第八十六話 帝都一の天才
シリルが、もう一度ピーコック村を訪れたのは、数日後のことだった。
「あの、アイリスさん」
「はい?」
「その、サインを、いただけませんか」
「サイン?」
きょとんとした顔を、アイリスがする。
「庭の噂、帝都でも広まってるんです。『アイリスの庭園』の、考案者の」
「考案者って、まだ薬草園が少し広がっただけですよ」
「それでも! これから有名になるに決まってますから、今のうちに!」
シリルが、紙と木炭を差し出す。
江理は、横でその様子を見ながら、噴き出しそうになった。
「シリル、相変わらず気が早いね」
「こういうのは、早いもの勝ちなんです」
「分かりました分かりました」
アイリスは、苦笑しながらも、律儀に名前を書いてあげていた。
◇
「それで、召喚術の協力者のことなんだけど」
江理が本題を切り出すと、シリルは、急に真剣な顔になった。
「実は、心当たりがいます。パウラっていう子で」
「子?」
「僕より、三つ年下です。でも、腕前は、もうとっくに僕を追い越してて」
少し複雑そうな顔で、シリルが言う。
「今じゃ、帝都で一番の召喚士って呼ばれてます」
◇
数日後、帝都の一角にある小さな工房で、江理はパウラと対面した。
「あなたが、江理さん?」
パウラは、机に広げた魔法陣の図から顔も上げずに言った。
「話は、聞いてる。婦人科の医師を呼びたいんでしょ」
「うん、そうなの」
「それ自体は、難しくないよ。条件さえ揃えば」
パウラは、ようやく顔を上げた。
どこか浮世離れした、不思議な目をした少女だった。
「ただ、シリル先輩じゃ、ちょっと荷が重いと思うけど」
「ちょ、パウラ」
慌てて、シリルが口を挟んだ。
「だって、本当のことでしょ。先輩、まだ複数条件の魔法陣、安定させられないし」
「それは、お前が規格外なだけで」
「えー、そうかな」
パウラは、小首を傾げた。
その様子に、つい笑いがこぼれた。
「二人、仲良いんだね」
「仲良くないです」
即座に、シリルが否定する。
「仲良いでしょ。先輩のこと、嫌いじゃないよ」
「それは」
シリルが、言葉に詰まる。
パウラは、そんな先輩には構わず、机の上の資料を熱心にめくり始めた。
「婦人科医、ね。条件を絞るのに、いくつか確認したいことがあるんだけど」
「何でも聞いて」
「専門性、年齢、性格の傾向。あと、できれば、この世界に馴染みやすい人がいい」
パウラの口調は、淡々としていた。けれど、その目には、確かな集中力が宿っていた。
「本気で、やってくれるんだ」
江理がそう言うと、パウラは、少し不思議そうな顔をした。
「召喚術の話でしょ。本気にならない理由がない」
それから、何かを思い出したように、付け加えた。
「そういえば、江理さんって、帰る方法のこと、考えたことある?」
「……え?」
唐突な問いに、江理は戸惑った。
「召喚は、こっちに呼ぶ術でしょ。でも、逆に送り返す術って、まだ誰もちゃんと確立できてないの。私、個人的に、それも研究してて」
「送り返す、術……」
「うん。呼ぶより、何倍も難しいんだけどね」
パウラは、机の端に積まれた、別の資料の山に目をやった。
「今は、物を送る実験からやってる。いきなり人でなんて、怖くてできないし」
「物?」
「うん。小さな石とか、紙切れとか。無事に届いたか確かめる方法もないから、まだ手探りなんだけどね」
パウラは、少し苦笑した。
「いつか、形にしたいと思ってる。今回とは別の話だけど」
「どうして、それを?」
江理が尋ねると、パウラは、少し肩をすくめた。
「召喚術やってると、たまに聞くの。帰りたいのに、帰れない人がいるって話」
その一言に、江理は何も言えなくなった。
その一言に、江理は、この少女の本質を見た気がした。
人への興味は薄いかもしれない。けれど、召喚術のことになると、誰よりも真剣になれる。
それが、パウラという人間らしかった。




