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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第2章 山賊の砦で、二つ目の家族ができちゃった。

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第二十八話 十七歳のプロポーズ

 明日の朝、ピーコック村へ帰る。

 そう決まったのは、昼前のことだった。結界が解けたという知らせを、妖精たちが運んできたのだ。

 荷物といっても、ほとんど何もない。借りた服を畳み、書き溜めた診療記録をまとめ終えた頃、扉を叩く音がした。

「エリー。ちょっと、いいか」

 オジーだった。いつもより硬い顔をしている。

 連れて行かれたのは、城の裏手にある小さな庭だった。手入れのされた生垣の向こうに、夕暮れの城壁が見える。

「明日、帰るんだよな」

「うん」

「また来るって、言ったよな」

「言ったよ。ミラさんの経過も診たいし」

 オジーは頷いて、それから少し黙った。

「エリーは、いつか元の世界にも帰るんだろ」

 思いがけない問いに、江理は言葉に詰まった。

「……帰れる方法があるなら、帰りたい。家族もいるから」

 正直に答えた。嘘をつく理由がなかった。

 オジーは、江理の顔をじっと見ていた。何かを確かめるような目だった。

「ピーコックなら、行けばいい。馬で行ける」

「うん」

「でも、元の世界に帰ったら、もう会えないんだろ」

 江理は答えられなかった。その通りだったからだ。

 しばらくの沈黙のあと、オジーが懐から小箱を取り出した。

 黒ずんだ革張りの、掌に収まるほどの箱だった。角の革は擦り切れ、留め具の金具も色褪せている。それでも作りの良さは、素人目にも分かった。

 蓋が開くと、色の褪せた絹の上に、指輪が納まっていた。

 深い青の石が、夕陽を受けて静かに光っている。周りを小さな透明な石が取り囲み、台座には細かな彫りが入っていた。

「わ、綺麗……」

 ――ケースまで、ずいぶん立派だな。

 そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。

「江理。俺と結婚してほしい」

 あまりに唐突で、江理は数秒、言葉の意味を取り違えていた。

「……え?」

「俺と結婚してくれ」

 繰り返されて、ようやく理解する。

「オジー、ちょっと待って。私、いくつだと思ってるの。オジーより十も上だよ」

「知ってる」

「知ってるって」

「それが何か関係あるのか」

 まっすぐな目だった。冗談でからかっている顔ではない。

 江理は困り果てて、それでも相手を傷つけない言葉を探した。

「オジーは、まだこれからいろんな人に会うよ。だから――大人になって、それでも私と結婚したいって思ってたら、そのときもう一度言って」

「俺はもう大人だ」

「はいはい」

 軽くあしらったつもりだった。

「じゃあ、それまで持ってて」

 オジーが指輪を差し出してくる。

「え、いいよ、そんな大事そうなもの」

「持っててくれないと困る」

 押し問答の末、江理は根負けした。子供が宝物を預けたがっているようなものだ、と思った。

「分かった。預かっておくね」

「左の薬指につけて」

「……そこ?」

「そこ」

 妙にこだわるな、と思いながら、江理は左手の薬指に指輪を通した。驚くほど、ぴったりだった。

 夕食の席は、いつもと様子が違っていた。

 長い食卓に、真っ白な布が掛けられている。銀の燭台が等間隔に並び、食器も、普段の木の器ではなく、磨き上げられた銀器だった。

 ――送別の食事だから、かな。

 そう思いながら席につく。運ばれてきた料理は、豪華絢爛というより、順序よく整えられていた。澄んだスープ、香草を利かせた肉、焼いた野菜、焼きたてのパン。最後に果物と菓子が控えているのが、並びだけで分かる。

 問題は、料理ではなかった。

 ライリーのナイフとフォークの扱いが、まるで澱みない。病み上がりのミラの所作も、静かで無駄がない。マーサに至っては、席についた瞬間だけ、別人のように品があった。

 そして、江理の隣に座ったオジーまでが、江理より遥かに完成されたテーブルマナーで食事を進めている。

 ――いや、待って。

 なんで山賊一家が、私よりテーブルマナーいいの?

 城壁の街。公爵の城。王宮の医者を知るマーサ。王国軍と戦った過去。そこに、この所作が加わる。

 ――やっぱり、この人たち。本当にただの山賊じゃないんじゃ……。

「江理先生」

 ミラの声に、江理は我に返った。

「今日まで、本当にありがとうございました」

「いえ、そんな」

「先生には、元の世界にご家族がいらっしゃるのでしょう?」

「はい。帰れるなら……やっぱり、帰りたいです」

 正直にそう答えると、食卓が少しだけ静かになった。オジーは何も言わず、皿に目を落としている。

 その沈黙を破ったのは、ミラだった。

「オスカー」

 いつも穏やかな声が、わずかに硬い。

「その指輪……江理先生に渡したの?」

 全員の視線が、江理の左手に集まった。

「うん」

 オジーが、あっさりと頷く。

「え?」

 江理だけが、事態を掴めずにいた。

「…………お前」

 ライリーが、フォークを置く。マーサは指輪を一瞥して、深く息を吐いた。

「そういうことかい」

「何がです?」

 江理の問いには誰も答えない。

「オスカー。ちゃんと江理先生に説明したの?」

「した」

「結婚してほしいって言われました」

 江理がそう言った瞬間、かちゃん、と誰かの食器が止まった。

「……お前、求婚したのか」

「した」

「先生は」

「指輪を受け取ってくれた」

「いや、ちょっと待ってください」

 江理は慌てて両手を振った。

「大人になって、それでも気持ちが変わらなかったら、もう一回言ってねって話ですよ?」

「だから受け取っただろ」

「預かってるだけ!」

「しかも左手の薬指かい」

 マーサが、呆れたように呟く。

「オジーが、ここにつけてって言ったので」

 食卓が、しん、と静まり返った。

 ライリーは怒鳴らなかった。ただ、息子の顔を正面から見た。

「本気なのか」

「本気だ」

 それから江理に向き直る。

「先生。こいつに付き合う必要はないからな」

「いや、私もそういうつもりでは……」

「俺はそういうつもりだけど」

 オジーがすかさず口を挟み、江理は頭を抱えたくなった。

「江理先生」

 ミラが穏やかに続ける。

「指輪を返してほしいという意味ではありません。ただ、オスカーが勝手に決めたことですから、あなたが困る必要はありませんよ」

「ありがとうございます……」

「まあ、持っておきな」

 マーサが杯を傾けながら言った。

「どうせあの子は、言い出したら聞かないよ」

 ライリーがもう一度、指輪に目をやった。

「……よりによって、それを選んだのか」

「そんなに高いんですか?」

「…………まあ、高いな」

「えっ」

「値段を聞かない方がいいよ」

 マーサの一言に、江理は自分の左手を見下ろした。青い石が、燭台の灯りを受けて、静かに輝いている。

「怖いんですけど」

 誰も答えなかった。

 賑やかなようで、どこか落ち着かない晩餐が終わる頃、江理はもう一度、この一家の顔を順に見た。

 求婚のことも、確かに困っている。

 けれどそれ以上に、頭から離れないことがあった。

 ――この人たち、本当に何者なんだろう。

 答えは、まだ出そうになかった。

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