第六十一話 領地の記録、浮上する過去
シアンの一室に、古い書類の山が積まれていた。
「国境を引き直すには、まず今ある記録を洗い直す必要がある」
ライリーがそう言って、文官たちに指示を出していた。
人口、土地の権利、税の記録。何十年分もの書類が、シアン公爵の書庫から運び出されていた。
「気の遠くなる作業ですね」
江理がそう漏らすと、シアン公爵が苦笑した。
「先代、先々代の頃からの記録だ。捨てるわけにもいかんのでな」
「建国に伴って、行政記録を一括で整理し直しているんです」
シアン公爵が、付け加えるように言った。
「医療関係の資料も、その中に紛れていましてね。分けながら進めているところです」
その日、江理は医療記録の整理を手伝うために、たまたまこの部屋に居合わせていた。マイミも一緒だった。
「江理ちゃん、こっちの束、見てみる? 古い召喚術の許可記録だって」
「召喚術?」
「うん。誰が、いつ、誰を呼んだか。全部、王宮――じゃなくて、皇宮に届け出る決まりだったみたい」
マイミが、束の中の一枚を手に取った。
「シリルさんの一件も、こうやって記録されるのかな」
「たぶん、そうなるね」
二人で紙をめくっていくうちに、江理はふと、一枚の紙に目を留めた。
「マイミさん、これ」
「どれ?」
「召喚術の許可申請なんだけど、途中で記録が止まってる」
紙には、申請者の名前と、召喚の目的、そして日付が記されていた。だが、その後に続くはずの結果の欄が、空白のままだった。
「許可は下りたみたいだけど、その後どうなったか、書かれてない」
マイミが、その紙を覗き込んだ。
次の瞬間、マイミの手が止まった。
「……この、場所」
「辺境伯領って書いてあるね。何か気になるの?」
江理が尋ねても、マイミはすぐには答えなかった。
紙に記された地名を、何度も目でなぞっている。
「マイミさん?」
「ちょっと、待って」
マイミの声が、いつもと違っていた。
江理が声をかけようとしたその時、部屋の入り口から、エイトが顔を出した。
「こちらにおられましたか。江理殿、少しお時間を」
「今、行きます」
江理は席を立ちながら、もう一度マイミを見た。
マイミは、まだその紙を見つめたまま、動かずにいた。
「マイミさん、大丈夫?」
「……うん」
短い返事だった。いつもの、からかうような軽さはどこにもなかった。
「先に行ってて。私、もう少しこれ見てから行く」
「分かった」
部屋を出る間際、江理は振り返った。
マイミは、紙を握りしめたまま、じっと動かずにいた。
その日の夜、診療所の片付けをしていた江理のところに、マイミがやってきた。
「江理ちゃん、少し話してもいい?」
「うん、もちろん」
いつもより硬い声だった。
マイミは、椅子に腰を下ろすと、しばらく黙り込んだ。
「あの記録に書いてあった名前……」
「うん」
「……その名前、知ってる」
その一言に、江理は息を呑んだ。




