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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第2章 山賊の砦で、二つ目の家族ができちゃった。

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第二十九話 帰り道

 朝の城塞は、いつもと同じように動き始めていた。

 荷物をまとめ終えた江理が中庭へ降りると、既に見送りの人だかりができていた。

「先生、本当に世話になった」

「手、だいぶいいよ。もう槌も振れる」

 鍛冶場の職人が、包帯の取れた右手をひらひらと振ってみせる。肩を痛めていた女も、膝を擦りむいた男の子も、その母親も来ていた。

「また来てくれるんだろ?」

「はい。必ず」

 江理がそう答えると、あちこちから、よし、という声が上がった。

 ミラは、まだ本調子ではない体を押して、玄関の前まで出てきていた。

「江理先生。本当に、ありがとうございました」

「無理しないでくださいね。咳が完全に取れるまでは、安静ですよ」

「はい。先生の言いつけは守ります」

 そう言って微笑むミラの顔色は、初めて会った日とは比べ物にならないほど良くなっていた。

 マーサは、腕に大きな布包みを抱えて立っていた。

「持っていきな。この前の熱冷ましと、傷薬と、火傷のやつだ。作り方は書いてある」

「マーサさん、こんなに」

「あんたが作れるようになるまでの分さ」

 言いながら、マーサは江理の左手をちらりと見た。薬指の青い石を。けれど、それについては何も言わない。

「水の止め方、まだ半人前だからね。次に来たときは、そこからやり直しだ」

「はい。ちゃんと練習しておきます」

「せいぜい、しっかり練習しな」

 素っ気ない言い方だったが、江理はもう、この人の言葉の裏を読めるようになっていた。

 門へ向かうと、ライリーが先に立っていた。

「先生、馬車を用意してある」

「馬車?」

 城門の内側に停められていたそれを見て、江理は足を止めた。

 二頭立ての、堂々とした造りである。車体には細かな装飾が施され、扉の金具は磨き上げられている。馬も毛並みがよく、手入れが行き届いていた。御者のほかに、馬に乗った男が二人、脇に控えている。

「……これに?」

「ああ」

「護衛の方まで?」

「道中、何かあったら困るからな」

 江理はもう一度、馬車を見上げた。

 ――山賊って、こんな馬車持ってる?

 昨夜の晩餐が頭をよぎる。白い卓布と銀器。誰も彼も完璧な所作。そこへ、この馬車と護衛が加わった。

「……あの、こんな立派なもの、お借りして大丈夫なんですか」

「構わん。それと、先生」

 ライリーが、事もなげに続ける。

「馬車が必要になったら、いつでもここへ借りに来てくれ」

「え、いいんですか」

「ピーコックとここを行き来するなら、その方が楽だろう」

「ありがとうございます。助かります」

 素直に頭を下げてから、もう一度、馬車に目をやる。

 ――これを、いつでも?

 それ以上、ライリーは何も説明しない。

 少し離れた場所に、オジーが立っていた。

 江理が近づくと、ばつが悪そうに目を逸らす。昨夜、食卓であれだけの騒ぎになったのだから、無理もない。

「オジー」

「……なんだよ」

「ミラさんのこと、よく見ててね。咳が長引いたり、また熱が出たら、すぐマーサさんに言うこと」

「分かってる」

 それから、左手を軽く上げてみせる。

「これ、ちゃんと預かっておくから」

 オジーの表情が、わずかに動いた。何か言いたげに口を開きかけて、けれど結局、別の言葉になった。

「……また来るんだろ」

「うん。また来る」

「絶対だからな」

「はいはい」

 江理が笑うと、オジーはまた顔を逸らした。

 馬車が動き出す。

 窓から手を振ると、見送りの人々が手を振り返してきた。ミラも、マーサも、住民たちも。ライリーは腕を組んだまま、小さく顎を引いただけだった。オジーは、馬車が門を抜けるまで、その場に立っていた。

 城門を出て、しばらく進んでから、江理は座席に深く座り直した。

 柔らかい。荷馬車の固い板とは、まるで違う。

 窓の外を、来たときと同じ山道が流れていく。

 ――公爵のお城に住んでいて。

 ――あんな食事をして。

 ――こんな馬車を持っていて。

 ――マーサさんは、王宮のお医者さんのことまで知っていて。

 左手を持ち上げ、薬指の石を眺める。深い青が、朝の光を受けて静かに光る。

 ――これも、どう見ても安物じゃない。

 昨夜のライリーの「まあ、高いな」。マーサの「値段を聞かない方がいい」。

 「…………」

 ――この人たち、本当に何者なんだろう。

 貴族の家に仕えていた人たちだろうか。それとも、何かの理由で領地を追われた貴族なのか。元は騎士団か何かだったのかもしれない。

 どれもしっくりこない。けれど、それ以上の答えは、江理の知識では出てこない。

 妖精たちが、馬車の中をふわふわと漂っている。

『エリー、かんがえごと?』

「うん。ちょっとね」

『むずかしいかお、してる』

「そうかな」

 そんなやり取りをしているうちに、山道が下りに入り、視界が開けた。

 遠くに、見覚えのある畑が広がっている。その向こうに、小さな家々の屋根。診療所の白っぽい壁。

 ピーコック村だ。

 さっきまで頭を占めていた疑問が、すっと後ろへ引いていく。

 代わりに胸に広がったのは、もっと単純な感情だ。

 ――帰ってきた。

 窓枠に手をかけ、江理は遠ざかる山と、近づいてくる村を、交互に見つめていた。

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