第五十二話 王太子妃
地図を囲んだまま、話は続いていた。
「治安についてはこうする」
ライリーが、要点を一つずつ挙げていく。
山賊や食い詰め者を、ただ討伐するだけでなく、志願する者は傭兵や治安隊として受け入れること。街道を整備し、宿場を置くこと。土地の実情を知るため、まず人口と暮らしぶりを調べること。
イアンやリアムたちは、時折質問を挟みながら、真剣な顔で聞いていた。
「それと」
ライリーの視線が、江理へ向いた。
「医療については、エリー先生に頼む」
「私、ですか」
「ピーコックの診療所を軸に、この国の医療を作ってほしい。王都の病院とも、繋がりを持たせて」
背筋が伸びた。
「精一杯、やらせていただきます」
「頼りにしている」
話が一段落したところで、扉の外から声がした。
「失礼します」
入ってきたのは、アイリスだった。
「アイリス、どうしたの」
「父が心配で。様子を見に来ちゃいました」
リアムが、驚いたように振り返る。
「アイリス、お前まで」
「だって、急に呼び出されたって聞いたら、心配になるじゃないですか」
悪びれもせず、アイリスは部屋の隅に控えた。
その時、それまで黙っていたオジーが、不意に口を開いた。
「ついでだ。皆にも言っておく」
「オスカー?」
ライリーが眉を上げる。
「江理は、俺の婚約者だ」
部屋の空気が、一瞬で固まった。
「だから、いずれ王太子妃になる」
「……ちょっと待って!」
声が、勝手に出ていた。
「その話、まだ全然決まってないですよね!?」
「決まってる」
「決まってません!」
イアンとリアムが、口を半開きにして江理とオジーを交互に見ている。カナリ村長とアガット村長に至っては、完全に固まっていた。
「王太子妃って、そんな、私、まだ何も」
「指輪、返してないだろう」
「それは、預かってるだけで」
「同じことだ」
押し問答になりかけたところで、部屋の隅から、小さな笑い声が聞こえた。
「ふふふ……」
アイリスだった。口元を押さえながら、実に楽しそうにこちらを見ている。
「アイリス、笑い事じゃないんだけど」
「いえ、なんだか、エリーさんらしいなと思って」
「どこが!」
「だって、周りは大真面目に王太子妃だって言ってるのに、エリーさんだけ『いや、決まってません』って戦ってるんですもの」
その言葉に、部屋の空気が、わずかに緩んだ。
マーサが、愉快そうに肩を揺らしている。
「まあ、江理の言う通り、まだ正式な話じゃない。今日のところは、その辺にしておきな」
「マーサさん、助かります」
「その代わり」
マーサが、にやりと笑った。
「指輪は、ちゃんと持っておくんだよ」
「……はい」
結局、そこは譲れないらしかった。
イアンが、隣のリアムに小声で話しかけているのが聞こえた。
「……エリー先生と、オスカー様が」
「まさか、そんな話になっていたとは」
二人とも、まだ状況を飲み込めていない様子だった。
ライリーが、軽く咳払いをして、話を本題へ戻した。
「今日は、これくらいにしておく。夕食は、しばらくこちらで共にしてもらう」
「こちらで、ですか」
「役職の説明も、まだ途中だ。何日か、シアンに留まってもらうことになる」
イアンたちは、覚悟を決めたように頷いた。
江理は、隣に立つオジーを、少し睨みつけた。
「あとで話があります」
「聞く」
「絶対ですよ」
「聞くって言ってる」
その様子を、アイリスがまだ、笑いを堪えながら眺めていた。




