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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第3章 攫われた先の皇宮で、まさかの主治医になっちゃった。

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第三十四話 献上物

 馬の背に押さえつけられたまま、どれだけ走ったのか分からなかった。

 日が沈み、また昇った。途中で何度か馬を替え、そのたびに江理は荷物のように移された。口の布は外されたが、両手は縛られたままだ。

「水を」

 そう頼むと、兵の一人が黙って革袋を差し出した。乱暴ではなかった。むしろ、どう扱っていいか決めかねている、という手つきだった。

 ――城下で、私が手当てしてた人かもしれない。

 そう思ったが、確かめる気にはなれなかった。

 二日目の夕方、街道の先に城壁が見えてきた。

 ピーコック村の何倍もの家が立ち並び、その向こうに、白い塔がいくつも突き出している。城塞の街とも違う。あれは、都だ。

「帝都だ」

 誰かがそう言った。

 やはり、と江理は思った。ガルド卿の領地に留め置かれるのではないらしい。

 石畳の広い通りを進み、門をくぐり、また門をくぐる。連れて行かれたのは、磨かれた床がどこまでも続く、天井の高い広間だった。

 縛めが解かれる。手首に食い込んでいた縄の跡が、赤黒く残っていた。

「顔を上げろ」

 背後にいた兵の一人が、低い声でそう命じた。

 言われるまま顔を上げると、正面の一段高い場所に、人が座っていた。

 白髪の混じった髭、深い色の上着、肘掛けに置かれた手。周囲の者たちの立ち位置から、それが誰なのかは、説明されなくても分かった。

 その傍らには、落ち着いた佇まいの女性が座っている。

「ガルド卿」

 皇帝の声は、低く、穏やかだった。

「親戚の城には手を出すなと、触れを出したはずだが」

 ――親戚の、城?

 江理は、その言葉を反芻した。

 誰のことなのか。城塞のことを指しているのだとしたら、いったい誰と誰が親戚だというのか。

 江理の斜め前で、膝をついていた男の肩が、わずかに動いた。

 ガルド卿。この地の領主。道中で兵たちがそう呼んでいた男だ。

「……戦は、失敗いたしました」

「何をしに行った」

「あの者たちは、帝国の統制に従わぬ者どもにございます。討伐は、陛下の御為かと」

「誰がそれを命じた」

 答えはなかった。

 広間の空気が、じわりと重くなる。

「ですが陛下」

 ガルド卿が顔を上げた。

「献上したき者がございます」

 江理は、自分の背筋がすっと冷えるのを感じた。

「この女は、異世界より参りました女医にございます。死に瀕した者すら救うと、辺境では評判の者。ライリーの城塞にて、医師として重用されておりました」

「異世界」

「はい。左様に聞き及んでおります」

 ガルド卿は、ここぞとばかりに続けた。

「かような者を捨て置けば、いずれ叛意ある者どもの力となりましょう。皇宮にてお使いいただくのが上策かと。陛下の側室にでも――」

「ガルド卿」

 凛とした声が、その先を断ち切った。

 声を発したのは、皇帝の傍らに座っていた女性だった。

「恥を知りなさい」

 広間が静まり返る。

「戦に敗れて帰る道すがら、人を攫って手土産にする。それを献上と呼ぶのですか」

「皇后様、これは――」

「わたくしは、人を物として差し出す話を聞きたくありません」

 江理は、その女性の顔を見た。

 皇后。ということは、この国の一番上の女性だ。それが今、明らかにガルド卿を叱責していた。

 皇帝が、深く息を吐いた。

「そなた、名は」

 一瞬、自分に向けられた言葉だと気づくのが遅れた。

「……前村江理と申します」

「異世界から来たというのは、まことか」

「はい」

「医師だというのも」

「はい。外科の医師です」

 皇帝は、しばらく江理を見ていた。値踏みするような目ではなかった。ただ、静かに観察されている、という感じだった。

「ガルド卿。この者を連れてきた経緯を、一字も漏らさず書き出して提出せよ。追って沙汰を下す」

「は……」

「下がれ」

 ガルド卿が退出したあと、皇帝は改めて江理に向き直った。

「前村江理」

「はい」

「そなたを攫ってきた者の非は、こちらで裁く。だが、連れてこられてしまったことは、今さら消せぬ」

 江理は黙って頷いた。

「まずは休め。体を診る者をやろう」

「あの」

 江理は思い切って口を開いた。

「私、帰りたいんです。ピーコック村と……城塞に、待っている患者がいます」

 皇帝の眉が、わずかに動いた。

「城塞、と申したか」

「はい」

「……それは、追って話そう」

 それ以上は、何も言ってもらえなかった。

 通された部屋は、驚くほど広かった。

 寝台も、卓も、椅子も、どれも江理が今まで使ってきたどれより立派で、そのせいでかえって落ち着かない。窓からは、手入れの行き届いた庭が見えた。

 扉の外には、人の気配がある。見張りだろうか。それとも、世話をする者だろうか。

 江理は寝台の端に腰を下ろし、ようやく、自分の左手を見た。

 青い石が、そこにあった。

 縄で縛られている間も、馬に揺られている間も、誰も奪おうとしなかった。

 ――どうして取られなかったんだろう。

 そんな疑問が、ぼんやりと頭をよぎる。

 答えは出ない。代わりに浮かんできたのは、まるで別のことだった。

 診療所の卓に置いたままの記録。明日診るはずだった患者の名前。マーサに教わりかけの薬の調合。今頃、みんなはどうしているだろう。

 ミラの咳は、ちゃんと治っただろうか。

「……帰りたい」

 声に出してみて、江理は自分でも驚いた。

 この世界に来たばかりの頃、同じ言葉を何度も口にした。あの時思い浮かべていたのは、日本の病院と、家族の顔だった。

 今はもう、違う。

 帰りたい場所が、増えてしまっていた。

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