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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第3章 攫われた先の皇宮で、まさかの主治医になっちゃった。

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第四十話 皇太子ルイス

 翌日の昼過ぎ。

 江理はレイモンド・ヘイズと向かい合っていた。

「なるほど。月のものが不規則で、痛みと出血も強い、と」

「はい」

 卓の上には、昨日サラから聞き取った内容が置かれている。

 もちろん、本人から許可を得たうえで共有している。

「今飲んでいる薬も確認しました。これです」

 江理が紙を差し出す。

 レイモンドは目を通した。

「どれも珍しいものではありませんな。身体を温めるものと、血の巡りを整えるものです」

「長く飲んでも問題ありませんか?」

「通常の量であれば。ただし、こちらは妊娠が分かった場合には止めます」

「じゃあ、それも記録しておきます」

 江理が書き加える。

「それと、もう一つ」

「何でしょう」

「サラ様だけを診ても、不妊の原因は分からないと思います」

 レイモンドが顔を上げた。

「……ルイス殿下も診る、と?」

「必要なら」

 昨日と同じ答えだった。

「私のいた世界では、夫婦の両方を調べます」

「男性側にも原因があるというお話ですな」

「はい」

 レイモンドはしばらく考え込んだ。

「その考えは、私にはありませんでした」

「この世界では調べないんですか?」

「少なくとも王家で子ができぬ場合、まず女性の身体を診ますな」

「そうですか」

「もっとも」

 レイモンドは髭を撫でた。

「子を成せぬ男性がいること自体は、経験として知られております」

「だったら、話は早いですね」

「……早い?」

「男性にも原因がある可能性が知られてるなら、調べる理由はあります」

 レイモンドが笑った。

「エリー殿は、王族を相手にしても変わりませんな」

「患者さんなら同じですよ」

「ルイス殿下は、まだ患者ではありませんが」

「あ」

 確かに。

 江理が黙った、その時だった。

 扉が叩かれた。

「レイモンド先生」

 リーゼルが顔を出す。

 なぜか少し緊張している。

「ルイス殿下がお見えです」

「…………」

 江理はレイモンドを見る。

 レイモンドも江理を見た。

「噂をすれば、ですな」

「まだ噂してただけなんですけど」

「そのようですな」

 ◇

 ルイスは、江理が想像していたより若かった。

 二十代半ばくらいだろうか。

 明るい茶色の髪。

 派手さはないが、立っているだけで目を引く。

 服装も華美というより、きちんと整えられているという印象だった。

 何より。

 ――サラ様の旦那さんだ。

 それが最初に浮かんだ。

「初めまして」

 ルイスが江理を見る。

「あなたが、エリ・マエムラ殿ですね」

「はい」

「ルイスです」

 江理も頭を下げた。

「初めまして」

「サラから話を聞きました」

 ――早い。

 昨日の今日だ。

「妻が世話になったそうですね」

「お話を聞いただけです。まだ治療らしいことは何もしていません」

「それでも、随分と表情が明るくなっていました」

 ルイスは穏やかに言った。

「久しぶりに、安心した顔を見た気がします」

 その言葉に、江理は少しだけ印象を改めた。

 世継ぎを産め。

 なぜ妊娠しない。

 そんなことを言いに来たわけではなさそうだ。

「サラ様は、かなり気にされていました」

「……そうでしょうね」

「殿下から、何か言ったことはありますか?」

 レイモンドが軽く咳払いした。

 リーゼルも江理を見る。

「何でしょう?」

「いえ」

 ルイスだけが笑った。

「構いません。何を言ったか、ですか?」

「はい。子どものことで」

「急かしたことはありません」

「本当に?」

「エリー殿」

 今度はレイモンドが止めた。

「本当に、です」

 ルイスは苦笑した。

「私自身は、子どもが欲しくないわけではありません。ですが、そのために妻を追い詰めたいとも思っていない」

「そうですか」

 江理は頷いた。

「じゃあ、サラ様にはそう言ってあげた方がいいです」

「言っているつもりなのですが」

「つもりじゃなくて、ちゃんと言った方がいいです」

「…………」

 ルイスが目を瞬いた。

 レイモンドが額を押さえた。

「エリー殿」

「だって、大事じゃないですか」

「相手は皇太子殿下ですぞ」

「でも夫ですよね?」

 レイモンドが黙った。

 ルイスが吹き出した。

「なるほど」

「何がですか?」

「母上が気に入るわけだ」

「皇后様ですか?」

「サラも、あなたのことばかり話していました」

「患者さんなので」

「そういうところでしょうね」

 何がそういうところなのか分からない。

 江理は首を傾げた。

「それで」

 ルイスが表情を改めた。

「サラから、もう一つ聞きました」

「はい」

「子ができない原因は、女性だけにあるとは限らないと」

「はい」

「男性にも原因があるのですね」

「あります」

 江理は即答した。

 ルイスの顔に嫌悪や怒りはなかった。

 ただ、少し驚いている。

「では、私を診れば分かるのですか?」

「そこが問題なんですよね」

「問題?」

「私の世界なら、もっといろいろ調べられます」

 江理は腕を組んだ。

「でも、ここには検査機器がない。できる検査がかなり限られています」

「けんさきき?」

「身体の中や、血液なんかを詳しく調べる道具です」

「なるほど」

「だから、原因まで特定できるとは約束できません」

「それでも構いません」

 ルイスは即答した。

 今度は江理が驚いた。

