第五十五話 四人の食卓、もう一度
シアンから戻って数日、江理は久しぶりに村長の家の食卓についていた。
「今夜は、皆で食べようという話になって」
アイリスがそう言って、いつもより一品多い料理を並べていく。
その日は、思いがけない顔ぶれが揃っていた。
イアンの隣にはハンナ。フィンも、今では当たり前のように席についている。そして、パール村からリアムとマリーも来ていた。
「お邪魔しております」
リアムが恐縮したように頭を下げる。
「領主同士、これからのことを相談したくてな。それなら夕食も一緒にどうかと、イアン殿に誘っていただいた」
「マリーさんも、お久しぶりです」
江理が声をかけると、マリーは柔らかく微笑んだ。
「フィンがお世話になっているので、ご挨拶をと思いまして」
――そうか。今日は、七人なんだ。
あの日、この食卓を囲んだのは、江理とイアンとアイリス、そしてハンナの四人だった。フィンはまだパール村の青年で、リアムとマリーは名前しか知らない存在だった。
同じ食卓のはずなのに、そこにある顔ぶれが、静かに月日を教えてくる。
「いただきます」
運ばれてきた煮込み料理を、江理は一口食べた。
しっかりとした味付け、丁寧に取れた出汁。
「……この味、久しぶりです」
「お口に合いましたか」
ハンナが、控えめに微笑んだ。
皇宮の食事も、悪くはなかった。けれど、どこか作法や見た目を気にする味だった。この、飾り気のない味の方が、体に染み込んでくる。
「エリー先生、皇宮では随分もてなされたのでは?」
イアンがそう茶化すと、江理は苦笑した。
「もてなされたっていうか……色々ありすぎて」
「その色々を、ぜひ聞かせてほしいものだが」
談笑の合間、フィンが横からさりげなく給仕を手伝っている。アイリスも当然のようにそれを受け取る。
その、何でもないやり取りに、江理は目を細めた。
しばらく食事が進んだ頃、イアンがふと箸を置いた。
「エリー先生。少し、聞きたいのだが」
「はい」
「うちの村が、王都になるというのは、本当の話なんだろうか」
「本当です。新しい国の王都にする予定だって、聞いてます」
「……王都、ねえ」
イアンは、しばらく天井を仰いでいた。
「長官を務めろと言われても、正直、まだ実感がわかん」
「男爵位まで、いただいてしまいましたしね」
「そうなんだ。わしが、貴族だぞ」
イアンは、他人事のように呟いた。
「シアンで、そう言われましたもんね」
「言われた。言われたが、村長と長官の違いが、どうにも掴めなくてな」
その正直さに、江理はつい頷いていた。
「私も、まだ皆さんのことをどう呼べばいいのか」
リアムが、横から静かに口を挟んだ。
「イアン殿。私も、他人事ではありませんよ。領主として何をすればいいのか、まだ手探りです」
「リアム殿のところは、もう領地の線引きも終わっているだろう」
「終わっているというより、言い渡されただけです。何しろ、村長をやっていた頃と勝手が違いすぎて」
二人は、顔を見合わせて苦笑した。
その様子を見て、ハンナが静かに口を挟んだ。
「あなた方の役職より、先に考えることがあるでしょう」
「何だ」
「人が増えるということです。井戸は今のままで足りるのか。畑の広さで、皆の食い扶持は賄えるのか。冬支度の蓄えは」
その具体的な物言いに、江理は背筋を正した。
「私、そういうこと、考えたこともなかったです」
「先生は、患者さんのことだけ考えていればいいんですよ」
「そうもいかないと思います。これから、村のことも」
「欲張りですね」
ハンナが、珍しく軽口を返してきた。
マリーが、その様子を微笑ましそうに見ていた。
「ハンナさんは、昔からしっかり者だと伺っておりましたが、本当ですね」
「お恥ずかしい限りです」
「アイリスは、どう思う?」
江理が聞くと、アイリスは少し考えてから答えた。
「診療所のことなら、私も考えてます。患者さんが増えるなら、今の広さじゃ足りないと思うので」
「もう考えてたの?」
「エリーさんがいない間、暇じゃなかったので」
得意げな顔に、江理は苦笑した。あの頃、薬草の扱い方も覚束なかった少女が、今では診療所の先を見据えている。
フィンが、少し照れくさそうに口を挟んだ。
「俺は、志願しようかと思ってます。騎士団が組織されたら、真っ先に」
「もう決まってるの?」
「いえ、まだ組織そのものがないので。でも、その時が来たら」
控えめな言い方だったが、その目には、以前より確かなものが宿っていた。
リアムが、驚いたように息子を見た。
「初めて聞いたぞ、その話」
「言う機会がなかったので」
「……そうか」
短い返事だったが、その表情には、隠しきれない誇らしさがあった。
「向いてると思うよ、フィンさん」
「そう言っていただけると」
食卓には、あの日と同じ和やかさがあった。
けれど、並んでいる話の中身は、まるで違う。
村長としての戸惑い。新しい領主同士の手探り。生活を預かる者の心配。診療所を育てようとする者の意志。まだ形のない道を選ぼうとする若者。
この世界へ来たばかりの頃、江理はここで、初めて「家族」と呼べるものに触れた気がした。
今は、その食卓を囲む人が三人増え、それぞれの形で、新しい国へ向かって歩き出そうとしている。
「エリー先生は」
イアンが、ふと尋ねた。
「これから、どうするつもりだ」
「私は」
江理は、少し考えてから答えた。
「ピーコックの医療を、皆さんと一緒に作りたいと思ってます」
「一人でやるつもりはない、ということか」
「はい。一人じゃ、できないので」
その答えに、イアンが目を細めた。
「それでいい」
窓の外では、いつもと変わらないピーコック村の夜が、静かに更けていった。




