第三十三話 追う者たち
門を抜けた時には、もう蹄の音は遠かった。
「オスカー、乗れ!」
ライリーが手綱を引き、片手を差し出す。走ってきたオジーがその腕を掴み、鞍の後ろへ跳び上がった。
馬が地を蹴る。
前方、街道の先に土煙が上がっている。数は十騎ほど。そのどこかに、江理がいる。
「父上、右の連中、荷を捨てていきます!」
「囮だ。目をくれるな」
ライリーの声は冷たいほど落ち着いていたが、手綱を握る手の甲には血管が浮いていた。
後ろから、配下の馬が次々と追いついてくる。
距離は、少しずつ詰まっていた。あと数町。先頭の馬の輪郭が、はっきり見えるところまで来ていた。
だが、街道が林に差しかかったところで、前方の集団が割れた。
三方向。
どれも似たような速さで、似たような数を引き連れて散っていく。どの馬にも、布をかけられた荷のようなものが乗っていた。
「くそっ」
オジーが叫んだ。
「どれだ!? どれに江理が――」
「静かにしろ」
ライリーが馬の足を緩める。目だけを動かし、三つの土煙を追った。
右は、林の奥へ。正面は、街道をそのまま。左は、川沿いの細い道へ。
やがて、ライリーは正面を選んだ。
配下を分け、自らは街道を駆ける。オジーは父の背にしがみついたまま、前だけを見ていた。
追いつめたのは、日が傾き始めた頃だった。
馬を囲み、布をはぎ取る。
中にあったのは、麦の袋だった。
オジーが鞍から滑り落ちるように降りて、その袋を殴りつけた。
「どこだ……どこにいるんだよ!」
「オスカー」
「俺が! 俺が一緒に行ってれば!」
声が震えていた。目元も、頬も、砂と汗で汚れている。
「江理は、俺が守るって……」
ライリーは馬から降り、息子の肩を掴んだ。
「取り乱すな。ここからが仕事だ」
「でも――」
「相手が誰かは分かってる」
オジーが顔を上げた。
「鎧に紋があった。ガルドだ」
ライリーは、遠ざかる街道の先を見据えていた。
「ガルド卿。この地の領主だ。俺たちを討てば手柄になると、たぶんそう考えたんだろう」
「じゃあ、江理は」
「殺しはしない。あの女を連れて行った意味を考えろ」
言いながら、ライリーの眉間に深い皺が寄った。
「……負けた手ぶらで領地へ帰れば、あいつの立場がない。だから何か持ち帰る必要があった」
「江理は荷物じゃない!」
「そうだ」
ライリーは静かに言った。
「だから、必ず取り返す」
城塞に戻った時には、すっかり日が落ちていた。
城の門では、マイミとエイト、テオ、アイリス、ハンナが待っていた。話は既に伝わっているらしく、誰の顔にも血の気がなかった。
「江理ちゃんは」
真っ先にマイミが駆け寄ってくる。ライリーは首を横に振った。
「三手に分かれて撒かれた。追ったのは囮だった」
「そんな……」
アイリスが口を押さえる。隣でテオが、拳を握りしめていた。
「ガルド卿の手の者だ」
その名に、エイトの表情が変わった。
「……ガルド卿」
「知っているのか、先生」
「この地の領主です。王宮にも出入りしております」
エイトはしばらく黙ってから、続けた。
「あの方は、功を焦る質でした。手柄が欲しいのでしょう。ならば――江理殿は、おそらく王都へ」
「王都」
その言葉に、その場の空気が変わった。
マーサが、ゆっくりと前に出てくる。
「王都なら、殺されはしないね」
「はい」
「だが、すぐには戻せない」
「……ええ」
エイトが頭を下げるように目を伏せた。
「あちらに渡れば、こちらの理屈は通りません」
沈黙が落ちた。
その静けさを破ったのは、ふわり、と現れた小さな光だった。
『エリーが、いない』
ノアだった。その後ろに、ほかの妖精たちも次々と集まってくる。
『よんでも、こたえない』
『とおくにいる』
『すごく、とおい』
江理と妖精たちの間には、結界も距離も関係がないはずだった。それでも、呼べば返ってくるはずの声が、返ってこないという。
「探せるか」
ライリーの問いに、妖精たちは顔を見合わせた。
『さがす』
『でも、ひろいの』
『みんなで、さがす』
光が一斉に散っていく。
その夜、城塞の灯りは、いつまでも消えなかった。
ピーコック村へ知らせが届いたのは、翌日の昼過ぎのことだった。
診療所の前に立ったイアンは、話を聞き終えても、しばらく何も言えずにいた。
「……エリー先生が」
「必ず、お戻しします」
使者としてやってきたライリーの配下は、深く頭を下げた。
「頭からの言付けです。二つの村の警備は、これまで通り続ける。何かあれば、いつでも城塞を頼ってほしい、と」
イアンは何度か口を開きかけ、その度に言葉を飲み込んだ。
診療所の中では、卓の上に、江理が書きかけた診療記録が広げられたままになっていた。
次に診る人の名前と、確かめることが、几帳面な字で並んでいる。
誰も、それを片付けようとしなかった。




