第三十七話 見つけた
第三十七話 見つけた
知らせが届いたのは、江理が皇宮へ連れ去られてから十日ほど経った朝だった。
城塞の門を、一頭の馬が駆け抜けた。
「マルコ商会からの使いです!」
その声を聞いて、オスカーは椅子を蹴るようにして立ち上がった。
広間には、ライリーとマーサ、ミラがいた。
この十日、何度同じような知らせに期待したか分からない。
街道でそれらしい一行を見た。
西へ向かった兵がいた。
帝都へ入ったガルド卿の一団がいた。
情報が届くたびに人を走らせ、そのたびに確かなことは分からなかった。
けれど、今回は違った。
使いの男は息を整える間も惜しむように、一通の手紙を差し出した。
「帝都の本店より、至急こちらへ届けるようにと」
ライリーが封を切る。
オスカーは、その手元をじっと見つめた。
「父上」
「待て」
「でも」
「今読んでいる」
短い返事だった。
それでも待てず、オスカーは一歩近づいた。
ライリーの目が、紙の上を動く。
やがて止まった。
「……見つかった」
「え?」
「先生だ」
オスカーの顔から、表情が消えた。
「皇宮にいる」
「……江理が?」
「ああ」
「生きてる?」
それだけを聞いた。
ライリーはもう一度手紙へ目を落とした。
「無事だ。少なくとも、帝都へ到着してから危害を加えられた様子はない」
オスカーは何も言わなかった。
その場に立ったまま、俯く。
「オスカー?」
ミラが心配そうに名を呼んだ。
「……よかった」
ようやく、それだけが出た。
十日間、ずっと考えていた。
あの時、自分が一緒にいれば。
もっと早く気づいていれば。
あの兵たちを逃がさなければ。
江理が傷つけられていたら。
もう会えなかったら。
考えても仕方のないことばかりが、夜になると頭の中を回った。
「よかった……」
もう一度呟いて、オスカーは椅子へ腰を落とした。
マーサが大きく息を吐いた。
「まったく。世話の焼ける医者だよ」
そう言いながら、その声も少し震えていた。
「それで」
オスカーがすぐに顔を上げた。
「迎えに行く」
「待て」
ライリーが言った。
「何でだよ。居場所が分かったんだろ」
「皇宮だ」
「だから何だよ」
「兵を連れて皇宮へ乗り込むつもりか?」
オスカーが黙る。
「それとも、お前一人で門を突破するか?」
「……そんなこと言ってない」
「同じだ」
ライリーは手紙を卓へ置いた。
「先生を連れ去ったのはガルドだ。だが、今先生がいるのは皇帝の城だ。話が変わった」
「江理は攫われたんだぞ」
「分かっている」
「だったら返してもらえばいいだろ」
「そのために、頭を使えと言っている」
聞き覚えのある言葉に、オスカーが口を閉じた。
あの日。
江理を追った末に、取り逃がした時にも言われた。
『今度は感情だけで走るな。先生を取り戻したいなら、頭を使え』
拳を握る。
今すぐ馬に乗りたい。
帝都まで走って、江理を連れて帰りたい。
けれど、それをすればどうなるのか。
今度は少しだけ、考えた。
「……どうすればいい」
ライリーが息子を見る。
「皇宮と話をする」
「父上が?」
「ああ」
「向こうは、話を聞くのか」
ライリーは少しだけ考えた。
「聞くだろう」
「何で」
「それは今、お前が知らなくてもいい」
「またそれかよ」
オスカーが眉を寄せる。
マーサが横から口を挟んだ。
「だったら、あたしも行こうかね」
「母上」
「何だい。あんた一人より話が早いだろ」
「それはそうですが」
ライリーが珍しく言葉に詰まった。
オスカーは二人を交互に見る。
こういう時だけ、家族の会話に自分だけ知らない何かが混じる。
江理も、たぶん同じように感じていたのだろう。
「……何なんだよ」
「そのうち分かるさ」
マーサは、それだけ言った。
◇
同じ知らせは、その日のうちにピーコック村にも届けられた。
「皇宮?」
イアンが聞き返した。
診療所に集まっていた全員が、使いの男を見る。
