第四十九話 王宮を発つ前に
「本日は、皆に集まってもらった」
謁見の間に、アーサー陛下の声が響いた。
江理の隣には、ライリー、マーサ、オジー。その後ろにエイトとマイミ、少し離れてマルコの姿もある。壇上には、セレネ皇后、そしてルイスとサラも並んでいた。
「まず、新たな国の件だ」
陛下が続けた。
「領土の割譲、境の取り決め、移住の手筈。細かな詰めはまだ残っているが、大筋は固まった。近く、正式な文書を交わす」
ライリーが、静かに頭を下げた。
「陛下のご配慮に、感謝する」
「感謝するのは、こちらの方だ」
陛下は、そう言って、ライリーとオジーを見た。
「この国が抱えてきた古い棘を、そなたたちは静かに引き抜いてくれた。憎しみ合う道を選ばずに」
オジーは、何も言わずに頭を下げた。
陛下の視線が、次に江理へ向いた。
「エリー殿」
「はい」
「病院の件も、マルコより聞いている。位を問わず診る、という考えだそうだな」
「はい。皆さんに助けていただいて、形になりつつあります」
「王家としても、支援を惜しまない。必要な許可、土地、すべて用意しよう」
江理は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その時、サラが一歩前へ出た。
「エリー先生」
「サラ様」
「陛下の場を借りて、改めてお礼を申し上げたく」
サラは、まだ膨らみの目立たないお腹に、そっと手を添えた。
「あなたがいなければ、わたくしは今も、暗闇の中にいたと思います」
「サラ様の頑張りです。私はただ、聞いただけですから」
「聞いてくださったことが、何よりの支えでした」
隣で、ルイスも頭を下げた。
「私からも、礼を言わせてほしい。あなたのおかげで、私は妻に、正直に向き合えるようになった」
「殿下がちゃんと変わろうとしたからです」
「それも、あなたのおかげだ」
江理は、少し困ったように笑った。
セレネが、その様子を見て、柔らかく微笑む。
「エリー殿。あなたが来てくれてから、後宮の空気が、随分と変わりました」
「王妃様……」
「誰にも言えなかったことを、話せる場所ができた。それだけで、皆、随分と楽になったのです」
セレネは、深く頭を下げた。
「本当に、感謝します」
江理は、慌てて頭を下げ返した。
「頭を上げてください、王妃様」
「あなたには、それだけのことをしてもらいました」
広間に、静かな空気が満ちていた。
陛下が、最後に口を開いた。
「エリー殿。長く、この帝国に留めてしまった」
「いえ」
「そなたの村と、城塞に、これ以上迷惑はかけられぬ。……帰るがいい」
その一言に、顔が上がった。
「本当に、ですか」
「ああ。ガルド卿の件も片づいた。国の件も、大筋は決まった。あとは、そなたがいなくとも進められる」
江理は、隣に立つライリーを見た。
ライリーが、小さく頷く。
「聞いた通りだ、先生」
オジーの顔にも、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「本当に、帰れるんだ」
その声は、どこか子どもっぽく弾んでいた。
江理は、皆の顔を、一人ずつ見渡した。
ここへ来たばかりの頃は、想像もしていなかった光景だった。
「ありがとうございます、陛下」
深く頭を下げながら、江理の胸には、確かな喜びが広がっていた。
帰る場所へ、帰れる。
それだけのことが、こんなにも嬉しい。
謁見の間を出る道すがら、マイミが江理の隣に並んだ。
「江理ちゃん、お疲れ様」
「マイミさんこそ。ずっと付き合ってくれて」
「私は好きでやってたから」
マイミは、いたずらっぽく笑った。
「それより、王宮の暮らしはどうだった? ちょっとは名残惜しい?」
「……少しだけ」
江理は、正直にそう答えた。
サラの笑顔。セレネの穏やかな声。レイモンドとの薬談議。手放しがたいものは、確かにあった。
「でも、帰りたい気持ちの方が、ずっと大きいです」
「だよね」
マイミが頷く。
後ろでは、オジーが早くも荷物をまとめる算段を、マーサに話しかけていた。ライリーは、エイトと何か静かに言葉を交わしている。
王宮での日々は、終わった。
けれど、ここで結んだ縁が消えるわけではないと、江理は知っていた。
窓の外に、抜けるような青空が広がっていた。




