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異世界転移した女医ですが、帰りたいのは元の世界だけではなくなりました ~辺境の村から始まる異世界診療記~  作者: 滝内亜依
第1章 辺境の村ピーコックで、初めての医者になっちゃった。

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第二十話 女神の慟哭

 エイトの槍先が、賊の一人の剣を弾いた。

 続けて踏み込んできたもう一人には、柄の反対側を叩き込む。鈍い音とともに、相手が呻いて崩れ落ちた。

「……っ、先生!」

 離れながら振り返った江理は、思わず目を見張った。老医師とは思えない、隙のない動きだった。

 舞美を背にかばったまま、エイトは崩れない。長年王宮に仕えた者だけが持つ、静かな胆力が、その立ち姿ににじんでいた。

 だが、敵の数は一人、二人では終わらなかった。

「この爺さん、ただの医者じゃないぞ!」

 誰かの声に、さらに人数が投入される。左右から同時に打ちかかられ、エイトの呼吸が、徐々に荒くなっていく。

 一人を受け流した隙に、もう一人の刃が肩をかすめた。布地が裂け、赤い染みがにじむ。

「エイトさん!」

 舞美が悲鳴のような声を上げるが、エイトは退かなかった。

「大丈夫、です」

 息を切らしながらも、槍を握り直す。その手のひらには、いつの間にか血が滲んでいた。

 それでも、舞美の前から一歩も動かない。

 妖精たちが、乱戦の上空で泣きそうな声を上げていた。

『エイト、けがしてる!』

『マイミ、だいじょうぶ?』

 村の柵の外まで追い詰められていた江理たちにも、その悲鳴じみた声だけが、かすかに届いていた。

「……エイト先生」

 江理は拳を握りしめた。今すぐ駆け戻りたい。けれど、自分と舞美を狙う賊たちが、すぐ後ろに迫っている。

「江理先生、俺たちがここを持ちこたえます!」

 フィンが棒切れを構え直しながら叫ぶ。アイリスも、薪を握る手を強く握り直した。

 村の中央では、なおもエイトが立ち続けていた。

 一人、また一人と敵を退けるたび、その体は確実に消耗していく。傷は増え、動きはわずかに鈍くなっていた。それでも、槍の切っ先だけは、決して舞美から逸れなかった。

 だが、限界は唐突に訪れた。

 横から放たれた一撃を、エイトはわずかに避けきれなかった。

 鈍い音とともに、体が大きくよろめく。膝が地面につき、槍を支えにしてかろうじて堪えるが、二の腕から流れる血の量が、明らかに変わっていた。

「エイト!」

 舞美の声が裏返る。

「……このくらい、大丈夫」

 そう言いながらも、エイトの足元はふらついていた。槍を支えにしなければ、立っていることさえ難しそうだった。次の一撃を、避けられる保証はなかった。

 その瞬間、舞美の中で、何かが弾けた。

「――もう、やめて」

 静かな、けれど地の底から響くような声だった。

 次の瞬間、舞美を中心に、光が爆発的に広がった。

 乱戦の音が、一瞬にして消える。風もないのに、篝火の炎が真横に薙ぎ倒された。

 賊たちが、恐怖に顔を歪めて後ずさる。

 次の瞬間、目に見えない力の波が、村の中を薙ぎ払うように吹き抜けた。悲鳴とともに、賊たちの体が弾き飛ばされ、次々と村の外側へと投げ出されていく。

 舞美は、村の中に敵を一人も残すつもりがないようだった。

 村を包むように、緑がかった光の膜が、天へと立ち上っていく。まるで、この土地そのものが目を覚ましたかのようだった。

 村の外にいた江理は、その光景をただ、呆然と見つめていた。

『マイミ!』

『すごい、ちからが……』

 妖精たちの声が、悲鳴のように響く。

 光が村全体を覆い尽くしていく中、頭の中に直接、声が届いた。

『――江理さん』

 舞美の声だった。

『ごめんなさい。これを閉じないと、村の中のみんなを守れない』

「マイミさん、待って――」

 叫んだ声が、届いているのか分からなかった。

 光の膜が、村を丸ごと包み込むように収束していく。

 最後に見えたのは、崩れ落ちるエイトを抱き止める舞美の姿だった。

「……嘘、でしょ」

 アイリスが呆然と呟く。

 視界いっぱいに広がっていた緑の光が、静かに、けれど確かな壁となって、村と、その外にいる江理たちを隔てていた。

 賊たちの怒声も、村人たちの悲鳴も、光の向こうへ遠ざかっていく。

 あるのはただ、村を覆っていく結界と、その向こうに霞む、見慣れた景色だけだった。

 結界の前に立ち尽くしていた江理の頭の中に、再び舞美の声が響いた。

『江理さん……聞こえますか』

「聞こえてる。マイミさん、エイト先生は」

『息はあります。今、私が診てます。でも――』

 声が、わずかに揺れた。

『この結界、私にも簡単には解けません。完全に閉じるまで、あと少し。今なら、まだ隙間があります』

「じゃあ」

『江理さんたちだけなら、まだ間に合います。急いで――』

 江理は、光の壁に手を伸ばしかけて、止めた。

 振り返ると、結界の外にはフィンとアイリスがいる。その向こうでは、賊の残党がこちらの様子を窺っていた。

 中には、エイトがいる。テオが、ハンナが、イアンがいる。村人たちの多くも、既に結界の内側に逃げ込んでいた。

 外にいるのは、アイリスとフィンだけ。二人を置いて、自分だけ中へ逃げ込むことはできなかった。

 答えは、迷うまでもなかった。

「マイミさん」

『はい』

「閉じて」

『……いいんですか』

「うん。中のみんなを、お願い」

 声が震えないよう、江理は奥歯を噛みしめた。

「私はここで、できることをする」

『……分かりました』

 舞美の声が、少しだけ和らいだ。

『長くはかからないはずです。たぶん、一週間もすれば。必ず、無事でいてください』

 最後にそう言い残し、頭の中の声が途切れた。

 同時に、緑の光が一層強く輝き、完全な壁となって天地を覆った。

 江理は光の壁に背を向け、フィンとアイリスの方へ向き直った。

「アイリス、フィン。行くよ」

 震える声を押し殺して、江理はそう告げた。

 自分たちの村は、確かに守られた。

 けれど今、自分たちは、その村から切り離されてしまった。

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