「はい。マルコ様からの知らせです。エリー先生は現在、皇宮に滞在しているとのことです」
「滞在?」
アイリスが声を上げた。
「連れ去られたんですよね?」
「詳しい事情までは、こちらにも。ただ、皇宮内で無事であることは確認できたとのことです」
部屋の空気が、一気に緩んだ。
ハンナが胸元に手を当てる。
テオは椅子の背にもたれ、長く息を吐いた。
「よかった……」
アイリスの目には、すでに涙が浮かんでいた。
「本当に? 本当にエリーなんですよね?」
「特徴も一致しております。それに――」
使いの男が少し困ったように笑った。
「皇宮では、異世界から来た女医が皇后様を診ている、という話が出ているそうです」
全員が黙った。
「……江理殿ですね」
エイトが言った。
「エリーだね」
マイミも頷いた。
「間違いないわ」
「何でそう言い切れるんですか」
テオが聞く。
マイミが当然のように答えた。
「だって、攫われて十日くらいで皇后様を診てるのよ?」
「……ああ」
「エリー以外に誰がいるのよ」
誰も反論できなかった。
「先生らしいというか……」
アイリスが泣きながら笑った。
「何やってるんでしょう、エリー」
「患者がいたのでしょう」
エイトは淡々と言った。
「江理殿ですから」
「そうなんだけど」
アイリスが目元を拭う。
その時、窓の隙間から小さな光が飛び込んできた。
『エリー!』
『エリー、いた?』
『みつかった?』
ノアたちだった。
「見つかったよ」
マイミが答える。
「帝都。皇宮にいるって」
一瞬、光が止まった。
次の瞬間。
『いたー!』
『エリーいた!』
『おしろ!』
『むかえいく!』
診療所の中を、いくつもの光が飛び回る。
「ちょ、ちょっと待って。今すぐ飛んでいかないで」
マイミが慌てて止めた。
『なんで!』
「帝都は遠いの。それに皇宮でしょう? 勝手に入っていい場所じゃないから」
『はいれるよ?』
「あなたたちは入れるでしょうけど!」
久しぶりに診療所に笑いが起きた。
イアンはしばらくその様子を見ていたが、やがてエイトへ顔を向けた。
「エイト先生」
「はい」
「迎えに行っていただけますか」
「そのつもりです」
返事は早かった。
「私も行く」
マイミが言う。
「母さんが行くなら、僕も」
テオも続く。
「私も行きます!」
アイリスまで手を上げた。
「待ってください」
エイトが止めた。
「全員で診療所を空けて、どうするのです」
「あ」
「患者は、ここにもおります」
アイリスがしゅんとする。
エイトは少し考えた。
「まずは、誰が帝都へ向かうのか決めましょう。それに、ライリー殿の側も動くはずです」
「ライリーさんたちと一緒に?」
「その方がよろしいでしょう」
イアンが頷いた。
「マルコさんとも連絡を取ろう。帝都なら、あの人の方が詳しい」
「そうですね」
少しずつ、やるべきことが決まっていく。
誰が村に残るのか。
誰が帝都へ行くのか。
薬をどれだけ持っていくのか。
留守の間、診療所をどう回すのか。
江理がいなくなってから止まっていたものが、ようやく動き始めた。
◇
夕方。
城塞では、ライリーが帝都へ向かう者を集めていた。
オスカーは、自分の剣を腰に差している。
「オスカー」
「行くからな」
「まだ何も言っていない」
「置いていくって言っても行く」
ライリーは息子を見た。
十日前なら、止めていたかもしれない。
けれど今、オスカーの顔にあるのは、あの日のような焦りだけではなかった。
「帝都では、勝手に動くな」
「分かってる」
「俺の指示に従え」
「分かった」
「剣を抜くな」
「……向こうが江理に何もしてなければ」
「オスカー」
「分かったよ」
ライリーは小さく息を吐いた。
「明朝、出る」
オスカーが顔を上げる。
「ピーコック村にも寄る。エイト殿たちと合流する」
「うん」
「皇宮へ行くぞ」
十日ぶりに、オスカーの目に強い光が戻った。
ライリーは卓の上に置かれた帝都の地図を畳む。
「先生を迎えに行く」




