第五十七話 帝都ローズでの聞き取り
帝都ローズへの往来は、以前よりずっと気軽になっていた。
「また来てくれるなんて、思いませんでした」
出迎えてくれたリーゼルの顔が、心から嬉しそうだった。
「セレネ様が、首を長くしてお待ちです」
通された部屋には、セレネと、サラの姿もあった。サラの腹は、以前よりも少し膨らんでいる。
「エリー先生」
サラが、真っ先に立ち上がった。
「お加減、良さそうですね」
「はい。おかげさまで」
サラは、そっと自分の腹に手を添えた。
「今日は、江理殿からお話があるとか」
セレネが、興味深そうに江理たちを見る。
「はい。ピーコックの医療を、これから整えていくにあたって」
江理は、アイリスが用意した紙を広げた。
「皇宮の女性たちに、改めて聞き取りをさせていただきたいんです」
「以前と、同じように?」
「はい。でも、今度は私たちだけじゃなく、村の医療にも活かすためのものです」
マイミが、横から付け加えた。
「月経のこと、妊娠や出産のこと、更年期のこと。皇宮でもピーコックでも、悩んでいることは、きっと同じだと思うので」
セレネは、しばらく考えてから頷いた。
「協力させてもらいます。あなたたちが来てから、皆、ずいぶん楽になったのですから」
「ありがとうございます」
◇
翌日から、聞き取りが始まった。
名前は伏せ、症状と困りごとだけを紙に書き留めていく。エイトが場を仕切り、マイミが問診を担当し、江理とアイリスが記録をまとめる。
「月のものが、二月も来ないことがあります」
「産んでから、どうにも体が元に戻らなくて」
「夫に、はっきり言えないことがあるんです」
一人また一人と、これまで誰にも言えなかった話が積み重なっていく。
「これ、リストにしてみると」
その日の終わり、紙を広げて見せたのはアイリスだった。
「症状の種類ごとに、驚くほど数が偏ってます。月経に関するものが、一番多いです」
「そうなんだ」
江理は、その一覧を覗き込んだ。
「これだけあると、ピーコックでも同じ傾向が出そうですね」
「出るでしょうね」
マイミが茶をすすりながら答える。
「体の作りは、皇宮の人もピーコックの人も、変わらないから」
静かに、エイトが口を挟んだ。
「一つ、気づいたことがあります」
「何ですか」
「相談に来られる方の多くが、同じ言葉を口にします。『こんなことで』と」
江理は、その言葉に手を止めた。
「こんなことで、悩んでいいのか分からない、ってことですか」
「はい。深刻な病だけが、相談していいことだと思っておられる」
「それ、皇宮のときも感じました」
江理は、少し考えてから続けた。
「症状の軽い重いじゃなくて、困ってるかどうかで、話していいと思ってもらえるようにしたいです」
「それが、江理殿のやり方ですな」
エイトが、穏やかに笑った。
◇
聞き取りが一段落した頃、サラが再び江理の元を訪れた。
「先生。子どもの、その後のことなのですが」
「はい」
「今のところ、順調だと、レイモンド先生からも」
「よかったです」
少し照れくさそうに、サラが続けた。
「実は、他の側妃の方々にも、記録をつけることを勧めてみたんです。私が楽になった話をしたら、皆さん興味を持ってくださって」
「サラ様が、広めてくれたんですか」
「私にできることが、それくらいしかなかったので」
その言葉に、江理は胸が温かくなった。
皇宮で聞き取った悩みの数々は、そのまま紙の束となって、ピーコックへ持ち帰られることになった。
馬車の中、江理はその束をめくりながら呟いた。
「これ、全部持って帰ったら、また大変なことになりそうですね」
「大変にして正解だって言ったでしょ」
マイミが笑う。
「一つずつ、答えを出していけばいいの」
窓の外を流れる景色を眺めながら、紙の束をそっと抱え直す。
ここに書かれた一つひとつの声を、ピーコックでの医療に変えていく。
まだ、始まったばかりの仕事だった。
「でもさ」
しばらく黙っていたマイミが、ふと口を開いた。
「話を聞くだけじゃ、まだ何も変わってないんだよね」
その一言に、江理は紙の束から顔を上げた。
「……確かに」
「聞いて、記録して、それで終わりじゃ、悩んでる人からしたら、何も解決してない」
マイミの言う通りだった。
これまでやってきたのは、痛みや不安の輪郭を知ることだけだ。それを和らげる手立ては、まだ何一つ形になっていない。
「じゃあ、まず何から?」
江理が尋ねると、アイリスが紙をめくり、集計した一覧を指さした。
「一番多かったのは、月経のときの痛みでした。次いで、頭痛や腰の痛み」
「痛み、か」
エイトが、静かに呟いた。
「痛みへの対応なら、私たちの手の内にあるものです。江理殿の知識と、マーサ殿の薬草。組み合わせれば、今すぐにでも取りかかれるでしょう」
「鎮痛剤、ですか」
「はい。まずは、そこから」
江理は、少し考えてから頷いた。
「効き目がはっきりしていて、副作用も分かっていて、誰でも安全に使えるもの。それができたら、確かに一番、実感してもらいやすいです」
「聞くだけの人たちから、卒業だね」
マイミが、にっと笑った。
「マーサさんに相談だ」
「はい」
江理は、紙の束を抱え直した。
これまでは、痛みの声を集めるだけだった。
次は、その痛みを、実際に和らげる番だった。
「あ、それなら」
アイリスが、何かを思い出したように顔を上げた。
「マルコさん、今もローズにいらっしゃるんですよね」
「マルコさんが?」
江理が聞き返すと、エイトが頷いた。
「帝都の商会は、今も彼が構えております」
「じゃあ、話を聞いてもらいましょう」
マイミが、すぐに乗り気になった。
「作れても、届けられなきゃ意味ないもんね」
◇
その日の午後、マルコが江理たちの元を訪れた。
「お呼びと伺って、飛んでまいりました」
「マルコさん、急にすみません」
「いえいえ。それで、今日は?」
江理は、紙の束をマルコの前に広げた。
「これから、鎮痛剤の開発に取りかかろうと思ってるんです。月経の痛みとか、頭痛とか、腰の痛みとか」
「ほう」
マルコの目が、商人らしく光った。
「できたら、どのくらいの量が必要になりそうですか」
「まだ、これからですけど」
「見込みで構いません。話が早いに越したことはございませんので」
江理とアイリスが、聞き取った数字を頼りに、おおよその人数を挙げていく。
マルコは、それを丁寧に書き留めながら、時折小さく頷いた。
「これだけの数となると、村での手作りだけでは、いずれ追いつかなくなるかもしれません」
「量産、ってことですか」
「はい。効能と作り方が固まりましたら、私の方で、量を確保する算段をいたします。材料の仕入れ先も、当たっておきましょう」
「お願いできますか」
「もちろんでございます」
マルコは、満足そうに笑った。
「先生方が痛みを和らげる方法を見つけ、私がそれを届ける。良い役割分担ではありませんか」
その言葉に、自然と頷いていた。
薬を作る者、届ける者。
一人では、決してできないことだった。




