第五十話 帰ろう
出発の前日、江理はマルコと最後の打ち合わせをしていた。
「資金については、ご心配なく」
マルコが、帳面を開いて見せる。
「先生が考案された医療用品、あれから帝都でも飛ぶように売れております。今の売り上げだけで、病院の当面の運営は賄えるかと」
「そんなに、ですか」
「三角巾一つとっても、これだけの数です」
並んだ数字に、江理は言葉を失いかけた。
「もちろん、皇家からも支援をいただけることになりました。土地の提供、建物の改装費。エリー先生の村の診療所についても、話を通しておきました」
「ピーコック村にもですか?」
「はい。帝国の病院と、村の診療所、両方が育てば、この国の医療そのものが変わっていきます。陛下も、そのように仰っていました」
江理は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「お礼を言うのは、こちらです。先生の一言から、ここまで大きな話になりました」
マルコは、そう言って笑った。
◇
出発の朝、宮殿の門前には、多くの人が集まっていた。
「エリー先生」
リーゼルが、目を潤ませて頭を下げる。
「お世話になりました。またいつか、必ず」
「うん。リーゼルさんも、元気で」
レイモンドも、静かに一礼した。
「薬草の話、また聞かせていただきたい」
「今度は、こちらから手紙を書きます」
サラとルイスも、見送りに来ていた。セレネも、穏やかな笑みでこちらを見ている。
一頭一頭、旅支度を終えた馬が並ぶ中、江理はふと、見覚えのある姿を見つけた。
「シリルさん?」
少し離れた場所に、灰色のローブの男が立っていた。
「先生。旅立つと聞いてな」
「謹慎中じゃ」
「帝都から出るのは構わん。それに」
シリルは、少し照れくさそうに続けた。
「せめてもの恩返しがしたくてな」
「恩返し?」
「ピーコック村まで、送ってやる」
「え?」
「召喚術は禁じられたが、転移門は別の術だ。ルールには触れん」
シリルは、杖を取り出し、地面に円を描き始めた。
「馬車で何日もかけて帰るより、こっちの方が早いだろう」
「本当にいいんですか?」
「先生には、世話になりっぱなしだったからな。これくらいは、させてくれ」
その言葉に、江理は目頭が熱くなった。
「ありがとうございます、シリルさん」
「礼はいい。……達者でな」
描き終えた円が、淡く光り始める。
ライリー、マーサ、オジー、エイト、マイミ、そして江理が、順に円の中へ入っていった。
「じゃあ、また」
江理が振り返ると、シリルが小さく手を上げた。
「今度は、俺が村に遊びに行く。歓迎しろよ」
「いつでもどうぞ」
光が、視界を包んだ。
◇
次に目を開けたとき、そこにあったのは、見慣れた景色だった。
診療所の前の道。畑の緑。遠くに見える村長の家。
「……帰ってきた」
誰かが、まず声を上げた。
「エリー先生!」
診療所から飛び出してきたのは、アイリスだった。
「アイリス!」
駆け寄ってくるアイリスを、江理は両手で受け止めた。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
その声に、涙が滲んだ。
フィンも、イアンも、ハンナも、次々と外へ出てくる。
「エリー先生、ご無事で」
イアンの声には、深い安堵があった。
窓の隙間から、光の粒がいくつも飛び出してくる。
『エリー! おかえり!』
『みんな、かえってきた!』
ノアたちが、歓声を上げながら村の上を飛び回った。
江理は、その光景を、ゆっくりと見渡した。
帝都での日々も、確かに大切だった。けれど、この場所に立った瞬間に湧き上がってくるものは、まったく別のものだった。
「ただいま」
もう一度、口にする。
ここが、帰る場所だった。




