第五十一話 建国
診療所の朝は、いつも通りに始まった。
はずだった。
「イアン殿はいらっしゃいますか」
戸口に立っていたのは、見覚えのある城塞の使者だった。
「私だが」
イアンが応じると、使者は姿勢を正した。
「ライリー様より召集です。シアン公爵の城塞都市へ、お越しいただきたく」
「城塞に? 何のために」
「建国についてです」
「……建国?」
診療所の中が、一瞬で静まり返った。
薬棚を整理していたアイリスが、手を止めて振り返る。
「建国って、まさか」
「ライリー様が、新しい国を興されます。詳しくは、そちらでご説明があるかと」
江理も、作業の手を止めていた。
皇宮で聞いた話が、いよいよ動き出したらしい。
「他にも、呼ばれている人はいるんですか」
江理が尋ねると、使者は頷いた。
「ピーコック、パール、カナリ、アガット。四つの村の代表者が招集されています」
「四つ?」
イアンが眉を寄せた。
「うちだけじゃないのか」
「はい。皆様、既にシアンへ向かっておられるかと」
その一言で、イアンの顔から、迷いが消えた。
「分かった。すぐに支度する」
◇
馬車に揺られながら、イアンはずっと黙り込んでいた。
「イアンさん、大丈夫ですか」
江理が声をかけると、イアンは小さく笑った。
「……何を言われるか、見当もつかん」
「村長さんとして呼ばれてるだけじゃ?」
「そうだといいがな」
やがて、見慣れた城壁と門が見えてくる。江理が何度も通った、あの城塞都市だった。
今日からは、ここもシアンという名で呼ばれることになるらしい。
シアンに着くと、既に数人が緊張した面持ちで待っていた。
「イアン殿」
声をかけてきたのは、見覚えのある年配の男だった。
「リアムさん」
パール村の村長だった。アイリスとフィンの結婚式で、何度も顔を合わせている。
「まさか、こんな場所でお会いするとは」
「私もです」
リアムが苦笑した。
「こちらは、カナリ村の村長ベイルと、アガット村の村長モリスです」
紹介された二人も、それぞれ会釈を返してくる。
「皆さんも、何のために呼ばれたか、ご存じないんですか」
イアンが尋ねると、四人は互いに顔を見合わせた。
「まったく」
「私も」
「見当もつきません」
誰も、笑えなかった。
通された広間には、大きな卓に地図が広げられていた。
ライリーが、その前に立っていた。隣には、マーサとオスカー、そして初めて見る壮年の男の姿もある。
「よく来た」
ライリーが、短く言った。
「まず紹介する。シアン公爵だ。俺の伯父にあたる」
「シアンです」
落ち着いた声で、公爵が名乗った。
四人の村長が、慌てて礼を返す。
「今日、集まってもらったのは他でもない」
ライリーが、地図の上に手を置いた。
「国を作る」
広間が、静まり返った。
「……国、ですか」
イアンが、絞り出すように聞いた。
「そうだ」
ライリーは、迷いなく続けた。
「ここから東を、アーサー陛下の帝国とする。ルベライト帝国だ。西のこの一帯を、俺たちの国とする」
地図の上を、指がなぞっていく。
「シアンは、この国の副都とする。王都は、追って話す」
「お前たちにも、手伝ってもらう」
四人の村長が、それぞれ頷きかけた。
だが、次の言葉に、その動きが止まった。
「それぞれの土地を、お前たちに預ける」
「……は?」
真っ先に声を上げたのは、イアンだった。
「預ける、とは」
「領主として、任せるということだ」
パール村長のリアムが、口をぽかんと開けている。
「私が、領主に?」
「そうだ。パールの地は、これからもお前が治めろ」
「いや、しかし、私はただの村長で」
「土地を知らない人間を、どこかから連れてきて置くよりいい」
ライリーの声には、迷いがなかった。
「そこに住み、民を知っている人間に任せる。それが、この国のやり方だ」
「ですが、私はただの村長で、爵位も何も」
リアムが、まだ戸惑いを隠せずに言うと、ライリーは短く答えた。
「だから、これから授ける」
「……は?」
「リアム・パール。此度の功績と、これまでパールの地を治めてきた実績を認め、男爵位を授ける」
広間の空気が、また一段と張り詰めた。
「うちの国は、血筋で爵位を配りはしない。働きに見合った者に、見合った地位を与える。世襲も、自動には認めん。継がせたければ、継がせるだけの働きを、その子にさせろ」
カナリ村長とアガット村長も、同じように領主として、それぞれの土地を任される旨が告げられ、あわせて男爵位を授けられた。
最後に、ライリーの視線が、イアンへ向いた。
「イアン。お前には、別のことを頼みたい」
「……別、とは」
「ピーコックを、王都にする」
その一言に、イアンの顔から表情が抜け落ちた。
「……王都」
「そうだ」
「あの、村を、ですか」
「そうだ」
しばらく、イアンは声を出せずにいた。
「お前には、その整備を任せる」
「私が、村長ではなく」
「村長ではなくなる」
ライリーは、はっきりと言った。
「これからは、王都を預かれ」
ライリーは、さらに続けた。
「それと、イアン・ピーコック。お前にも男爵位を授ける」
「私にまで……」
「王都を預かる者が、村長のままでは示しがつかん」
イアンは、しばらく声を失っていた。
江理は、隣に立つイアンの横顔を見つめていた。
あのピーコック村の村長が、王都の長官になる。
診療所を貸してくれた、アイリスの父親が。
江理の物差しでは、まだ追いつかない話だった。
それでも、地図の上に描かれた王都ピーコックの文字だけは、確かにそこにあった。




