第四十二話 裁き
「エリー殿にも、同席していただきたいそうです」
朝、リーゼルからそう伝えられた時、江理はすぐには返事ができなかった。
何のために呼ばれるのかは、聞かなくても分かった。
ガルド卿。
できれば、もう顔を見たくなかった。
それでも、自分が何をされたのかを話す必要があるのなら、逃げるべきではないと思った。
「……分かりました」
案内されたのは、帝国へ連れてこられた日に通された、天井の高い広間だった。
一段高い場所に、アーサー皇帝とセレネ皇后がいる。その脇には数人の文官が控えていた。
広間の中央には、ライリー、マーサ、オスカーの姿がある。
そして、その少し離れた場所に、ガルド卿がいた。
両脇には衛兵が立っている。
帝国へ来た日とは、まるで違って見えた。
あの時は、自分の手柄を疑わず、江理を皇帝への献上物だと言った男だった。
今は、床に膝をつき、顔を伏せている。
江理は促され、ライリーたちの近くへ立った。
「ガルド卿」
アーサーの声が広間に響いた。
「そなたには、ライリー殿の城塞へ手を出してはならぬと、以前より命じていたはずだ」
「……はい」
「にもかかわらず、皇家への報告も許可もなく兵を動かし、城塞を攻撃した」
ガルド卿は何も言わなかった。
「さらに撤退の際、城塞にいた医師を本人の意思に反して連れ去り、皇宮へ連れてきた」
そこでアーサーが江理を見る。
「エリー殿」
「はい」
「そなた自身の言葉で、何があったのか話してもらいたい」
江理は一歩前へ出た。
広い場所だった。
多くの視線が自分へ向いている。
それでも、診察の時と同じように、見たことと起きたことだけを話そうと思った。
「私は、城塞の中で負傷者の治療をしていました」
あの日の光景を思い出す。
血の匂い。
運び込まれてくる怪我人。
敵も味方もなかった。
目の前にいる人間を、一人ずつ診ていた。
「城塞の方だけではありません。攻めてきた兵の方も治療していました」
文官の一人が記録を取っている。
「その治療の最中に、突然後ろから腕を縛られ、口を布でふさがれました。そのまま城塞の外まで引きずられ、無理やり馬に乗せられました」
「自ら同行することに同意したのか?」
「していません」
江理ははっきり答えた。
「何の説明もありませんでした。どこへ連れていかれるのかも分からないまま、馬に乗せられました」
「身体に危害は?」
「大きな怪我はありません。縛られた跡が赤黒くなったくらいです。ただ、あの時はまだ治療の途中でした」
そこまで言ってから、江理は少し迷った。
けれど、もう一つだけ伝えておきたかった。
「ただ……」
アーサーが続きを待つ。
「私が連れ出された時、まだ治療の途中だった人がいました」
広間が静かになった。
「その人たちを残したまま、私は連れていかれました。あとで無事だったと聞きましたけど、あの時は分かりませんでした」
自分が傷つけられたことだけが、問題だったわけではない。
医師として患者のそばにいた。
その役目を途中で断ち切られた。
江理にとっては、それも忘れられないことだった。
「以上です」
「分かった」
アーサーが頷いた。
「下がってよい」
江理は元の場所へ戻った。
ガルド卿は一度もこちらを見なかった。
文官が進み出て、調査によって確認された内容を読み上げていく。
皇命への違背。
許可を得ない兵の動員。
城塞への攻撃。
撤退時における江理の拉致。
さらに、それを正当な保護であるかのように装い、江理を自らの功績として皇宮へ差し出そうとしたこと。
それだけではなかった。
「領地の運営についても、以前から不備が確認されております」
文官の後ろから、一人の青年が進み出た。
地味な身なりの、目立たない青年だった。江理には見覚えがない。
「こちらは、ガルド卿の側近を務めていたルカと申します。此度の調査にあたり、証言と記録を提供しました」
アーサーがそう紹介すると、ルカと呼ばれた青年は静かに一礼した。
「表向きは、ガルド卿の従者としてお仕えしておりました。ですが、実際には陛下より、ガルド領の実情を調べるよう密かに命じられておりました」
声が、漏れそうになった。
側近が、間者だった。
「報告の不備、税の不正な徴収、領民からの訴えの握りつぶし。これらは、今回の一件よりずっと以前から続いておりました」
ルカの声は淡々としていた。感情を交えず、ただ事実だけを積み上げていくような話し方だった。
「なぜ、今になって?」
江理は、その疑問を口にしていた。
ルカが、初めてこちらを見た。
