第五十三話 三つの理由
シアンでの夕食を終えたあと、江理はオジーを部屋の外へ連れ出した。
「約束通り、話をします」
「聞くって言った」
二人は、城の裏手にある、小さな中庭に出た。あの日、指輪を渡された場所だった。
「オジー」
「なんだよ」
「私、王太子妃にはなれません」
単刀直入に、そう告げた。
わずかに、オジーの表情が硬くなった。
「理由を、聞いてもいいか」
「もちろん」
夜空を見上げてから、言葉を選ぶ。
「まず、オジーはまだ十七歳です。成人してない」
「それがどうした」
「十も年下の、まだ大人になってない人と、結婚を決められません」
「だから、大人になったら、もう一度言えって言ったんだろ」
「うん。そこは変わってない」
頷いた。
「十八になって、それでも私のことを好きだって思ってたら、その時、改めて答える。それは約束します」
「……分かった」
オジーの声が、少しだけ和らいだ。
「でも、それだけじゃないよな」
鋭い指摘に、江理は苦笑した。
「うん。もう一つ」
続ける。
「オジーは、いずれ王になる人です。そうなったら、縁談だって色々出てくると思う」
「俺は、江理がいい」
「今はそう思っていても、これから先、王太子として色んな人に会っていく中で、考えが変わることもあると思う」
「変わらない」
「今は、そう言い切れると思うよ」
江理は、静かに続けた。
「でも、それを決めるのは、大人になってからでいい。今、十七歳の気持ちだけで、全部を決めてしまうのは、私は違うと思う」
何も、オジーは言わなかった。
「それと」
もう一つの理由を、口にする。
「この間、サラ様のことで話したでしょう。世継ぎのこと」
「聞いた」
「私が王太子妃になったら、私にも同じ重みが乗ります。子どものこと、王家の血筋のこと。それを、今の私は背負う覚悟ができてません」
「そんなの」
「オジーにとっては簡単なことじゃないよ」
少し強い口調で、そう言った。
「王家に嫁ぐっていうのは、好きとか嫌いとかだけじゃ済まないことだって、王宮で見てきたから」
唇を、オジーが噛んだ。
「それと、もう一つ」
「まだあるのか」
「一番、大事なことです」
自分の手を見つめる。
「私は、医者を続けたい。王太子妃になったら、今みたいに、好きなだけ患者さんを診て回ることは、たぶんできなくなる」
その言葉に、オジーが初めて、江理をまっすぐ見た。
「江理は、それが一番嫌なのか」
「うん」
迷わず、頷いた。
「私は、ここまで来て、たくさんの人に医者として頼ってもらえるようになった。それを手放すことは、今は考えられない」
沈黙が、二人の間に落ちた。
「……分かった」
やがて、オジーがそう言った。
「大人になるまで、待つ」
「うん」
「でも、諦めるとは言ってない」
「知ってる」
小さく笑った。
「それでいい」
◇
その夜、江理が部屋へ戻る途中、廊下でマーサに呼び止められた。
「先生」
「マーサさん」
「あんた、さっきの話、あたしも聞こえてたよ」
「盗み聞きですか」
「城だからね。あちこち音が通る」
悪びれもせず、マーサは笑った。
「一つだけ、言わせておくれ」
「なんですか」
「あたしは、あんたが王太子妃になるのを、望んでる」
思いがけない言葉に、声が出なかった。
「マーサさん……」
「医者を辞めろとは言わない。あんたほどの腕を、飾りにするつもりはないさ」
マーサは、真剣な目でそう言った。
「あんたなら、医者をやりながら、王太子妃もやれる。そういう国に、あたしたちがすればいい」
その言葉に、江理は何も返せなかった。
廊下の向こうから、ライリーの声もした。
「聞いたぞ、今の話」
「ライリーさんまで」
「俺も、母上と同じ考えだ」
短い言葉だったが、迷いはなかった。
さらに奥の部屋から、ミラの声が聞こえてくる。
「江理先生。もし迷惑でなければ、私も、そう思っています」
三人の言葉に、江理は、立ち尽くすしかなかった。
オジーの気持ちだけの話だと思っていた。
けれど、この家族全員が、既に同じ方向を見ているらしかった。
静かに、部屋へ戻る。
窓の外には、シアンの夜が広がっていた。
答えは、まだ出ない。
それでも、少しだけ、風向きが変わったような気がした。




