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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第2章 山賊の砦で、二つ目の家族ができちゃった。

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第二十七話 山賊たちの診療所

 朝の診察を終えて、江理は聴き終えた胸から手を離した。

「熱は下がりましたね。呼吸も、だいぶ楽になってます」

 ミラは、初めて会った日とは別人のように、はっきりとした目で頷いた。頬にもわずかに血の気が戻っている。

「もう大丈夫なんだよな?」

 枕元のオジーが、身を乗り出すようにして聞いてくる。

「良くなってる。でもね、『良くなってきた』と『治った』は違うから。咳が残ってるうちは、まだ安静」

「……分かってる」

 少しムッとした顔で、オジーが引き下がる。

 部屋の入り口では、ライリーが腕を組んで立っていた。

「世話になったな、先生」

「マーサさんの薬と、看病がちゃんとしていたからです。私は診ただけですよ」

 江理がそう答えると、ライリーは何か言いかけて、結局、短く鼻を鳴らしただけだった。

 廊下に出て、江理は足を止めた。

 城の出口の方に、何人かの人影がある。江理と目が合うと、気まずそうに視線を逸らす者もいた。

「何か、あったんですか?」

「……お前のせいだ」

 後ろから来たライリーが、微妙な顔で言う。

「頭の奥方を診た医者がいる、とな。おまけに、ピーコックにいる傷を縫う女医と同じやつらしいと、誰かが気づいた」

 先頭にいた男が、おずおずと前に出た。

「あの、先生。俺も診てもらっていいか」

「……ここで?」

 江理はライリーの顔を見る。

 ライリーは好きにしたらいいと言い、自室に戻っていった。

 結局、マーサのアトリエの一角を借りることになる。ピーコック村の診療所と比べれば粗末な即席の場所だが、必要なものはすべて手の届くところにある。

「訓練で手首をひねっただけなんだが、二日経っても痛みが引かなくてな」

 剣を振っているという青年の手首を確かめる。腫れは軽いが、特定の向きに動かすと痛むらしい。

「骨には異常がなさそうです。しばらく強く握る動作を控えて、固定しておきましょう。マーサさん、炎症を抑える湿布用の薬草を」

「これだね。ああ、そいつには量を半分にしな」

「半分?」

「若いのに肌が弱い。前にうちの傷薬で赤くかぶれた」

 江理は目を丸くした。薬の効能だけでなく、一人ひとりの体質まで頭に入っている。

「……覚えておきます」

 逆に、器具を扱う手順については江理が口を出した。同じ布を続けて使わないこと、傷に触れる前に必ず手を洗うこと。マーサは面倒がりもせず、素直に頷いていた。

 三人目の患者を診ている間、オジーはずっと横で見ていた。

「俺にも何かできることあるか」

「じゃあ、次の人を呼んできて」

「それだけ?」

「大事な仕事だよ。順番を間違えると、急いでる人が後回しになるから」

 不満そうな顔をしながらも、オジーは律儀にやってくれた。そのうち、名前と症状を先に聞いて江理へ伝えたり、水を運んできたりもする。本人は「手伝ってやっている」という顔を崩さないが、助手としての手際はよほど良かった。

 最後の患者は、荷運びで肩を痛めたという中年の男だった。

 上着を脱いでもらったとき、江理の手が止まった。

 肩から背中にかけて、白く盛り上がった古い傷跡がいくつも走っている。刃物によるものだと、一目で分かった。

「これ、ずいぶん昔の傷ですよね」

「ああ。王国軍とやり合ったときのだ」

「……王国軍?」

 男が、しまった、という顔をした。

「余計なことまで喋るんじゃないよ」

 奥から、マーサの声が飛んでくる。穏やかな言い方だったが、有無を言わせない響きがあった。

 男は肩をすくめ、それきり口をつぐむ。江理も、それ以上は聞かない。

 ――王国軍と、戦ったことがある。

 公爵の城。王宮の医者を知るマーサ。そして、王国軍と渡り合った過去。

 点はまた一つ増えたが、それをつなぐ線は、やはり見えないままだった。

 夕方、診療を終えて片付けをしていると、ライリーが顔を出した。

「随分診たな」

「放っておけないので」

「金を取ればいい」

「……お金」

 言われて、江理は初めて気づいた。ここでの診療について、報酬の話を何も決めていない。

「ピーコック村では、払える人からは決まった額をもらってました。難しい人は、野菜とか卵とかで」

「卵か」

「はい」

 ライリーが、面白いものを見るような目をした。

「変な医者だな」

「よく言われます」

 ライリーは笑いを噛み殺すようにして、それから続ける。

「ここにいる間、必要なものがあれば言え。薬でも道具でも、人でも用意する」

 江理は少し考えて、頭を下げた。

「じゃあ、紙をください」

「紙?」

「診療記録を作ります」

 ライリーはしばらく黙ってから、呆れたように首を振るだけだった。

 その夜、江理は借りた紙を机に広げ、その日診た人たちのことを書き留めていた。名前、症状、処置、次に診るときに確かめること。

「それ、全部今日の人?」

 いつの間にか、オジーが覗き込んでいた。

「そう」

「覚えてるのに、なんで書くんだ」

「私がいなくなっても、次に診る人が分かるように」

 オジーが黙り込む。ペンの走る音だけが、しばらく部屋に響いた。

「……帰るんだよな」

「うん。結界が解けたら」

 少しの間。

「でも、マーサさんに言われたんだ。帰ったって、また来ればいいって」

 オジーの顔が、わずかに明るくなる。

「じゃあ、来ればいいじゃん」

「簡単に言うね」

「簡単だろ。道、覚えただろ」

 江理は笑って、紙に最後の一行を書き足した。

「じゃあ、また来るね」

「絶対だぞ」

「うん。約束――」

 最後まで言う前に、腕を掴まれた。

「え?」

 ぐい、と引かれる。

 次の瞬間、江理はオジーの胸元にぶつかっていた。

 背中に腕が回る。

「……オジー?」

 返事はなかった。

 ただ、思っていたよりずっと強い力で抱きしめられている。

 江理は戸惑ったまま、目の前の胸元を見つめた。

 近い。

 近すぎる。

 十五、六歳くらいだと思っていた少年は、こうしてみると江理より背が高い。肩も、腕も、思っていたよりしっかりしている。

「ちょっと、どうしたの」

「……別に」

「別にって」

 言いながら、抱きしめる腕は緩まない。

 江理が顔を上げようとすると、オジーはようやく我に返ったように腕をほどいた。

 ぱっと一歩離れる。

 その顔は、耳まで赤くなっていた。

「……絶対、来いよ」

「え?」

「また来るって言っただろ」

「言ったけど」

「じゃあ、来い」

 それだけ言うと、オジーは江理と目を合わせないまま扉へ向かった。

「オジー?」

「寝る」

「急だね」

「うるさい」

 扉を開けてから、オジーは一度だけ振り返った。

「……約束だからな」

「うん。約束」

 今度こそ江理が答えると、オジーは小さく頷いて出ていった。

 扉が閉まる。

「……何だったんだろう」

 一人になった江理は、自分の身体に視線を落とした。

 ほんの数秒前まで、背中にあった腕の感触が妙に残っている。

「十七歳、なんだよね……」

 口にしてから、自分で首を傾げた。

 母親が病気になって、不安だったのだろう。

 ようやく良くなってきたと思ったら、今度はその医者が帰ると言い出した。

 だから、少し心細くなった。

「……そういうことかな」

 江理はそう結論づけると、机の上の診療記録へ向き直った。

 けれど、続きを書こうとして。

 一度だけ、閉じた扉を振り返った。

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