「いいんですか?」

「サラだけに薬を飲ませ続けるよりはいい」

 ルイスは静かに言った。

「私に原因がある可能性があるのなら、私も診てもらうべきでしょう」

 ――ちゃんとした人だ。

 江理は素直にそう思った。

「分かりました」

 紙を一枚取る。

「じゃあ、まず問診から」

「今から?」

「時間あります?」

「ありますが」

「じゃあ今やりましょう」

 ルイスがレイモンドを見る。

 レイモンドは諦めたように息を吐いた。

「こういう方です」

「まだ会って半刻も経っていないでしょう」

「十分分かりました」

 ◇

「大きな病気をしたことは?」

「ありません」

「熱が何日も続いたことは?」

「幼い頃には何度か」

「最近は?」

「ありません」

「薬は?」

「常用しているものはありません」

「お酒は?」

「飲みます」

「どれくらい?」

 ルイスが少し考えた。

「夕食の際に一杯か二杯ほど」

「毎日?」

「ほぼ」

 江理は書く。

「睡眠は?」

「五時間ほどでしょうか」

 江理の手が止まった。

「少ないですね」

「そうですか?」

「私なら、もう少し寝てほしいです」

「仕事がありますので」

「みんなそう言うんですよ」

「皆?」

「私のいた世界の患者さんも」

 江理はため息をついた。

「忙しいから寝られない。仕事があるから休めない。でも倒れたら、もっと仕事できなくなりますからね」

 ルイスが笑う。

「耳が痛い話です」

「痛いうちに寝てください」

 レイモンドが横で小さく笑った。

「殿下。私も以前から申し上げております」

「レイモンドまで」

「医師が二人とも同じことを言ってます」

「分かりました」

 ルイスが両手を上げた。

「努力します」

「努力じゃなくて寝てください」

「厳しいな」

 それから江理は、もう少し踏み込んだ質問をした。

 体調。

 過去の怪我。

 食生活。

 疲労。

 そして、子どもを望む夫婦として必要なこと。

 さすがに侍女たちには席を外してもらった。

 江理も、この世界で可能な範囲を考えながら慎重に聞いていく。

 問診だけで何かを断定することはできない。

 けれど。

 気になることが一つあった。

「殿下」

「はい」

「さっき、幼い頃に何度か高い熱を出したと言いましたよね」

「ええ」

「その時のこと、もう少し詳しく分かりますか?」

「私自身は覚えていません」

 レイモンドを見る。

「先生なら?」

「私が殿下を診るようになったのは、もう少し後ですな」

「記録は残っていますか?」

「王族の診療記録であれば、残っているはずです」

「見たいです」

「分かりました」

 江理は紙に印をつけた。

「何かあるのですか?」

 ルイスが尋ねる。

「まだ何も」

「でも、気になったのでしょう?」

「はい」

 江理は誤魔化さなかった。

「でも、今の段階で余計なことを言って不安にさせたくありません」

「……分かりました」

「記録を確認してから考えます」

 そこで診察を終えた。

 ◇

 ルイスが立ち上がる。

「今日はありがとうございました」

「いえ」

「サラにも、あなたが言ったことをきちんと話してみます」

「お願いします」

「つもりではなく?」

「ちゃんと」

 ルイスが笑った。

「分かりました」

 扉へ向かいかけて。

 ふと振り返る。

「エリー殿」

「はい?」

「あなたは、いつまで皇宮に?」

 江理は少しだけ黙った。

「分かりません」

「分からない?」

「私は帰りたいと伝えています」

「ピーコック村へ?」

「はい。それと、城塞にも」

 ルイスの表情がわずかに変わった。

「城塞というのは、あの公爵の別荘だった城ですか」

「はい。ご存じなんですね」

「名前くらいは」

 ルイスはそれ以上、何も言わなかった。

「患者さんがいるので」

「……そうですか」

「ガルド卿の件が片づいたら、帰れるんだと思います」

 江理自身、まだはっきりとは聞かされていない。

 ルイスは何か考えるように江理を見た。

「父上に確認しておきます」

「いいんですか?」

「あなたはサラの医師でもありますから」

「まだ正式には違いますけど」

「では、そうなってもらえれば助かります」

「帰りますよ?」

「それは困った」

 ルイスは笑った。

 冗談なのか、本気なのか。

 江理には分からなかった。

「では、また」

「はい」

 扉が閉まる。

 江理は息を吐いた。

「……普通の人でしたね」

「誰がです?」

「皇太子」

 レイモンドが頭を抱えた。

「エリー殿」

「はい?」

「その感想は、本人には言わないでください」

「どうしてですか?」

「どうしてもです」

 江理には、やはりよく分からなかった。

 ◇

 同じ頃。

 帝都へ続く街道を、数台の馬車が進んでいた。

「まだ着かないのか」

 オスカーが窓の外を見る。

「さっきも聞いたね」

 向かいに座るマーサが呆れる。

「これで七回目だよ」

「数えてたのかよ」

「うるさいからね」

 オスカーは再び外を見る。

 遠く。

 街道の先に、まだ小さく帝都の外壁が見え始めていた。

 その隣の馬車には、ライリー。

 そしてピーコック村で合流したエイトとマイミが乗っている。

 オスカーの指が、腰の剣に触れた。

 すぐにマーサが言う。

「抜くんじゃないよ」

「分かってる」

「ライリーとの約束を忘れるんじゃない」

「分かってるって」

 返事は不機嫌だった。

 それでも。

 以前なら、もう一度言い返していたかもしれない。

 オスカーは黙って手を離した。

「……江理」

 小さく名前を呼ぶ。

 帝都は、もう目の前だった。

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