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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第1章 辺境の村ピーコックで、初めての医者になっちゃった。

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第七話 医者の手

 朝、身支度をしていると、枕元の光がいつもよりせわしなく瞬いた。

『大変、大変』

「ノア? どうしたの、そんなに慌てて」

『昨日の夜、他の子たちに見つかっちゃった。エリーとお話ししてるの』

「見つかったって……それ、まずいの?」

『すごく羨ましがられた。わたしだけずるいって』

 ノアは心底困った様子で、光を小刻みに揺らしている。

「秘密にしてるんじゃなかったの?」

『わたしたちの間だけの話。人間には言わないから大丈夫』

 どうやら妖精同士の噂話までは、イアンの言いつけの及ぶ範囲外らしい。江理は思わず笑ってしまった。

『とにかく、しばらくはこっそり会いに来るから。みんなに見つからないように』

 そう言って、光は名残惜しそうに窓の外へ溶けていった。

 朝食のあと、江理はアイリスと連れ立って村の外れの薬草園へ向かった。

「今日はここの葉を採りましょう。熱を下げるのに使えるので」

 アイリスに教わりながら、葉の見分け方を一つずつ覚えていく。似たような形の草でも、香りや裏側の産毛の有無で効能がまるで違うのだと知り、江理は素直に驚いた。

 昼過ぎには診療所に戻り、二人で棚の中身を整理する。採ってきた薬草を種類ごとに束ね、乾燥中のものと使えるものとを分けていく、地道な作業だった。

「こうやって並べると、それっぽく見えてきましたね」

「うん、だいぶ診療所らしくなってきた」

 そんな穏やかな会話を交わしていた矢先、外から荒い足音と怒鳴るような声が近づいてきた。

「先生! 先生はいるか!」

 戸を蹴破るような勢いで飛び込んできたのは、村の若者だった。抱えられているのは、腕から血を流した少年だ。木から落ちた際に、折れた枝で腕を深く裂いたのだという。

「そこの台に寝かせて」

 江理の声色が、一瞬で変わった。

 傷口を確認する。出血の量、深さ、骨まで達しているかどうか。頭の中で瞬時に優先順位が組み上がっていく。

「アイリス、清潔な布と、一番強い酒。それから、痛み止めになる薬草はある?」

「はい、痺れ草なら……!」

 アイリスが棚から取り出したのは、以前教わった、痛みを鈍らせる効能を持つという葉だった。すり潰して傷の周りに塗ると、しばらくして感覚が鈍くなるのだという。

 完全に痛みを消せるわけではない。それでも、何もないよりはずっといい。

「少年、これから傷を縫うよ。痛いのは最初だけだから、我慢できる?」

 青ざめた顔で頷く少年に、江理は布を嚙ませ、手を強く握らせた。

 薬草を塗った箇所に強い酒をかけて消毒し、止血をしながら傷口を洗浄する。針も糸も現代のものとは違うが、手技そのものは体に染み付いている。落ち着いた声で少年に話しかけながら、迷いのない手つきで傷を縫い合わせていった。

 周りで見ていた村人たちが、いつの間にか固唾を呑んで見守っている。

「よし、これでもう大丈夫。骨には達してない。数日安静にしていれば、腕も元通り動くよ」

 少年の顔から強張りが抜け、付き添いの若者が何度も頭を下げた。

「先生、すごい……こんな、あっという間に」

 村人の一人がぽつりと漏らした声に、江理は自分でも意識していなかった緊張が、今さらどっと押し寄せてくるのを感じた。

 それでも、傷を診るその瞬間だけは、迷いも不安もなかった。

 これだけは、自分にできること。

 アイリスが横で、目を輝かせながら江理を見ていた。

「エリーさん、本当にすごいです……」

「これは、専門だから」

 照れくさそうに答える江理の頬に、久しぶりに医者としての確かな手応えが戻っていた。

 ひと息ついたところで、ようやく余裕が出てきた江理は、少年に向き直った。

「そういえば、名前、まだ聞いてなかったね」

「……トビアスです」

 緊張が抜けきらない声で、少年が答える。

「トビアスね。しばらく腕を大事にして。傷が塞がるまで、無理はしないで」

 頷く少年を見送りながら、江理はふと思い立った。

「アイリス、今日みたいなこと、記録に残しておいた方がいいかも」

「記録、ですか?」

「誰が、いつ、どんな怪我や病気で、どう治療したか。書き留めておけば、次に似たようなことがあったとき、役に立つと思う」

 病院ではカルテとして当たり前にやっていたことだったが、この村ではまだ誰もやっていない。

「いいですね、それ。私が書き方、考えてみます」

 アイリスが早速、紙と炭の欠片を手に取り、今日の出来事を書き留め始めた。

「トビアス、腕の裂傷、縫合……これでいいですか?」

「うん、それで大丈夫。あとは経過も、また診たときに書き足していこう」

 簡素な帳面が、少しずつ診療所の記憶を積み重ねていく。

 それは、この村に根を張っていくための、小さいけれど確かな一歩のように思えた。

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