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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第3章 攫われた先の皇宮で、まさかの主治医になっちゃった。

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第四十四話 私の婚約者です

 シリルの沙汰が下ったのは、翌日のことだった。

「無許可召喚の罪は消えぬ」

 皇帝は、江理を含めた一同の前で言った。

「だが、召喚された当人が、粗略な扱いを一切受けなかったと証言している。加えて――」

 皇帝は、傍らの文官が差し出した紙に目を落とした。

「その後も、皇宮医エイト・クロフォードとの縁を結ぶなど、帝国に資する働きをしたことも認められる」

 シリルは、広間の中央で、じっと床を見ていた。

「よって、極刑は科さぬ。以後五年、帝都での召喚術の行使を禁じる。加えて、罰金を科す」

「……ありがたき、幸せ」

 シリルの声が、震えていた。

 解放されたシリルは、退出の間際、江理に小さく頭を下げた。

「先生。今度こそ、本当に世話になった」

「今度こそ、じゃなくて、いつもですよ」

「違いない」

 力の抜けたような笑みを浮かべ、シリルは広間を出ていった。

 その背中を見送りながら、江理はようやく、詰めていた息を吐いた。

 ◇

 その数日後。

 江理は再び、皇后セレネの部屋に呼ばれた。

 入ってすぐ、いつもと違う空気に気づく。セレネだけでなく、ルイスと、レイモンドも同席していた。

「エリー殿」

 ルイスが、改まった調子で切り出した。

「今日は、折り入って話がある」

「私にですか」

「そうだ」

 ルイスは、一度セレネを見てから、江理に向き直った。

「そなたの働きぶりは、皇宮の誰もが認めるところとなった。母上の体調も、サラの相談も、そなたが来てから、随分と変わった」

「それは、皆さんが協力してくださったからです」

「謙遜せずともいい」

 少し、ルイスの表情が改まった。

「エリー殿。そなたを、私の側室に迎えたいと思っている」

 江理は、すぐには言葉が出なかった。

 これまでのルイスとの関わりを思えば、まったくの予想外というわけではなかった。それでも、実際に本人の口から言われると、勝手が違った。

「あの、殿下」

「即答は求めない」

 ルイスが続ける。

「そなたには、それだけの働きがあった。皇宮に留まってくれるなら、身分も、地位も保証する」

「殿下」

 レイモンドが、小さく口を挟んだ。だが、ルイスは止まらなかった。

「そなたが望むなら、ピーコック村や城塞との行き来も、許すつもりだ。あくまで――」

「その話、少し待ってもらえますか」

 部屋の外から、声が割り込んできた。

 扉が開き、オジーが入ってくる。

 その後ろには、ライリーとマーサの姿もあった。

「オスカー」

 ルイスが眉を寄せる。

「勝手に皇宮の奥まで入ってくるな」

「江理がここにいるって聞いたから来ただけだ」

「だからといって、許可もなく入っていい場所ではない」

 オジーが何か言い返そうとした、その時だった。

 ルイスの視線が、その後ろにいる二人へ移った。

 表情が変わる。

「……マーサ様。ライリー殿」

 ルイスは姿勢を正すと、二人へ丁寧に一礼した。

「ご無沙汰しております。長旅、お疲れでございました」

「久しぶりだね、ルイス」

 マーサは穏やかに答えた。

 ライリーも短く頷く。

「ああ。しばらくぶりだ」

「父上も、お二人の到着をお待ちです。後ほど正式にお迎えすることになるでしょう」

 先ほどオジーを咎めていた時とは違う、皇太子としての態度だった。

 江理は三人を見比べた。

 ルイスがこれほど丁寧に礼をする相手を、王宮へ来てからほとんど見たことがない。

 やはり、この人たちは自分が思っていた以上に、この国と深い関わりがある。

 そんな疑問が、また一つ増えた。

「先に言わせてもらう」

 オジーはまっすぐ、江理の前に立つ。

「江理は、俺の婚約者です」

 部屋の空気が、凍りついた。

「……何を言っている」

 初めて、ルイスの声が硬くなった。

「聞いた通りです」

 懐から取り出したのは、革張りの古い小箱だった。

「求婚した。指輪も渡した。それが、これです」

 江理の左手を、皆の視線が捉える。

 薬指の青い石は、いつもの通り、そこにあった。

「……サファイア」

 レイモンドが、呟くように言った。

「しかも、その台座」

 ルイスの目が、江理の手元に釘付けになる。

「エリー殿、これは」

「オジーからもらいました。……その、大切に預かってるだけで」

「預かる?」

 即座に、オジーが言い返す。

「渡したんだ。預かってるんじゃない」

「大人になっても気が変わらなかったら、もう一度言ってねって話だったでしょ」

「俺はもう大人だ」

「その話、前もしましたよね!」

 部屋の空気が、少しだけ緩んだ。

 セレネが、口元を押さえて笑いを堪えている。

 ルイスだけが、まだ状況を飲み込みかねる顔をしていた。

「……本当に、婚約しているのか」

「江理の認識では、まだです」

 答えたのは、マーサだった。

「でも、あの子の認識では、もう婚約は成立してます」

「マーサさん!」

「事実だろう」

 頭を抱えたくなった。

 ルイスが、深く息を吐いた。

「……知らなかったとはいえ、婚約者のいる女性に求婚してしまったようだ」

 オジーに向き直る。

「オスカー殿。申し訳ないことをした」

「別にいい」

「いえ、よくはない」

 それから、江理へ視線を戻す。

「ただし」

「はい」

「エリー殿本人の意思は、別に確認させてもらう」

 その言葉に、オジーの顔が強張った。

「私が知りたいのは、そなたが誰の何であるかではない。そなた自身が、どうしたいかだ」

 真っ直ぐな目だった。

 しばらく、何も言えなかった。

「……ありがとうございます、殿下」

 それだけを、やっと絞り出した。

 部屋を出たあと、廊下でライリーが小さく笑った。

「まさか、あの場で持ち出すとはな」

「そんなに、大事なものだったんですか?」

 江理がそう尋ねると、ライリーは少し間を置いた。

「うちに代々伝わる、家宝みたいなものだ」

「家宝……」

「本来なら、軽々しく人に渡していい代物じゃない」

「じゃあ、返した方が」

「それは駄目だ」

 ライリーとマーサの声が、きれいに重なった。

「一度渡したものを返させるほど、うちは狭量じゃない」

「……そうですか」

 その夜、部屋に一人戻った江理は、左手の指輪をじっと見つめた。

 ただ可愛い少年からの贈り物だと思っていたものが、皇宮の中では、まったく違う意味を持って歩いていたらしい。

 ――この人たち、本当に何者なんだろう。

 帝都へ来る道中でも考えた、同じ疑問だった。

 答えは、まだ出ない。

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