ちょうどよかった。少しお時間いいですか」

「お、なんだ、俺を待ってたのか?」

 まんざらでもなさそうな顔をするシリルを、江理は診療所の奥の椅子に座らせた。逃げ場のない配置だということに、本人が気づいた時にはもう遅かった。

「単刀直入に聞きます。私をここに呼んだのは、あなたですよね」

「そうだが」

「医者が必要だったから?」

「そうだ」

「誰かに頼まれたんですか」

「まあ……そういう仕事は、時々な」

「仕事、ですか」

 江理の声のトーンが、すっと一段低くなった。シリルの背筋がわずかに伸びる。

「報酬は、いただいてるんですよね」

「そりゃあ、まあ。小遣い程度だが」

「お小遣い」

 繰り返された言葉に、シリルの表情が、まずいと言わんばかりに固まった。

「つまりあなた、お小遣い稼ぎのために、私を異世界に拉致したんですか」

「拉致とは人聞きが悪いな。召喚だ」

「本人の同意なしに連れてくるのを、こっちでは拉致と言います」

「……そう、なるのか」

 しどろもどろになるシリルに、江理は容赦なく畳みかけた。

「私には家族がいます。仕事もありました。患者だっていました。それを、あなたのお小遣いのために、丸ごとこっちへ持ってこられたわけです」

「……」

 シリルが黙り込む。ここまでは、想定内の反応だった。江理は本題に入った。

「帰してください」

「……それは」

「ありますよね、帰す方法」

「…………」

「シリルさん?」

「……俺には、できない」

「あなたには?」

 その言い方に、江理は聞き逃さず食いついた。

「召喚術と送還術は、別物だ。少なくとも俺は、異界へ人を送り返す術を知らん」

 その一言に、江理はしばし動きを止めた。

「ちょっと待ってください。整理させてください」

 医者の癖で、こういうときほど声は静かになる。

「あなたは、人をこの世界に呼べる」

「ああ」

「でも、あなた自身には、元の世界に戻す術がない」

「……そういうことになる」

「それを確認もせずに、私を呼んだ、と」

 シリルが視線を逸らした。それが何より雄弁な返事だった。

 江理の中で、何かがすっと冷たく静まった。怒鳴るより先に、頭の中が妙に澄んでいく。

「シリルさん」

「な、なんだ」

「私みたいな人間のことを、王宮が知ったら、放っておかないって聞きました」

 シリルの顔から、すっと血の気が引いた。

「エリー殿……まさか」

「じゃあ私、王宮に行って、全部話してきますね」

「な——」

「本人の同意なく異世界から召喚されました。呼んだのはシリルという方です。帰す術は、本人には無いそうです、って」

「待て!」

 初めてシリルの声が裏返った。

「何か、困るんですか」

「無許可の異界召喚が知られたら、俺がどうなると思ってる!」

 その言葉に、江理はわずかに目を見開いた。どうやら、シリル自身にとっても、決して軽い仕事ではなかったらしい。

 だからといって、同情する義理はない。

「私は、ものすごく困ってるんですけど」

 完全に形勢が逆転した瞬間だった。

 シリルが両手を上げ、降参のポーズを取る。

「分かった、分かった。何をすればいい」

「まず、帰る方法を調べてください。これは絶対」

「……分かった」

「それから、この国で一番腕のいい職人を紹介してください」

 江理は懐から一枚の紙を取り出した。鉗子、針、ハサミ――記憶を頼りに描いた、簡単な医療器具の図面だった。

「こういうものが作れる人を探してほしいんです」

 シリルが図面を覗き込み、怪訝な顔をする。

「……何に使う」

「人を治すためです」

 しばらく図面を睨んでいたシリルが、ぽつりと呟いた。

「王都なら、似たものを作れる職人がいるかもしれん」

「王都?」

「王宮ではないぞ。断じて」

「王宮でもいいですけど」

「やめろ!!」

 悲鳴に近い声に、江理はようやく少し楽しくなってきた。

「あ、それと」

「まだあるのか」

「紙。カルテに使うので、今すぐ持ってきてください」

「今すぐ?」

「今すぐです」

 シリルが目を剝いた。

「俺は召喚士だぞ。使い走りじゃない」

「使い走りが嫌なら、王宮に――」

「分かった、持ってくる! 持ってくればいいんだろう!」

 薬を扱う場所、金属加工のできる職人。条件を一つずつ挙げていくたび、シリルの顔色がどんどん悪くなっていく。それでも、断るという選択肢はもう彼には残されていないようだった。

 最後に、江理は立ち去ろうとするシリルの背に声をかけた。

「シリルさん」

「……今度は何だ」

「ちゃんと調べてきてくださいね」

「分かってる!」

「忘れたら、王宮に行きますから」

「分かったと言っているだろう!」

 逃げるように帰っていくシリルの後ろ姿を見送りながら、江理は小さく息を吐いた。

 診療所の扉の陰から、くすくすという笑い声が漏れた。

 振り向くと、アイリスとハンナが、扉の隙間からこっそり様子を窺っていたらしい。

「……見てたんですか」

「見てました」

 悪びれもせず答えるアイリスの隣で、ハンナも口元を押さえて笑いを堪えている。

「エリーさん、あんな顔もできるんですね」

「シリルさんが可哀想なくらいでしたよ」

 二人は顔を見合わせ、示し合わせたように、同時ににっこりと笑った。その笑みには、からかいだけでなく、どこか誇らしげな色も混じっているように見えた。

 その温かい空気の中で、江理はふと、自分が口にした言葉が遅れて胸に落ちてくるのを感じた。

 帰る方法を調べてください。

 そう言ったものの、帰れる保証など、どこにもない。

 父も、母も、理江も。今頃、自分をどれだけ探しているだろう。

 ――だからこそ、シリルには調べてもらう。絶対に。

 その決意を静かに握りしめてから、江理は表情を切り替えた。

 ――なんだ。

 この人、案外、使えるかもしれない。

 怒りはまだくすぶっていたが、それとは別に、何かひとつ、頼れる糸口を手に入れた気がした。

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