「機を待っておりました。証拠が固まらぬうちに動けば、握り潰されて終わりですので」
その言葉に、感情らしいものはなかった。それでも、江理には、この青年が長い間、誰にも本音を明かせずにいたのだろうと感じられた。
「今回の一件は、その機会を早めただけです」
ルカは、それだけ言って下がった。
今回の一件だけで、突然すべてが決まったわけではないのだ。
積み重なっていたものが、表に出た。
江理には、そう聞こえた。
「相違はあるか」
アーサーが尋ねる。
長い沈黙のあと、ガルド卿は低く答えた。
「……ございません」
アーサーはしばらく男を見ていた。
「そなたがしたことは、エリー殿一人に対する罪ではない」
静かな声だった。
「皇命を無視し、独断で兵を動かした。そして、長く慎重に扱ってきた城塞との関係を、そなた一人の判断で壊しかねない行動を取った」
ライリーの表情は変わらない。
けれど江理には、アーサーの言葉が自分の知らない何かにつながっているように思えた。
「よって、ガルド卿」
アーサーの声が響く。
「そなたから領主としての地位を剥奪する。爵位についてもこれを取り上げ、軍を動かす権限を失わせる」
ガルド卿の肩がわずかに震えた。
「領地は皇室の管理下へ戻す。以後、そなたが当地の統治に関与することを禁ずる」
「……承知、いたしました」
「処分は以上ではない。領地運営に関する調査は引き続き行う。その結果、新たな不正が確認されれば、改めて沙汰を下す」
「なお、妻子には今回の件への関与は認められなかった。生活に必要な財産まで取り上げることはしない」
「……有難き幸せに存じます」
ガルド卿の声は、かすれていた。
衛兵が両脇に立つ。
連れていかれる直前、ガルド卿が一度だけ顔を上げた。
江理と目が合った。
何かを言うのかと思った。
けれど、何も言わなかった。
そのまま広間を出ていく。
扉が閉じた。
江理は、自分の中に何か大きな変化が起こるのを待った。
けれど、何もなかった。
嬉しくもない。
すっきりもしない。
ただ、終わったのだと思った。
「ライリー殿」
アーサーが呼んだ。
「今回の処分について、異論はあるか」
「ない」
ライリーは即答した。
「命を求めるつもりもない」
江理は隣にいるライリーを見る。
「俺が欲しいのは、あの男の首じゃない」
ライリーはアーサーを見たまま続けた。
「同じことが、二度と起きないことだ」
その言葉に、江理は黙って耳を傾けた。
「城塞に住んでいる人間が、誰かの都合で賊と呼ばれ、勝手に兵を向けられないこと。それが保証されるなら、俺はそれでいい」
アーサーは静かに頷いた。
「そのための話も、これからしなければならないと思っている」
「ああ」
二人の間には、江理の知らない話がある。
それだけは、もう分かった。
「まずは、ガルドが失った領地だ」
アーサーが続ける。
「領主を失ったままにはできない。民の生活を止めるわけにはいかぬ」
江理は、その言葉に初めて気づいた。
一人の領主を罰して終わりではない。
そこには、暮らしている人がいる。
畑を耕す人も、商売をする人も、家族を養う人もいる。
領主が変われば、その人たちの生活にも影響が出る。
「後任については、すでに候補を検討している」
アーサーが言った。
「領地の実務を長く担い、住民からの信頼もある者だ」
ライリーがわずかに目を細めた。
「ハロルドか」
「そのつもりだ」
江理には知らない名前だった。
けれど、マーサは知っているらしい。
「……あの男なら、少なくともガルドよりは話が通じるだろうね」
アーサーは頷いた。
「ただし、本人の意思を確認してからだ」
その言葉が、江理の耳に残った。
本人の意思。
召喚士シリルと話した時にも、同じことを考えた。
立場が変わるほどのことを、本人を置き去りにして決めてはいけない。
それは異世界でも、きっと同じなのだ。
裁きの場は、それで終わった。
広間を出ると、江理はライリーの隣を歩いた。
「ライリーさん」
「何だ」
「本当に、あれでよかったんですか」
「ああ」
「もっと重い罰を望んでいるのかと思ってました」
ライリーは少しだけ足を緩めた。
「罰を重くすれば、城塞が安全になるわけじゃない」
江理は黙った。
「ガルド一人を処分して終われば、また同じことが起きるかもしれん」
「……そうですね」
「必要なのは、その先だ」
ライリーは前を歩くオスカーを見た。
その横にはマーサがいる。
「いつまでも、このままではいられない」
「このまま?」
江理が聞いても、ライリーは答えなかった。
ただ、その視線はオスカーの背中に向けられたままだった。




