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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第2章 山賊の砦で、二つ目の家族ができちゃった。

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第二十五話 また来ればいい

 翌朝、窓の外から、聞き慣れた声が飛び込んできた。

『エリー! ただいまー!』

 ノアだった。その後ろから、ほかの妖精たちも次々に部屋へなだれ込んでくる。

「ノア! おかえり。アイリス、どうだった?」

『あのね、アイリスもフィンも元気! あの葉っぱ、パール村にもあるって。使い方も、マーサと同じでいいって!』

 江理は胸を撫で下ろした。マーサのやり方で間違っていないと、アイリスも言ってくれている。

「ピーコック村は? マイミさんたちは」

『へいき!』

 答えたのは、ピーコック村の方から戻ってきたミトだった。

『エイトはけがしてるけど、ちゃんと寝てる。テオがみてる。マイミはつかれて、ずっとねむそう。でもみんな、へいき』

『はたけのおやさい、すごくおおきくなってた!』

 ロトが得意げに付け加える。結界の中では、作物がよく育つらしい。

 江理はしばらく、何も言えなかった。

 あの夜から、ずっと胸の奥に張りついていたものが、ゆっくりとほどけていく。

「……よかった」

 小さく呟いた声が、自分でも驚くほど震えていた。

『エリー、なかないで』

「泣いてないよ」

 目元を指で押さえながら、江理は笑った。

 身支度を整えて、ミラの寝室へ向かう。扉の前では、オジーが落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。

「エリー。母上、今日はどう?」

「今から診るところ。一緒に入る?」

 オジーは頷き、江理の後ろについてきた。

 ミラは昨日より少しだけ、はっきりとした目で江理を迎えた。額に手を当てると、まだ熱はあるものの、昨夜ほどの熱さではない。胸の音も、湿った響きがわずかに和らいでいた。

「昨日より、熱が少し下がってますね。咳はどうですか」

「夜中に、何度か。でも、少し楽になりました」

 かすれた声だったが、言葉ははっきりしている。

「このまま、水分とお薬を続けましょう。まだ無理はしないでくださいね」

 ミラが小さく頷くと、隣でオジーが、ほっと息を吐いた。

「……よかった」

 ぽつりとこぼれたその声は、さっきの自分の声とそっくりだった。江理は何も言わず、オジーの肩を軽く叩いた。

 オジーは一瞬、子供扱いされたとでも言いたげな顔をしたが、何も言わずに母親の方へ視線を戻した。

 ミラの様子を診たあと、江理はまたマーサのアトリエを訪ねた。

 マーサは作業台で、熱冷ましの薬を煎じているところだった。

「来たね。ちょうどいい、手を貸しな」

 言われるまま、刻んだ薬草を鍋へ移す。マーサは鍋に手をかざすと、ほんの少しだけ目を細めた。

 すると、鍋の中の湯が、一度に沸き立つことなく、静かに、均一に温まっていく。

「……今の、魔法ですか?」

「そうだが?」

 マーサは、何を当たり前のことを、という顔をした。

「強い火で一気に煮ると、薬草の効き目が飛ぶ。だから、ゆっくり温める。魔法を使った方が、加減がしやすいのさ」

 江理は鍋をまじまじと見つめた。薬を作るための、ごく普通の道具として、魔法がそこにあった。

 それにしても、この人たちは何者なのだろう。

 山賊と呼ばれているのに、城壁に囲まれた街で暮らし、公爵が使っていた城を譲られている。マーサは薬師として並外れた知識を持ち、王宮の医者の噂にまで通じているらしい。

 ――何か、事情があるんだろうな。

 そう思っても、この国のことをほとんど知らない江理には、それ以上考えようがなかった。

「あんたはどれくらい使える?」

「私ですか。少しだけ、マイミさんに教わりました。水を出したり、乾かしたり、それくらいです」

「やってみな」

 マーサに促され、江理は手のひらを器の上にかざした。意識を集めると、指先から、水がこぼれ落ちる。

 ――あれ。

 ピーコック村で試したときは、数滴がやっとだったはずだ。それが今、器の半分ほどまで、一気に満ちていた。

「わっ、止まらない」

 慌てて手を引っ込めると、水はようやく止まった。

 マーサは器の水面を眺め、それから江理の顔をじっと見た。

「……あんた、自分で思ってるよりずっと力があるね」

「え? でも、前は数滴しか出なかったんです」

「そりゃ、出し方を知らなかっただけだろう。力そのものがなかったわけじゃない」

 マーサは器を脇へ押しやった。

「ただ、使い方をまるで知らない。蛇口の壊れた水瓶みたいなもんだ」

 遠慮のない言い方に、江理は苦笑するしかなかった。けれど、的確だった。

「薬を扱うなら、魔法も覚えな。加減ができれば、あんたの医術と合わせて、できることがずっと増える」

 その言葉に、江理の胸がわずかに高鳴った。煮沸の温度を保つこと。清潔な水を作ること。傷を洗うこと。思いつく使い道が、次々に浮かんでくる。

 けれど、同時に一つのことを思い出して、江理は口ごもった。

「でも、私、結界が解けたらピーコック村に帰りますよ?」

「だから何だい」

「え?」

 マーサは鍋から目を離さないまま、事もなげに言った。

「帰ったって、また来ればいいだろ」

 江理は、しばらくその言葉を飲み込めずにいた。

 帰る、というのは、ここを去ることだと思っていた。ピーコック村へ戻れば、この城塞で過ごした日々は、それで終わりになるのだと。

「……また、来ていいんですか」

「来たくなけりゃ、来なくていいさ」

 素っ気ない返事だった。けれど、マーサの口の端は、ほんのわずかに上がっていた。

 江理は器の中の水を見つめた。自分の手から、止めようもなく溢れ出た水。

「じゃあ、教えてください。止め方から」

「そこからかい」

 マーサが、声を立てて笑った。

 作業台の隅では、ノアたちが鍋の湯気の周りをくるくると回っている。

 窓の外には、今日も城塞の朝が広がっていた。

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