第二十二話 山寨へ
村のみんなが大丈夫か、かなり心配ですが、2章始まります。
馬の揺れに身を任せながら、江理はしばらく黙り込んでいた。
隣を進む男の背中を見つめ、ようやく口を開く。
「あの……お名前、聞いてませんでした」
「ライリーだ」
短い答えが返ってくる。
「あなたたちは……山賊、なんですか?」
恐る恐る尋ねると、ライリーは前を向いたまま、わずかに口の端を上げた。
「そう呼ぶ奴もいるな」
それ以上の説明はなかった。江理はそれ以上、聞けなかった。
夜の山道を進むにつれ、周囲の木々が深くなっていく。江理の胸には、次第に不安が積もっていった。
――本当に、大丈夫なのかな。
ふと視線を感じて見上げると、妖精たちが変わらず周りを飛んでいた。ノアが心配そうにこちらを覗き込む。
『エリー、だいじょうぶ?』
「うん、大丈夫」
江理は小さな声で答え、頷いた。妖精たちがいてくれるだけで、少しだけ心強かった。
しばらく進むと、暗闇の向こうに、そびえ立つ石壁が見えてきた。
想像していたのは、荒れ果てた砦のような場所だった。だが、目の前に現れたのは、まるで違う光景だった。
高い城壁に囲まれた、街そのもの。壁の上には篝火が並び、門の両脇には見張りの男が二人、槍を手に立っている。
ライリーが片手を上げ、何か合図のような仕草をすると、門番の一人が短く指笛を鳴らした。重々しい音を立てて、巨大な門がゆっくりと開いていく。
――こんな仕組みまである。
江理が驚いているうちに、馬は門をくぐっていた。
中に広がっていたのは、さらに予想外の光景だった。石畳の通り、明かりの灯る窓、軒を連ねる商店らしき建物。人々が行き交い、賑わいはピーコック村よりもずっと大きい。
――村どころか、これ、町?
通りの奥、街の中心には、堂々とした城が構えていた。灯りに照らされたその佇まいは、辺境の武装集団の根城というより、どこかの領主の館のようだった。
「あの、ここは……」
尋ねると、隣に馬を並べていた若い部下の一人が、事もなげに答えた。
「頭の城ですよ。元は、王宮の公爵様の冬の別荘だったとか」
「公爵様の?」
「頭が個人的に親しくてね。譲り受けたそうです。詳しいことは、俺らもよく知らないんですけど」
江理はしばらく、その城を見上げたまま動けなかった。
武装した男たちの根城のはずが、そこにあったのは、江理がこれまで暮らしてきたピーコック村よりも、よほど豪奢な光景だった。
「着いたぞ」
ライリーが馬を止め、その城の前で降りる。
案内されるまま足を踏み入れると、玄関ホールの広さに、江理は目を見張った。磨き込まれた石の床、古びてはいるが上質な絨毯、奥へ続く広い階段。村長の家しか知らなかった江理にとって、ピーコック村のどの建物よりも立派な造りだった。
――こんなところに、住んでる人たちなんだ。
感心する暇もなく、ライリーは迷いのない足取りで奥へと進んでいく。江理も慌てて後を追った。
通された部屋は、薄暗い寝室だった。天蓋のついた大きなベッド、厚手の織物で仕立てられたカーテン――調度の端々に、かつての持ち主の格式が残っている。その寝台に、女性が横たわっていた。頬はこけ、額には玉のような汗が浮かんでいる。
「ミラ。医者を連れてきた」
ライリーの声に、傍らに座っていた年配の女性が顔を上げた。深く刻まれた皺と、鋭いが優しい目をした女性だった。
「マーサだ。この子の様子を診てくれるって?」
「はい。前村江理といいます」
マーサと名乗った女性は、値踏みするように江理を一瞥してから、小さく頷いた。
その隣、ベッドのそばに座っていたのは、まだ幼さの残る少年だった。十五、六歳くらいだろうか。心配そうな目で、母親と、見知らぬ江理を交互に見ている。
「母上は、治るんだろうか?」
少年が不安そうな声で尋ねた。
江理は膝をつき、まずミラの様子を確かめた。
「失礼します」
額に触れ、熱を確かめる。呼吸の速さを数え、胸に耳を当てる。くぐもった、湿った音が聞こえた。
「いつから、この状態に?」
「四日前くらいからだ。熱と、咳がひどくてな」
ライリーが答える。江理は頷きながら、さらに問診を重ねた。
「ミラさん、聞こえますか。今日は何日か分かりますか」
ミラが、かすれた声で、辿々しくも答える。意識ははっきりしている。呼びかけに対する反応も鈍くない。
「水分は、少しずつでも摂れていますか」
「昼に、スープを少し」
マーサが横から答えた。
――肺に、炎症が起きているのかもしれない。
江理はそう疑いながらも、断定を避けた。
「肺に炎症を起こしている可能性があります。ただ、意識ははっきりしていますし、水分もある程度摂れているようなので、少なくとも今すぐ意識や呼吸が危険な状態ではなさそうです。悪化しないよう、注意して見ていく必要があります」
江理がそう告げると、マーサが、手元の薬草を差し出した。
「これを煎じて飲ませてるんだが」
江理はその葉を手に取り、まじまじと見つめた。
「これ……アイリスが使ってたものに、似てます」
「アイリス?」
「ピーコック村で、一緒に診療所をやってる子です」
同じような発熱・呼吸器の症状に、アイリスが処方していた薬草と、香りも形もよく似ていた。
――確か、診療所の棚に、同じものを乾燥させて置いてあったはず。
だが、その診療所は今、マイミの結界の中だ。人の身では、もう入れない。
「マーサさん、この薬草の使い方、詳しく聞いてもいいですか」
「ああ、いいとも」
マーサが語る調合や煎じ方は、専門的でありながら、江理の知識ともよく噛み合った。
――この人、ちゃんと分かってる。
その確信が、江理の肩から、少しだけ力を抜かせた。
「ノア、お願いできる?」
小声で呼びかけると、光の粒がすっと近づいてくる。
「今、パール村にいるアイリスに、この薬草と同じものが向こうにもあるか聞いてきてほしいの。それと、使い方も確認してきてくれる?」
『わかった! いってくる!』
人には越えられない結界も、妖精たちには関係ない。
光の粒が、窓の外へ飛び去っていく。
「あとは、水分をこまめに摂らせてください。熱が続く間は、無理に食べさせなくても大丈夫です」
マーサに一つ一つ説明しながら、江理は、自分の中の緊張がほどけていくのを感じた。
目の前の患者は、今すぐの命の危険はない。信頼できる人が、そばで見てくれている。
――そういえば、最後にまともに水を飲んだのは、いつだっただろう。
そんな考えが、ふと頭をよぎった。
――もう、大丈夫。
そう思った瞬間だった。
視界が、ふっと暗くなる。
「あれ……」
立ち上がろうとした足に、力が入らなかった。
「先生?」
少年の声が、やけに遠くに聞こえる。
「おい、先生!?」
ライリーの声が響いたのを最後に、江理の意識は、ふつりと途切れた。




