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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第5章 王太子妃になったら、スランプになっちゃった。

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第八十四話 静かな時間

 あの夜から、少しずつ、時間が動き始めていた。

 まだ、以前のようには笑えない。それでも、食事を一口でも多く口にできるようになり、窓の外を見る時間も、少しずつ増えていた。

「エリー様、お加減は」

 アメリアが、静かに尋ねる。

「少しずつ、いいです」

 その答えに、嘘はなかった。

 ◇

 机の引き出しにしまったままだった、アイリスからの手紙。

 江理は、ある朝、ようやくそれを開く気になった。

 便箋には、丁寧な字で、こう書かれていた。

「エリーさんのことを、ずっと考えています。無理に元気になってほしいとは思いません。ただ、庭は、エリーさんが戻ってくるのを待っています。いつでも、好きな時に来てください」

 短い文章だった。

 それでも、何度も読み返すうちに、江理の目から、静かに涙がこぼれた。

 悲しみの涙ではなかった。

 ただ、自分を待っていてくれる場所があることが、今は何より、心に染みた。

 ◇

 数日後、江理はオジーと共に、ピーコック村を訪れた。

「大丈夫か」

「うん。少し、庭が見たくて」

 馬車を降りると、アイリスが真っ先に駆け寄ってきた。

「エリーさん」

 その声には、気遣いと、確かな喜びが混じっていた。

「来てくれて、嬉しいです」

「手紙、ありがとう。何度も読んだ」

「よかった」

 アイリスは、江理の手を取ると、薬草園の方へ案内した。

 そこには、以前よりも、少しだけ緑が増えていた。

「あれから、少しずつ増やしてます」

 カモミールの白い花、ルイボスの苗、そしてジャスミンの木。

 まだ小さな庭だったが、確かに形を帯び始めていた。

「綺麗……」

 江理は、しばらくその場に立ち尽くした。

「まだまだ、これからです」

 アイリスが、嬉しそうに言う。

「エリーさんが、戻ってくるまでにって、少しずつ進めてました」

「私のために?」

「それだけじゃないです。でも、エリーさんのためにも、頑張りました」

 その言葉に、江理は胸が温かくなった。

 ◇

 庭の隅にある、小さなベンチに腰掛ける。

「少し、座っててもいい?」

「もちろんです」

 アイリスは、そう言うと、少し離れた場所で水やりを続けた。

 江理は、庭を眺めながら、ゆっくりと息を吸った。

 花の香り、土の匂い、風の音。

 何も求められない、ただそこにいるだけの時間。

 それが、今の江理には、何よりの薬だった。

 しばらくして、オジーが隣に腰を下ろした。

「どうだ」

「……いい時間」

「そうか」

 二人は、しばらく無言で、庭を眺めていた。

 まだ、完全に癒えたわけではない。

 それでも、静かに流れていくこの時間が、少しずつ、江理の中の何かを修復していくようだった。

 風が、ジャスミンの香りを運んでくる。

 その香りに、江理は、小さく微笑んだ。

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