第七十三話 新しい命
妖精たちの言葉が、頭から離れなかった。
――新しい、光。
その夜、江理は自分の体調を、一つずつ振り返ってみた。
このところ、少し疲れやすい。食べ物の好みが、微妙に変わった気がする。匂いにも、以前より敏感になっている気がした。そして、月のものも、少し遅れている。
一つひとつは、取るに足らないことだと思っていた。忙しいから、季節の変わり目だから、と理由をつけて流してきた。
でも、こうして並べてみると、無視できない符合があった。
医者として、何度も他人に同じ問診をしてきた。年齢、周期、体調の変化。それを聞いて、可能性を絞り込んでいく作業は、いつも慣れたものだった。
それを、自分自身に向けたことは、これまであまりなかった。
「……まさか、ね」
口に出してみると、思っていたより現実味を帯びて聞こえた。
――気をつけて、たはずなのに。
子どもについては、まだ早い。そう二人で話し合って、それなりに気を配ってきたつもりだった。
医学の知識も、それなりにある。それでも、絶対はない。
頭では分かっていたはずのことが、まさか自分の身に起きるとは、思っていなかった。
翌朝、江理はマイミに相談した。
「妊娠?」
マイミの目が、輝いた。
「江理ちゃん、それ、すぐ調べよう」
「まだ、確かなことは」
「だからこそ、調べるんでしょ」
マイミに背中を押されるまま、江理は自分の体を診てもらうことになった。
◇
「間違いないと思う」
診察を終えたマイミが、静かにそう告げた。
江理は、しばらく言葉が出なかった。
「……本当に?」
「うん。おめでとう、江理ちゃん」
その一言に、実感が、じわりと胸に広がっていく。
これまで、数えきれないほどの新しい命に立ち会ってきた。けれど、それが自分のこととなると、まったく違う重みがあった。
「オジーに、伝えなきゃ」
「今すぐ?」
「今すぐ」
勢いよく、立ち上がっていた。
◇
「本当か」
知らせを受けたオジーは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「本当」
「江理が……俺の……」
言葉にならない様子で、オジーは何度も頷いた。
それから、江理の手をそっと取った。
「ありがとう」
「まだ、これからだよ。無事に生まれるまで、色々あるから」
「分かってる。それでも、ありがとう」
その声には、これまで聞いたことのない、深い喜びが滲んでいた。
◇
知らせは、すぐに城中に広がった。
「おめでとうございます!」
真っ先に駆けつけたアイリスが、涙ぐみながら抱きついてくる。
「マーサさんにも、報告しなきゃ」
「もう聞いたよ」
いつの間にか部屋の入り口に立っていたマーサが、満足げに笑っていた。
「妖精たちが、先に教えてくれてね」
「え、もう知ってたんですか」
「あの子たちは、そういうことに敏いからね」
窓の外では、妖精たちが嬉しそうに飛び回っていた。
『あたらしい、いのち!』
『おめでとう、エリー!』
その声に、江理は自然と笑みがこぼれた。
「昨日、ノアたちが言ってた『新しい光』って、これのことだったんですね」
江理がそう言うと、マーサが小さく頷いた。
「あの子たちには、あたしたちより先に見えるものがあるんだろうね」
「頼りになりますね」
「まったくだよ」
その日のうちに、シアンとピーコック村の両方に、知らせが届けられた。
イアン、ハンナ、フィン、マリー、リアム。ピーコック村とパール村から、次々とお祝いの言葉が寄せられた。
夕方には、ライリーとミラも顔を出した。
「よくやった」
ライリーは、珍しく江理の肩に手を置いた。
「無理はするなよ。今度ばかりは、俺たちも遠慮なく言わせてもらう」
「はい」
江理は、素直に頷いた。
まだ、この言葉の重みに、どれほどの意味があるのか、江理は気づいていなかった。
これから始まる新しい日々に、まだ何も知らない期待だけが、静かに膨らんでいた。




