第四十四話 私の婚約者です
シリルの沙汰が下ったのは、翌日のことだった。
「無許可召喚の罪は消えぬ」
皇帝は、江理を含めた一同の前で言った。
「だが、召喚された当人が、粗略な扱いを一切受けなかったと証言している。加えて――」
皇帝は、傍らの文官が差し出した紙に目を落とした。
「その後も、皇宮医エイト・クロフォードとの縁を結ぶなど、帝国に資する働きをしたことも認められる」
シリルは、広間の中央で、じっと床を見ていた。
「よって、極刑は科さぬ。以後五年、帝都での召喚術の行使を禁じる。加えて、罰金を科す」
「……ありがたき、幸せ」
シリルの声が、震えていた。
解放されたシリルは、退出の間際、江理に小さく頭を下げた。
「先生。今度こそ、本当に世話になった」
「今度こそ、じゃなくて、いつもですよ」
「違いない」
力の抜けたような笑みを浮かべ、シリルは広間を出ていった。
その背中を見送りながら、江理はようやく、詰めていた息を吐いた。
◇
その数日後。
江理は再び、皇后セレネの部屋に呼ばれた。
入ってすぐ、いつもと違う空気に気づく。セレネだけでなく、ルイスと、レイモンドも同席していた。
「エリー殿」
ルイスが、改まった調子で切り出した。
「今日は、折り入って話がある」
「私にですか」
「そうだ」
ルイスは、一度セレネを見てから、江理に向き直った。
「そなたの働きぶりは、皇宮の誰もが認めるところとなった。母上の体調も、サラの相談も、そなたが来てから、随分と変わった」
「それは、皆さんが協力してくださったからです」
「謙遜せずともいい」
少し、ルイスの表情が改まった。
「エリー殿。そなたを、私の側室に迎えたいと思っている」
江理は、すぐには言葉が出なかった。
これまでのルイスとの関わりを思えば、まったくの予想外というわけではなかった。それでも、実際に本人の口から言われると、勝手が違った。
「あの、殿下」
「即答は求めない」
ルイスが続ける。
「そなたには、それだけの働きがあった。皇宮に留まってくれるなら、身分も、地位も保証する」
「殿下」
レイモンドが、小さく口を挟んだ。だが、ルイスは止まらなかった。
「そなたが望むなら、ピーコック村や城塞との行き来も、許すつもりだ。あくまで――」
「その話、少し待ってもらえますか」
部屋の外から、声が割り込んできた。
扉が開き、オジーが入ってくる。
その後ろには、ライリーとマーサの姿もあった。
「オスカー」
ルイスが眉を寄せる。
「勝手に皇宮の奥まで入ってくるな」
「江理がここにいるって聞いたから来ただけだ」
「だからといって、許可もなく入っていい場所ではない」
オジーが何か言い返そうとした、その時だった。
ルイスの視線が、その後ろにいる二人へ移った。
表情が変わる。
「……マーサ様。ライリー殿」
ルイスは姿勢を正すと、二人へ丁寧に一礼した。
「ご無沙汰しております。長旅、お疲れでございました」
「久しぶりだね、ルイス」
マーサは穏やかに答えた。
ライリーも短く頷く。
「ああ。しばらくぶりだ」
「父上も、お二人の到着をお待ちです。後ほど正式にお迎えすることになるでしょう」
先ほどオジーを咎めていた時とは違う、皇太子としての態度だった。
江理は三人を見比べた。
ルイスがこれほど丁寧に礼をする相手を、王宮へ来てからほとんど見たことがない。
やはり、この人たちは自分が思っていた以上に、この国と深い関わりがある。
そんな疑問が、また一つ増えた。
「先に言わせてもらう」
オジーはまっすぐ、江理の前に立つ。
「江理は、俺の婚約者です」
部屋の空気が、凍りついた。
「……何を言っている」
初めて、ルイスの声が硬くなった。
「聞いた通りです」
懐から取り出したのは、革張りの古い小箱だった。
「求婚した。指輪も渡した。それが、これです」
江理の左手を、皆の視線が捉える。
薬指の青い石は、いつもの通り、そこにあった。
「……サファイア」
レイモンドが、呟くように言った。
「しかも、その台座」
ルイスの目が、江理の手元に釘付けになる。
「エリー殿、これは」
「オジーからもらいました。……その、大切に預かってるだけで」
「預かる?」
即座に、オジーが言い返す。
「渡したんだ。預かってるんじゃない」
「大人になっても気が変わらなかったら、もう一度言ってねって話だったでしょ」
「俺はもう大人だ」
「その話、前もしましたよね!」
部屋の空気が、少しだけ緩んだ。
セレネが、口元を押さえて笑いを堪えている。
ルイスだけが、まだ状況を飲み込みかねる顔をしていた。
「……本当に、婚約しているのか」
「江理の認識では、まだです」
答えたのは、マーサだった。
「でも、あの子の認識では、もう婚約は成立してます」
「マーサさん!」
「事実だろう」
頭を抱えたくなった。
ルイスが、深く息を吐いた。
「……知らなかったとはいえ、婚約者のいる女性に求婚してしまったようだ」
オジーに向き直る。
「オスカー殿。申し訳ないことをした」
「別にいい」
「いえ、よくはない」
それから、江理へ視線を戻す。
「ただし」
「はい」
「エリー殿本人の意思は、別に確認させてもらう」
その言葉に、オジーの顔が強張った。
「私が知りたいのは、そなたが誰の何であるかではない。そなた自身が、どうしたいかだ」
真っ直ぐな目だった。
しばらく、何も言えなかった。
「……ありがとうございます、殿下」
それだけを、やっと絞り出した。
部屋を出たあと、廊下でライリーが小さく笑った。
「まさか、あの場で持ち出すとはな」
「そんなに、大事なものだったんですか?」
江理がそう尋ねると、ライリーは少し間を置いた。
「うちに代々伝わる、家宝みたいなものだ」
「家宝……」
「本来なら、軽々しく人に渡していい代物じゃない」
「じゃあ、返した方が」
「それは駄目だ」
ライリーとマーサの声が、きれいに重なった。
「一度渡したものを返させるほど、うちは狭量じゃない」
「……そうですか」
その夜、部屋に一人戻った江理は、左手の指輪をじっと見つめた。
ただ可愛い少年からの贈り物だと思っていたものが、皇宮の中では、まったく違う意味を持って歩いていたらしい。
――この人たち、本当に何者なんだろう。
帝都へ来る道中でも考えた、同じ疑問だった。
答えは、まだ出ない。




